こちらの続きです。
blue-black-osaka.hatenablog.com
桜山神社の次の目的地である小峰墓地は、熊本大学のキャンパスの脇道を北に抜けた先にあります。
小峰墓地 - Wikipedia
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小峰陸軍墓地 - 陸軍墓地・海軍墓地・戦争遺跡そして護国神社参拝
上記の先達が嘆いておられるように、かつての陸軍墓地に並んでいた墓碑は戦後、引き抜かれ、土中に埋められてコンクリートで固められてしまっているようです。
その跡が、こちらの忠霊塔です。1954年(昭和29年)という時代もあるのでしょう、忠霊塔としては一種異様な形をしています。
ただまあ、これについては以前訪れた時にも現認していますし、今回はあまり触れるべきこともありません。こっちの原爆犠牲者の碑も同様です。
問題はむしろ、その周辺にある慰霊碑群です。
一つ一つの碑の解説はとりあえず措いて、2018年2月末時点の現場の状況を見てもらうとしましょう。
以上の3基は同じ場所に並んであるのですが、この中では特に「交通事故慰霊塔」がこんな状態です。
つぎにこちら。どうなっているかわかりますか?
1979年(昭和54年)の建立の際に集まった団体なり同志なり個人なり、果たして今どれほど残られているのでしょうか。
先ほどの忠霊塔の周囲を少し移動します。
満州事変戦没者合祀碑。これは1934年(昭和9年)の建立で、戦前から残されているものです。コンクリートで固められた土台はまだいいのですが、上の石物が完全にズレています。
隣のこちらはもっと大変なことになっています。いつ崩壊してもおかしくありません。1973年(昭和48年)の建立で熊本市長の揮毫ですが、それから45年後の今年、当時の関係者はどれほどおられることか。
さらに隣の「済南事変忠死者之碑」。1929年(昭和4年)建立ですが、こちらはまだ踏ん張っています。が、よく見るとやはりズレが出ています。
また、陸軍墓地関連施設として、このあたりから少し離れた場所に、西南戦争関連の「丁丑感舊(旧)之碑」があります。1885年(明治18年)建立、1923年(大正12年)に小峰移設、ということですから、戦前の陸軍墓地時代からここにあったものです。
碑とは言いますが、先ほどの忠魂塔並みの高さを持つ立派なものです。六角柱状のこの碑は見たところ、さほど被害はないようです。
が、しかし、です。この一帯が無傷だというわけではありません。
特に、丁丑感舊之碑の両脇に立つ一対の巨大な石碑は、やはりハッキリとズレています。これ、本来は正面をまっすぐ向いているもので、こんなに斜に構えたものではありません。
いま見てきたものはいずれも旧軍関係の慰霊碑・忠霊塔の類でしたが、ここは戦後、陸軍墓地から一般墓地へと転用されています。なので、上記の施設の周辺には、一般の墓地が広がっています。そちらにも同様の被害が見られることは、言うまでもありません。
こうした状況はもちろん見ている人は見ているわけで、遺族や行政を含む関係者がこの状況に心を痛めていることは間違いありません。
熊本市営墓地(小峰墓地)墓石倒壊 - 堀島石材 熊本の墓石、石材工事お任せください。
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時間と手間と金を惜しみさえしなければ、復旧は可能ではあるでしょう。けれども、地震被害の復旧の中で「お墓の復旧」は明らかに優先順位が低いですし、上でも見たように、墓碑建立の当事者もいつかはこの世を去る中で、維持管理が継承されずに無縁化するものをどのように扱うのか。再建するのか、何らかの形で撤去・整理するのか、選択を迫られつつの対処となるでしょう。
軍人のための墓地とは言っても、もしくは慰霊碑や忠魂塔の類であっても、最終的にはやはり例外ではないと私は思います。
熊本地震 墓石1万基倒れたまま 熊本市営墓地の6割被害
毎日新聞 2016年5月28日 10時56分(最終更新 5月28日 10時56分)
地震の激しい揺れで倒れたままになっている墓石 矢頭智剛撮影熊本地震で被災した熊本市の市営墓地で、墓石全体の6割に当たる約1万基が倒壊したままになっている。倒れた石が通路をふさいだりしているが、市はほとんど手をつけられないでいる。それぞれの墓の管理は利用者に委ねられ、無断で移動すればトラブルになりかねないためだ。市は「生活再建に追われている中、お墓のことまで強くお願いできない」と頭を抱えている。
