こちらの続きです。
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ようやく本殿が見えるところまで来ました。
手前の柱は、裏から見るとこんな風になっています。昭和4年のものですから、これも移転にともなってここに持ってこられたものです。
で、階段を上ります。ここにある一対の灯籠は、当地に移転した後の昭和60年に鳥取県遺族会婦人部が置いたもののようです。
さらに本殿に近いところにも何やらありますが、どうやら戦中の昭和18年に鳥取を襲った大地震で倒壊した鳥居にまつわるものであるようです。
ともあれ、参拝を済ませて改めて周りを見回してみて、気づくことは…。
まったく人気がありません。いるのは私一人っきりです。
人里離れたところにあるために、境内を散歩がてら歩くような人もいませんし、そもそも社務所にも人気がありません。日曜日の午前中だったのですが、たぶんこれが特殊な状況というわけではなく、ふだんから人が常駐していなさげです。
それはもうそういうものだと納得しつつ、本殿のある敷地を取り巻くようにある回廊の掲示物などを眺めて回ります。
これなどは、先に見た田中角栄揮毫の慰霊碑の設営などとも連動した遺品や遺影の展示です。
この護国神社の沿革についても、説明が掲示されています。かなりあちこち移転を重ねていたことがよくわかります。それぞれの時代に撮られた古写真の中には、今ここにあるものが写っていることを確認できるものも見えます。
あと、無人の社務所前にも、こんな碑が見られます。なぜここにあるのかはよくわかりません。
しかしまあ、いくら観光名所である鳥取砂丘に接しているとはいえど、ここまで誰もいないとちょっと寂しいですね。例祭が行なわれる日などは雰囲気もまた違っているのでしょうが…。
終戦の日 「悲惨さ語り、平和を」 戦没者慰霊祭に遺族ら 鳥取・県護国神社 /鳥取
毎日新聞2015年8月16日 地方版
黙とうをささげる参列者ら=鳥取市で2015年8月15日午後0時2分、真下信幸撮影終戦の日を迎えた15日、鳥取市浜坂の県護国神社では戦没者を慰霊する平和祈念感謝顕彰祭(日本会議県本部主催)が営まれた。遺族ら約60人が参列し、正午の時報に合わせて1分間の黙とうをささげた。
岩美町長谷に住む県遺族会の山根崔幹(たかよし)さん(83)は、中国戦線に出征した父を亡くした。「父を含めて大きな犠牲の上に今日の平和がある。ただ、最近は戦時中を知らない年代が多くなり、戦争というものが軽んじられているように思える」と危惧。「孫たちの世代に悲惨さを語り継ぎ、戦争ではなく話し合いで解決することで平和を守っていってほしい」と話した。【真下信幸】
「陸軍連隊の旧兵営や軍人墓地といった縁のある場所から遠く離れたところに移された」という、土地の記憶から切り離されてしまっている立地も、この寂莫としたあり方に影響しているかもしれません。
http://www.geocities.jp/bane2161/hohei40rentai.htm
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