ラグビー大学選手権は天理大学が悲願の初優勝、関西勢36年ぶりの日本一

そもそも、私の記憶の初めの頃は、天理大学ラグビーって弱かった…というよりも記憶の中に入ってこなかった存在でした。天理高校は強くても、みんな関西や関東の別の大学に行ってしまう、そんな感じ。

関西で強かった(でも日本一は遠かった)のは、何と言っても同志社、そして京産大・大体大。あとは大経大・大商大が絡んでいましたねえ。龍谷大や摂南大の台頭、関学立命館の復活は、それよりも後の時代でした。天理大が復活して上位に顔を出すようになったのは、さらにもっと後になるはずです。

36年。一つの植民地支配が始まって終わるくらいの期間ですよ。様々なことがありましたねえ。この3年、関東から全国を制していた帝京・明治・早稲田の壁を一つ一つ乗り越えて天理大学がついに到達した初の頂点。関西の人間というだけで門外漢の私ですら感無量でした。

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国内 2021.01.11
天理が早稲田を圧倒し悲願の日本一! 関西勢36季ぶりの全国大学ラグビー選手権制覇!

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チャンピオンとなった天理大学。全国大学選手権で初優勝を遂げ、歓喜(撮影:高塩隆)

 2020年度の大学ラグビー日本一を決める第57回全国大学選手権大会の決勝が1月11日に東京・国立競技場でおこなわれ、天理大学早稲田大学を55-28と圧倒し、悲願の初優勝を遂げた。
 関西勢が大学日本一になったのは、1984年度に同志社大学が優勝して以来、36シーズンぶりとなった。

 新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、1月7日に政府から1都3県(東京、埼玉、千葉、神奈川)を対象に緊急事態宣言が発令され、自粛までは求められなかったが、観客数は最大5000人かつ収容率50%以下に制限された。ただし、すでに販売済みのチケット(約1万7000枚)は適用外との政府見解を日本ラグビー協会は確認し、来場者への感染対策も徹底して決勝は開催された。

 天理は昨年8月に新型コロナウイルスクラスター(感染者集団)が発生し、活動が大幅に制限された時期もあったが、困難を乗り越え、関西大学Aリーグで5連覇を達成。2季ぶり3度目となった全国大会の決勝でも前年度王者の早稲田を圧倒し、歓喜となった。

 天理は序盤から勢いがあった。
 前半3分、敵陣深くのブレイクダウンでLOアシペリ・モアラがターンオーバーし、キャプテンのFL松岡大和がサポートしてゴール前まで前進、密集からボールを動かし、CTB市川敬太がトライゲッターとなった。SO松永拓朗がコンバージョンを決めて貴重な2点を追加。
 10分にも敵陣深くに入ってFWが前進し、パワフルなLOモアラが強引に持っていってインゴールに押さえた。

 14点ビハインドとなった早稲田は20分、敵陣深くでフェイズを重ね、CTB長田智希のゲインでゴールに迫り、最後はPR小林賢太が突っ込み、ディフェンダーにからまれながらもグラウンディングが認められ、トライとコンバージョンで7点を奪い返した。

 だが23分、早稲田に反則があり、天理はSO松永がペナルティゴールを決めて3点を追加。

 天理はディフェンスでも早稲田にプレッシャーをかけ、ラックへの集まりも速くターンオーバーを連発して流れをよくすると、31分にも再び攻め込み、CTB市川がフィニッシャーとなって点差を広げた。

 ミスが続くようになった早稲田に対して、天理は完全に主導権を握り、ハーフタイム前には敵陣深くのスクラムからボールを動かし、レシーブしたパワフルなCTBシオサイア・フィフィタがディフェンダーを引きつけたあと、空いたスペースを黒衣の12番が抜け、CTB市川のハットトリック達成で天理は29-7として折り返した。

 天理の勢いは後半に入っても止まらず、45分(後半5分)、敵陣深くで、相手ボール投入のスクラムでプレッシャーをかけ、インゴールに転がったボールをSH藤原忍が押さえ、トライとなった。

 早稲田は52分にFB河瀬諒介の個人技でトライを奪い返したが、天理は5分後、SH藤原の中央突破からチャンス広げ、強くあたりにいったCTBフィフィタからオフロードパスをもらったCTB市川がゴールへ駆け抜け再び流れを変えた。

 天理はさらに64分、ブレイクダウンで相手の反則を引き出し敵陣深くに入ると、ラインアウトから攻めてCTBフィフィタの力走でゴールに迫り、すばやいリサイクルからLOモアラがフィニッシャーとなった。73分にもトライを追加。

 早稲田は67分と80分にトライを奪い返し執念を見せたが、ノーサイドの笛が鳴り歓喜したのは、関西の誇り高き黒衣軍、天理だった。

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天理大の土橋源之助にタックルする早稲田大の古賀由教(撮影:松本かおり)

 天理大学を日本一に導いた小松節夫監督は、「いままで決勝を2回戦って、なかなか自分たちの実力を出せなかったが、今日はとにかく自分たちの力を出し切ろうと、送り出した。本当に、学生たちはハードワークして、タックルして、何回も起き上がって、自分たちの力を出してくれたと思う」と決勝を振り返り、選手たちの奮闘を称えた。

 計8トライの攻撃力もすさまじかったが、速いプレッシャーで早稲田のアタックを封じたディフェンスも指揮官は高評価。

 そして、コロナ禍のなかで苦しいこともあったが、「キャプテンを中心に本当にいいチームを学生たちが作ってくれた。自分たちで乗り越えてくれたと思う。我々だけでは到底乗り越えられなかったが、大学、天理市民のみなさんのおかげで活動を再開できた。そういう人たちにも恩返しの意味で勝つことができて、喜んでもらえるのは本当にうれしい。いろんな方にご支援いただいて優勝することができた。本当にありがとうございました」とコメントした。