熊本市内には7カ所の市営墓地に、計約1万8000基がある。約1900基がある中央区の小峯墓地では、約8割が横倒しになり、骨つぼが外から見える墓などもある。
今月中旬、地震発生後、初めて墓参に訪れた矢仁田恒郎さん(82)は「うちのお墓も石の囲いが倒れ、墓石の向きもずれていたが、まだましな方。よそのお墓でも、墓石が倒れているのを見るのはつらい」と、ため息をついた。
墓地の各区画内は「原則としてそれぞれの利用者が管理することになっている」(市)ため、手つかずのままの墓が少なくない。散乱がひどい場所では、倒れた墓石がどこの区画のものか分からない状態になっている。
苦情や問い合わせも相次いでいる。「隣の墓が倒れかけて危ない」などの声は150件近い。そのたびに危険とされた墓の利用者に連絡をとり、遠方の場合は墓の状態を撮影して写真を郵送したりしている。
対応が困難となっているのが、墓参の形跡がなく地震前から荒れていた「無縁墓」。全体で約900基に上るが、利用者の特定は困難とみられている。市が対応を模索中だ。
倒壊した墓の修復作業が進展しないのには、別の理由もある。中央区で橋本石材店を営む橋本重雄社長(67)によると、既に150件以上、墓石の修繕の注文が寄せられている。ただ、余震の不安が続いていることや、周囲の墓が散乱して重機が入れない場所では人力に頼るしかないため、作業は思うように進んでいない。「全部終わるのにどれくらいかかるかわからない」と話す。
2004年の新潟県中越地震では、同県長岡市の市営墓地1カ所で約2600基のうち7割が倒壊。11年の東日本大震災で被災した福島県いわき市でも、一部の市営墓地で約1割に当たる60基が倒れた。いずれも復旧は利用者に任され、長岡市では今でも倒れたままの墓があるという。
熊本市は、市として各区画内の墓の修繕や骨つぼの一時保管を実施することは現在検討していない。一方で通路など共用部分については、倒壊した墓石の移動などを順次進めていく。市の担当者は「生活が落ち着いてきたら、お墓のことも気に掛けてほしい」としている。【田辺佑介】
2016.6.10 17:57
【熊本地震】墓石1万基が倒壊 熊本市内、「勝手に手を付けられない」
地震で倒壊した墓石などが散乱する熊本市中央区の市営小峰墓地=9日熊本地震では墓地の被害も相次いだ。熊本市では、7カ所の市営墓地にある計約1万8千基のうち、6割近い約1万300基の墓石が倒壊。個人修理が原則のため、発生から2カ月近くたっても、多くの墓は手付かずになっている。地元の石材店には、揺れに強い工法に関する問い合わせも寄せられている。
熊本市中央区の市営小峰墓地。あちこちに倒れた灯籠、墓石が散乱している。墓が倒れなくても、地盤が崩れている場所も目立つ。管理人の男性(75)によると、納骨スペースが損壊し、骨つぼが割れる被害も。「どうにかしたいが、大切なもので勝手に手をつけられない」と困り果てる。
熊本市によると「隣の墓が倒れてきた」「墓の様子を知りたい」といった相談が5月末時点で約260件あった。ただ、墓は個人の財産に当たり、遺族による復旧が原則。市は共有スペースしか片付けられないという。
熊本県益城町の阿弥陀寺は、骨つぼの一時保管を始めた。「墓も家も壊れ、置く場所がない」という相談があったためだ。宗派を問わず、40個以上の骨つぼを預かった。住職の大谷義文さん(49)は「家族の墓を自分の一部のように感じている人もいる。骨つぼを寺に置くだけでも一安心だろう」と話す。
熊本市の石材店には、耐震施工の相談もある。全日本墓園協会(東京)によると、墓石の中心に金属製の棒を柱のように入れて揺れに強くしたり、石を積み上げる時に接着剤で固定したりする方法がある。これらの工法は阪神大震災後から注目されるようになったという。
ただ、コストは割高だ。協会の横田睦主任研究員は「今回のような規模の地震にも耐えられるかは分からず、地盤が崩れると被害の防ぎようがない」と指摘している。
http://www.sankei.com/west/news/160610/wst1606100066-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/160610/wst1606100066-n2.html