うわー、こんな動画、どこに残ってたんや!1995年、第1回Vリーグで初代王者に輝いたダイエーオレンジアタッカーズを追ったサンテレビの特集番組*1。
オレンジアタッカーズの第2期黄金時代を、25年後にこれだけたっぷり見られるとは…。
名将・セリンジャーのもとで、山内・名取・松川の同級生トリオに、ハイマン・クロケット時代を知るベテラン・椿本とワイショフ・ルイスがスタメンを張り、ピンチサーバーで必ず出てくる主将・夏田、坂本・小川・勝田あたりがサブで控えてたなあ…。
いま見て改めて思うのは、ダイエーが当時、強いだけでなくいろんな意味で最先端を行っていたチームだったこと。わかりやすいのがユニフォーム。
確か、この前年だったか、ユニフォーム改革が試みられて、いろんな形のが出たんですよね。ユニチカのラグビージャージとか、日立のレオタードとか、けっこう話題になりました。ダイエーはキュロットタイプのユニフォームでした。
ただまあ、いろんな不具合もあったみたいで、この年には多くのチームがそれ以前のブルマに戻しています。それでも戻さずに踏ん張ったのがユニチカ、そしてさらに進化させたのがダイエーでした。この時代のユニフォーム、強かったのもありますが、黒基調のデザインがスマートで、他と比べて圧倒的にカッコよかったんです。いま見ても古さを感じさせない先進的なものでした。
このシリーズのテレカ、まだ何枚か持ってるはず。
現在、由利本荘に建設中の体育館のこけら落としで久光を誘致すると県協会が頑張っているのは、久光の前身チームであるオレンジアタッカーズの山内美加が由利高校出身だから。由利高の体育館に彼女のユニフォームが飾られている。 pic.twitter.com/ntKxQorTLW
— 例のアレ (@kaerujp0014) 2017年6月1日
その後、日本のバレー界は企業の撤退などで激動の時代を経て今に至るわけですが、あの前後の数年間は間違いなく、日本バレーにとって古き良き時代でした*2。
*1:当時サンテレビは、ダイエーオレンジアタッカーズの試合を毎回放送していました。
*2:もちろんこれは国内リーグの話で、全日本レベルの国際的な競争力の話はとりあえず措いておきます。