ま、そうでしょうよ。これまでにもさんざん言われてることですし。
日経さんもそろそろいい加減、安定した雇用や環境を確保する人件費の維持が問題の核心であることを理解してもええんやないですか?*1このままだと今後も順調に沈んでいくだろうことも、予想できますよね。
あとは資源の配分の優先順位に関わる政治の問題ですが、現状ではこの分野の改善はほぼ期待できません。残念ながら。
日本の研究力を損ねた「選択と集中」
科学記者の目 編集委員 滝順一
コラム(テクノロジー) 科学&新技術
2019/9/24 2:00日本経済新聞 電子版日本の大学の研究力低下が深刻だ。鈴鹿医療科学大学の豊田長康学長は詳細なデータ分析に基づき研究力低下の主因は、研究に費やせる時間の長さを勘案した「フルタイム換算の研究者数」であると指摘。研究者が思う存分研究に専念できる環境をつくることこそが世界との研究力競争に勝ち抜く道だと主張する。
豊田長康・鈴鹿医療科学大学学長――論文数の減少など日本の大学の研究力低下が指摘されます。どこに原因があるとみますか。
「大学の公的研究費が停滞している。とくに国立大学は2004年の法人化以降、大学運営の基盤的な資金である運営費交付金が削減されてきた。多くの大学で人件費を抑制、教職員の数を減らした結果、研究機能にダメージを与えた。学生教育の負担が減らないなか教職員数を減らすと、研究に充てる時間が減る。思う存分研究ができる時間や環境が損なわれた」
「政府は運営費交付金を減らす代わりに競争的資金を増やし『選択と集中』の考え方に基づく再配分を進めてきた。『選択と集中』はもろ刃の剣で、東京大学や京都大学などでは研究力が維持されたかもしれないが、日本全体では研究機能が低下した」
――論文数などの指標に基づき研究資金を傾斜配分すれば全体の研究機能が高まるというのが政府の考え方です。
「そうした説明はもっともらしく聞こえるが、実際の研究力は(資金だけでなく)研究環境に大きく依存する。もともと大学によって研究環境に差があり、地方大学は東大や京大に比べて恵まれない。傾斜配分は、恵まれない環境で頑張っている研究者の芽をつみ、格差を広げ、日本全体の研究力を損なう」
「私の分析では論文数の多寡と相関が高いのは、フルタイム換算の研究者数だ。これは研究者がどれくらい研究に時間を費やしているかという指標で、研究者の頭数に比べて論文数との相関が高い。フルタイム換算の研究者数が減っていることが論文数だけでなく論文の質の低下にもつながっている。
――世界をリードするような研究にも陰りがみえるとされます。
「学術情報サービス会社のクラリベイト・アナリティクス社は高被引用論文著者(HCR)を毎年発表している。他の研究者によってたびたび引用される影響力の大きな論文を数多く発表している優れた研究者をそう呼ぶ。14年時点でHCRは世界に3214人おり、18年には約25%増えて4058人になった。ところが日本のHCRは99人から65人に減った。欧米や中国、韓国、サウジアラビアなど世界の他の国はどこも増えているのに、日本だけが減っている。非常に深刻な事態だ」
「これは単に日本全体の論文数が減っているだけではなく、オリジナリティーの高い質のよい論文が出にくくなっていることを示している。研究以外のことで忙しいと、いいアイデアを思いついても完成度の高い論文に練り上げていくことが難しくなる。様々な仕事に忙殺されているうちにだれかに先を越されたらオリジナリティーは主張できなくなるので、(手早く論文を出し)完成度を追求することが困難になる」
――数値目標の設定に問題があるのでしょうか。
「目標を設定すること自体に問題があるのではない。問題は目標の使い方だ。目標達成のため努力を促すインセンティブを与えるようなポジティブな使い方ならいい。しかし目標を満足できなければ組織の死活に関わるような使い方をすると、組織は何としても目標に掲げられた数値だけを達成しようと必死になる。その結果、数値目標が独り歩きしてしまい能力を真に高めることにつながらない。海外でも事例があり、例えばオーストラリアで論文数を指標にして資金を配分した結果、数を増やそうとして質の悪い論文でもどんどん発表する事態になり、結局その仕組みを廃止したという」
「論文数や(質の指標とされる)論文の被引用回数といった指標では測れない能力もある。とりわけ社会・文化系の研究はそうした指標による評価は困難だ。学術の評価は最終的にはノーベル賞のようにピアレビュー(同分野の専門家による評価)に基づき、定量的な指標は参考にする程度にとどめるべきだ」
――詰まるところ、研究力の向上には、フルタイム換算での研究者数を増やすのがよいと言えますか。
「欧米も中国、韓国も研究規模を拡大している。海外との差を縮めるには研究者の数を増やし思う存分研究できる環境をつくる以外の方法はない。研究資金や設備だけを増やすのはだめで、研究者の数とバランスがとれた形で増やすことだ。韓国やドイツに追いつくためにはフルタイム換算での研究者数を1.5倍~2倍に増やす必要がある」
■取材を終えて
米国の歴史学者、ジェリー・Z・ミュラー教授による「測りすぎ」(原題はThe Tyranny of Metrics)という本がある。組織のパフォーマンス評価のため数値目標を掲げた結果、有害な影響が生じることが、学校や病院、警察など様々な職場における多くの実例で示されている。医師が自らの治療成績を高く維持するためリスクの大きな手術に手を出さないという事態が米国ではあるようだ。
数値目標が内包する課題のひとつは、組織や個人のパフォーマンスを測るうえで目標数値が正しい評価指標であるとは限らない点だ。手術の成功率がよい医師であることの指標とは必ずしも言えない場合がある。論文の被引用回数が研究の質を保証しないこともある。本当に知りたいことを測るため、簡単に「測れる」指標をとりあえず代用しているにすぎない場合が多い。
評価の参考のひとつであれば問題はないのだろうが、豊田さんが指摘するように組織や個人の死命を制する指標として広く使われ出すと、数値目標が独り歩きしパフォーマンスをゆがめ悪影響ばかりが生ずる。
日本の科学技術予算配分をめぐっても、大学と政府の非難合戦にとらわれず、「測りすぎ」の問題を冷静に議論する場が必要ではないだろうか。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49938430Y9A910C1000000/
*1:最後の感想文ではそこを逃げてますけどね。