「佐賀の乱」と江藤新平

古くより、地元佐賀での江藤の扱いは、忌避される反乱者としてのそれではない。
天皇に対する反乱者とみなされた江藤新平靖国神社に合祀される可能性は今のところないのだが、佐賀城や佐賀駅からも程近い佐賀県護国神社には、江藤新平ら「佐賀の乱」関係者も合祀されている。
詳細は、次の論文に詳しい。

今井昭彦「佐賀の乱における戦死者祭祀」(『岐阜女子大学地域文化研究』第15号)

佐賀の乱」にわかに地元白熱 「乱じゃない、戦争だ」
2009年6月15日16時37分

 明治政府樹立後の士族の反乱のうち、佐賀藩出身の江藤新平を中心におきた「佐賀の乱」について、「国を乱したという印象を持たれる。表現を改めるべきだ」という意見が地元で持ち上がっている。新平は「首謀者」として処刑されたが、「新政府に仕組まれた戦争」とする学説も登場。歴史教科書の表記をめぐっても議論が起きている。

 11日の佐賀市議会。自民党系の市議が「中学校の歴史教科書の図表に『佐賀の乱』と記されている。印象が悪く放置できない。『佐賀の役』などと改訂を求めて運動すべきではないか」と質問。田部井洋文教育長は「授業で使う資料集では、最近の研究で佐賀の乱に新しい見方が出てきていることを紹介している。諸説ある中で史実を多面的に教えている」と答えた。

 論争の火付け役は「幕末維新佐賀藩」(中公新書)などの著書がある毛利敏彦大阪市立大名誉教授(76)。4月に佐賀市内であった講演では、佐賀の乱を不平士族の反乱とする通説に対し、「大久保利通が一方的に仕掛けた」との自説を紹介した。

 ただ、「乱」を「役」に改めるのには否定的。「『役』という言葉は国家権力の発動によって人民に無理を強いること。史実からすれば、中立的に『佐賀戦争』と言うべきだ」と話している。

 佐賀市内で毎年開かれる新平らの慰霊祭では「佐賀の役」と呼ばれ、「佐賀の役記念碑」もある。新平のひ孫の江藤兵部さん(69)=埼玉県=は「小さな頃から佐賀の乱と言われ続けてきたが、事実と違うという研究が進んできた。子孫の一人としてはありがたい話で、歴史認識を改めるきっかけにしてほしい」と話す。(白石昌幸)

 佐賀の乱 1874(明治7)年、明治政府の改革に不満を募らせた士族が起こした最初の反乱。政府軍が鎮圧し、明治政府の初代司法卿を務めた江藤新平秋田県令(知事)を務めた島義勇(よしたけ)らが処刑された。これ以後、神風連の乱秋月の乱萩の乱西南戦争と、西日本各地で士族の反乱が相次いだ。

http://www.asahi.com/national/update/0612/SEB200906110032.html