琵琶湖底の水没墓地
ふだん何気なく湖周道路をドライブしたりしてる琵琶湖でこんなのが見つかったと聞けば、ちょっと好奇心が湧いてきます。まだ発見の段階で、文献資料との照合などといった本格的な調査の進展は今後を待つということになるのでしょうが、その成果を琵琶湖博物館などで展示してもらえれば、どうにかして見に行きたいと思います。
B展示室【人と琵琶湖の歴史】[B1] 共存の時代 - 琵琶湖博物館
琵琶湖底に水没集落の墓地か 430点の石群発見
2011.9.12 21:54
琵琶湖に沈んだ集落の墓地にあったとみられる五輪塔の一部=滋賀県長浜市祇園町沖の琵琶湖底(滋賀県立大琵琶湖水中考古学研究会提供)大地震で集落が水没したとの伝承が残る滋賀県長浜市沖の琵琶湖底から、供養塔や石仏の一部など石群約430点が見つかり、中井均・滋賀県立大准教授(中世考古学)が指導する同大の学生グループが12日、発表した。中井准教授は、16世紀後半の地震で集落が地盤ごと地滑りして水没したとみている。
調査したのは、中井准教授が指導する県立大の学生グループ「琵琶湖水中考古学研究会」。「西浜村」という集落が湖底に沈んだとの伝承があり、素潜りで調査した。長浜市祇園町沖約100メートルの湖底(水深約1メートル)で、東西38メートル、南北26メートルにわたって分布する石群を見つけた。
供養塔などに使われる五輪塔の一部や、石仏の上半身部分など、墓地に使われたとみられる石があり、材質と形状から、16世紀前半から17世紀初頭につくられたと推定される。文献で天正13(1586)年に岐阜県中北部を震源とするマグニチュード7・8規模の地震が起きたことが分かっており、時期が一致した。
中井准教授は「水没集落を考察するうえで貴重な史料。科学的な調査を進めれば、地震被害のメカニズムの解明にも役立つのでは」と話している。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110912/art11091221570002-n1.htm
追記:「京都新聞」にはもう少し詳しい話が出ていましたね。
琵琶湖底の西浜千軒遺跡で見つかった砂岩製一石造りの五輪塔上部の「空風輪」(左)と石仏(中央)などの遺物。中川永代表(左)らが調査した=長浜市役所滋賀県立大の同好会・琵琶湖水中考古学研究会は12日、長浜市祇園町沖の琵琶湖底の西浜千軒遺跡で実施した初の水中調査の結果を発表した。安土桃山時代の五輪塔や石仏など集落の墓所遺構が見つかり、「伝承通り西浜村が沈んだことが裏付けられたが、言われているより約120年後の天正大地震の地滑りが原因」としている。
■伝承の時期より120年後
研究会は湖底遺跡の専門家で今年3月に退官した林博通・県立大名誉教授の調査を継続するため結成。初の調査として大学院生の中川永代表(23)と学生6人が6月26日から18回、沖合の東西約500メートル、南北約300メートルで水深約1メートルの湖底を素潜りで調査した。
この結果、沖合約100メートルで、約1メートルの方形区画の凝灰岩を使った石積み遺構や、砂岩製一石造りの五輪塔上部の「空風輪(くうふうりん)」(高さ12センチ、直径8センチ)、石仏の上半分などの遺物を発見。集落に付随する墓所と判断した。
中川代表によると、砂岩製一石造りの五輪塔の製作年代は1530〜1610年が中心とされる。また、調査に基づく実測図から遺構が東から西側に沈み込んだことがうかがえる。このため西浜村は1586年1月18日の天正大地震で沈んだと判断できる、という。
中川代表は「今後も林先生のアドバイスを受けながら、湖底遺跡を調査していきたい」と話している。
林名誉教授は「この遺跡で初の調査を学生が水中考古学の手法で実施したことに意義がある。伝承の𥶡正年間(1460〜66年)に地震の記録がなく疑問があったが、今回の調査で西浜村は天正大地震で長浜城などと一緒に広範囲な液状化に伴う地滑りで沈んだと分かった」と話している。
【 2011年09月13日 08時54分 】