こちらの続きです。
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前回の善法寺村墓地のことを念頭に置きながら、改めて墓園内を見て回ると、市営墓地成立以前の痕跡はかなり目につきます。善法寺村墓地の他にも、この周辺にはいくつかまとまった墓地があり、そのことを踏まえて包括的に市営墓地が計画されたものと推測されます。
正門近くには、無縁墓碑を積み上げるための、他でもよく見かける台座が作られていますが、まだ積まれた墓碑はありません。
堤防から降りてくる道路の下をくぐって斎場側の墓域を見てみると、堤防沿いの一角は明らかに市営墓地以前の佇まいを残しています。
荒れた様子も見受けられますが、戦後に整備された墓地とは明らかに異質です。敷地内ではありながら、善法寺村墓地とはおなじく、ここも区画番号は付されていません。
こうした墓地に隣接して立地する斎場あたりも、もともとは大して何もない荒地だったのではないかと思われます。
ただ、その入口あたりにも、古い墓地や忠魂碑や養老院物故者の慰霊碑やが見られますから、近代になってからは早い段階で弔いと慰霊の地になっていたことがうかがえます。
弥生ヶ丘墓園自体は戦後のものです。ただ、こうした前史があってこそ、尼崎市はここに市営墓地を整備したはずです。
とりあえず、ここについてはそんなとこですかね。