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【福山の風景】備後護国神社・その2:参道の石段下

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こちらの続きです。

【福山の風景】備後護国神社・その1:参道と社殿 - 大塚愛と死の哲学

この備後護国神社、石段上の社殿がある場所の面積はさほど広くない代わり、石段下の一帯は開けています。

なので、その広いスペースに面して多数の慰霊碑群が並んでいます。福山には長らく陸軍第41連隊が駐屯していましたから、当然と言えば当然ですが、それにしてもかなり多いです。サイズ的にもかなり大きなものが並べられていますね。

歩兵第41連隊 - Wikipedia
備後護国神社















何か色々見えていますが、それらについては次回に。

ともあれ今回、第41連隊の遺構を訪れる余裕はなかったので、それはまた福山再訪の機会にということになります。

www.akinokuni.jp

ちなみに、備後護国神社や陸軍第41連隊についてニュース検索をかけると、産経新聞の記事がいくつか引っかかってきます。このあたりは産経新聞の面目躍如といったところで、その個性と存在意義とを示しているという意味でたいへんよいことだと思います。

2015.5.11 11:54
【戦後70年】悲運の部隊、歩兵41連隊の「勇戦敢闘」証明 レイテ戦記の「逃走」覆す 福山市議が足跡たどり出版

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福山市議の大田祐介さんが出版した「永遠の41」

 東部ニューギニアとフィリピン・レイテ島で2度全滅し、悲運の部隊といわれる陸軍歩兵第41連隊(本部・広島県福山市)がレイテ島を南北に貫く標高700メートルの脊梁(せきりょう)山脈の山中に約50日間、立て籠もり、ゲリラ戦を展開した末に玉砕したことを福山市議の大田祐介さん(47)が現地調査や米側資料で明らかにし、このほど「永遠の四一(よんいち)」を出版した。

 自宅が連隊本部の跡地にある大田さんは、先人たちの歩みがほとんど知られていないことに疑問を抱き、5年前からフィリピンのタクロバンを皮切りにマレーシア、シンガポールニューギニアなどの戦跡を訪問。元隊員の手記を集め、帰還者や遺族へのインタビューを行った。

 41連隊は、大岡昇平の「レイテ戦記」(中)などで、昭和19年11月1日からのレイテ島・脊梁山脈での米第1騎兵師団との戦闘で、逃走して陣地はなく容易に敵の進出を許し、「ほとんど戦っていなかった」とされていた。

 しかし、大田さんは何度もこの山域に足を踏み入れて発掘調査し、日本軍のヘルメットや飯盒(はんごう)、軽機関銃などを発見、日本軍が布陣していたことを突き止めた。

 また占領下の22年出版された米陸軍第1騎兵師団戦史に「脊梁山脈での戦闘は、レイテ作戦においては特筆すべき勝利となった。険しく深い密林地帯が広がり、雨と泥でぬかるんだ地形にも負けずによく敢闘した」と記述されていることを見つけた。

 さらに国会図書館の憲政資料室「日本占領関係資料」で平成20年に公開された米第1騎兵師団第12騎兵連隊の戦闘詳報から、戦死体から回収した認識票によればHill2348(716高地)は41連隊が守備していると記載されていたことが判明した。

 大田さんは、「41連隊は、身を挺(てい)して太平洋の防波堤となり、勇戦敢闘した。こうした歴史を私たちは忘れてはならない」と話している。

 「永遠の四一」の問い合わせは福山健康舎。

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現地調査と米軍資料で歩兵41連隊の「勇戦敢闘」を「永遠の41」に出版した大田祐介さん。手にするのは樋口季一郎第17代連隊長の別冊(岡部伸撮影)

【用語解説】歩兵第41連隊

 明治29年に編成され、日露戦争後の41年から福山市に本拠を置いた。日中戦争ノモンハン事変などに参加後、マレー作戦でシンガポール攻略に加わった。南海支隊に加わった昭和17年に東部ニューギニアポートモレスビー攻略戦で3千メートル級のオーエンスタンレー山脈を越える途中、補給が途絶え、ほぼ全滅。その後再編成されたが、20年7月、フィリピンのレイテ島で再び壊滅した。

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http://www.sankei.com/life/news/150511/lif1505110021-n1.html
http://www.sankei.com/life/news/150511/lif1505110021-n2.html

2015.10.30 07:01
備後護国神社に護持会が来春発足 慰霊碑管理や継承活動担う

 備後地域の戦死者を祀る備後護国神社福山市丸之内)を守って英霊への慰霊を伝承していこうと、地元有志が、同神社の維持運営を担う「護持会」の設立を目指す準備世話人会を立ち上げた。来春には護持会を発足させる考えで、同神社の慰霊碑の管理や継承活動などを担っていく。

 同世話人会によると、近年、備後地域の遺族会や戦友会といった団体の高齢化が進み、継承活動が困難になっている。戦争を知らない世代も増えていることから、英霊の思いを次世代に伝承していくほか、同じように継承活動に励む団体に対しても協力できるよう護持会の設立を目指すことにしたという。

 同世話人会のメンバーは、同神社の江種克二宮司や会社役員のほか、市遺族会の篠原彌之会長といった団体関係者ら有志15人ほどで、10月初旬に立ち上げた。今後、会合を重ねて意見交換し、来春の護持会発足を目指す。

 護持会では同神社にある慰霊碑の管理のほか、歴史の伝承活動も行う。また、福山空襲のあった8月8日夜に遺族会が実施している「みたま祭」の前夜祭の運営も担当し、みたま祭を盛り上げていく方針。

 江種宮司は「先の大戦は忘れてはならないことで、そのために護国神社が存在する。全面的に協力してくれて大変ありがたい」と期待を込めた。

 世話人会の大田祐介会長は「次世代が歴史を学べるよう継承し、維持発展できるよう取り組みを活性化したい」と意気込んだ。同神社は明治元年に創建。旧備後国の戦死者3万2150柱が祀られている。

http://www.sankei.com/region/news/151030/rgn1510300041-n1.html

2016.5.8 14:40
「今の平和と繁栄は多くの尊い犠牲の上に築かれた」…福山で戦没者追悼式

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戦没者を悼んで献花する遺族ら=福山市

 昭和12年以降の日中戦争(支邦事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)で戦死した兵士を悼む福山市戦没者追悼式が7日、同市丸之内の福山城公園広場で営まれ、参列した遺族ら約500人が、白いユリやキクを祭壇に献花して、祖国を守るために亡くなった先人たちに哀悼の意を表した。

 一連の戦争で戦死した福山市出身者は8068人とされる。追悼式は、かつては備後招魂祭として営まれていたが、平成14年から市や市遺族会などによる今の形となった。

 式典では、実行委員長の羽田皓市長が「今の平和と繁栄は、多くの尊い犠牲の上に築かれた。命の尊さ、平和の大切さを次の世代に伝えていくことが、私たちに課せられた責務」と、追悼の言葉を述べた。

 式典後には、隣接する備後護国神社にある慰霊碑をめぐる説明会が、有志によって行われた。境内には、郷土部隊だった旧陸軍歩兵第41連隊が戦った東ニューギニアやフィリピン・レイテ島などでの戦死者を悼むものなど、10基を超す慰霊碑が建立されている。

http://www.sankei.com/west/news/160508/wst1605080041-n1.html