いつもにこにこ機嫌よく

笑いの起きる教室は楽しい場所だし、先生が楽しそうな授業は受けていても楽しい。

教育者が教場で行う仕事は一つだけである。
それは子どもたちの知性のパフォーマンスを向上させることである。
それに尽きる、と申し上げてよろしいであろう。
子どもたちの知的な不調の原因の過半は彼ら自身が自分の脳を活性化する術を理解していないからである。
学校ではなかなか教えてもらえない。
というのは、「機嫌のよい教師」「いつもにこにこしている先生」にあまりお目にかかる機会がないからである。
まことに理解に苦しむことであるが、「機嫌のよい教師」「いつもにこにこしている先生」を組織的に生み出すことの教育上の有効性について理解している人は教育行政の要路者の中にも教育について語る知識人の中にも、ほとんどいない。
(中略)
「心を開く」ときに、脳の演算能力は向上し、「心を閉ざす」ときに、脳の機能は劣化する。
怒ったり、憎んだり、嫉妬したりしているときに知性の機能が上がるということはない。
これは確かである。
だから、「怒っている知識人」とか「不機嫌な研究者」というのはそもそも形容矛盾なのである。
怒ったり不機嫌になったりしていたら脳のパフォーマンスが下がることを知らないのなら、彼らは知的職業に就くべきではない。
知っていてそうしているなら、彼らは自分の脳の機能を最大限まで向上させなければ対処できないようなチャレンジングな課題に直面していないということになる。

http://blog.tatsuru.com/2009/07/13_1100.php

上方落語 桂枝雀爆笑コレクション〈4〉萬事気嫌よく (ちくま文庫)

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そうありたいものです。