 キャプテンの松岡大和は、小松監督に続いておこなわれたテレビインタビューで初優勝の感想を訊かれ、「めっちゃくちゃうれしいです!」と喜びを爆発させた。

 勝因については、「メンバー23人が体を張ったのもそうだが、今日まで本当に、メンバー外のみんなが協力して、いい準備をしてこれた結果」だと涙ながらに語り、優勝は天理ラグビー部全員で成し遂げたと強調した。

 そして、サポートしてくれた人々や先輩たちにも感謝。「この1年間はいろいろあったが、部員全員が本当にがまんして、そのなかでいろんな方にサポートしていただいて、乗り越えてこれたと思っている。大会があるかどうかわからない状況で、不安な選手もたくさんいたが、大会があることを信じて、日本一を目指して全員ががんばってきた」と、これまでの道のりを振り返った。

 天理大学ラグビー部は1925年(大正14年)創部。ついに、全国の頂点に立った。

https://rugby-rp.com/2021/01/11/domestic/58686

2021年1月12日21時36分
関西復権に36年、壁を越えた天理大が手にした自信

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初優勝し胴上げされる天理大・小松監督(2021年1月11日撮影)

長らく止まっていた、時計の針が動き始めた。

2021年1月11日、全国大学ラグビー選手権決勝。3度目の決勝に臨んだ天理大は早大を55-28で圧倒し、初優勝を飾った。1925年(大14)創部の古豪がつかんだ優勝には、さらなる価値が上積みされた。

関西勢として36大会ぶりの大学日本一。主将の4年生フランカー松岡大和は、もちろん当時を知らない。

天理大学も含めて関西1位になるけれど『大学選手権に入ったら、なかなか関東に勝てないだろう』という声の中で、天理大学が優勝できた。関西のラグビーを盛り上げる意味でも、プラスになると思います」

立場は挑戦者だった。だが、36年前は違っていた。

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85年1月、大学選手権決勝で慶大を下し、ガッツポーズする同大フィフティー

1985年1月6日、東京・国立競技場。全国大学選手権決勝で3連覇を狙う同大が、伝統校である慶大の挑戦を受けていた。

10-6。その終盤、自陣ゴール前のスクラムで同大は劣勢に陥っていた。

2年生FBとして出場した綾城高志の耳に、信じられない声を聞こえてきた。

「平尾さんが『はよ、トライさせてまえ!』と叫んだんです。『この人は何を言っているんやろう…』と思ったことを忘れません」

同大のCTBは「ミスター・ラグビー」と呼ばれた故平尾誠二さん。2連覇中の王者とはいえ、国立の観客の大半は慶大の応援だった。そんな状況でも、平尾さんにはトライを取れる自信があった。FW戦で時間を消耗するぐらいであれば、もう1本取りにいくという自信の表れだった。

このスクラムを同大は瞬時の判断で乗り切った。京都・伏見工高出身の2年生フッカー森川が、長崎南高出身の4年生プロップ馬場と入れ替わった。綾城は懐かしそうに回想した。

「FBだった僕は試合後に知りました。森川個人の判断だったそう。今思えば、連覇はなるようにしてなったんだと感じますね」

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同大3連覇時に2年生FBとして活躍した綾城高志さん(撮影・松本航)

部長の故岡仁詩さんは常々「形がないのが同志社ラグビー」と口にした。重要な局面での選手の判断に、当時のスタイルが凝縮された。平尾さんにも、森川にも根底に自信があった。

この優勝から関西の復権に36年もかかるとは、当時は誰も思っていなかった。

4連覇を目指した85年度の初戦。12月、愛知・瑞穂で戦ったのは早大だった。綾城は「平尾さんや土田(雅人)さん、大八木(淳史)さんが抜けても、戦力的には十分優勝を狙えた」と振り返る。だが、チーム内はメンバー選考をめぐって、一枚岩になれていなかった。3-32。綾城は言う。

「勝っているときは勝つことが難しいと思いませんでした。負けた時から勝つことの難しさが分かった」

同大、京産大、大体大…。以降も関西勢が国立へと足を踏み入れたが、頂点に届かなかった。「関東の壁」というフレーズが毎年のように繰り返された。

関西の有望な高校生が関東に流れる構図。今から2年前、天理大監督の小松節夫による分析が印象深い。

「うちが1回、2回と優勝しても、変わらないと思います。関西が9連覇ぐらいしたら、変わるんじゃないですかね。僕らが強くなって、そのスタイルに憧れてもらうしかないと思う」

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85年1月、大学選手権で優勝しカップを掲げる(左2人目から)同大・円井良、武藤規夫、土田雅人

では、36大会ぶりの優勝で関西勢が得られたものは何だろうか-。日本一の監督として臨んだ、決勝後の記者会見。小松は言った。

大学ラグビーの伝統校は非常に強くて、たくさんの大学が優勝していない。そこに仲間入りするのは『非常に敷居が高いな』という思いをずっと持って、悔しい思いをしてきました。それを1つ越えられた。『関西でも優勝できるんだ』と関西の学生たちに分かっていただいて、関西リーグの全体的なレベルが上がっていく期待をしています」

天理大が東京から持ち帰った「自信」。その価値は尊い。(敬称略)【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大ではラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月からは西日本の五輪競技やラグビーが中心。18年ピョンチャン(平昌)五輪ではフィギュアスケートショートトラックを担当し、19年ラグビーW杯日本大会も取材。

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85年の大学選手権決勝で先制トライをあげる同大・平尾誠二(1985年1月6日撮影)

https://www.nikkansports.com/sports/column/we-love-sports/news/202101120001007.html