大阪・梅田の「梅田墓」発掘調査

以前記事にしたこともある「梅田墓」の発掘調査で発表があったみたいですね。

blue-black-osaka.hatenablog.com

昨日今日の発見ではなく、これまでの研究成果の報告ということになるかと思いますので、下記リンクをチェックすることをお勧めします。

www.city.osaka.lg.jp

大坂七墓のうち現存するのは二か所ということですが、ここは公開しない予定みたいです。だとすると、とりあえず南浜墓地は梅田から近いので、明治やそれ以前から続く大阪のお墓の雰囲気を雰囲気を感じるためなら、そちらに行ってみるといいかもしれません。

大阪・梅田で人骨1500体超 別の場にもウメタ?埋葬想定より遅い江戸~明治
毎日新聞 2020年8月13日 14時00分(最終更新 8月14日 13時48分)

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発掘された「梅田墓」。墓の南端石垣の奥に、遺体を葬った丸い跡がいくつも並ぶ。発掘調査地はさらに奥に延びていたが、調査を終えて埋め戻されている=大阪市北区で2020年8月12日、矢追健介撮影

 江戸~明治時代に、現在のJR大阪駅北側再開発区域「うめきた」(大阪市北区)にあった「梅田墓(はか)」について、大阪市教委と市文化財協会は13日、発掘調査で1500体以上の埋葬人骨が出土したと発表した。市内でこれほど多くの埋葬跡が一度に見つかるのは初めてで、全国的にも珍しいとしている。庶民階級の墓とみられ、今後は骨を調べたりして葬送文化や生活環境などを詳しく分析する。

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出土した副葬品の二朱金=大阪市北区で2020年8月12日、矢追健介撮影

 梅田墓は、江戸時代初期に天満周辺にあった墓を現・大阪駅の南側付近に集めたのが始まりで、その後現在のうめきた南西部に再移転したとされる。大阪に7カ所あった「大坂七墓」の一つで、近松門左衛門浄瑠璃曽根崎心中」や「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」などにも登場する。

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副葬品として納められていたミニチュアの食器や調理具=大阪市北区で2020年8月12日、矢追健介撮影

 発掘調査はうめきた再開発事業に伴って始まり、2017年2~6月の調査では、墓地の南北端の石垣や約200体の埋葬人骨が見つかった。19年9月から始まった今回の調査では、北を上として逆L字のような形とみられる梅田墓の東半分を発掘し、東端の石垣を見つけた。敷地内では亡くなった人が木おけや四角い木棺、かめ棺に入れて整然と土葬され、火葬後に埋葬したものもあった。

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出土した六文銭キセルなどの副葬品=大阪市北区で2020年8月12日、矢追健介撮影

 墓地内の北側は石垣で区切られて一段低くなっており、土をかけたりしただけの埋葬や、穴に何人もまとめて入れた埋葬例が複数あった。発掘担当者は「疫病で一度に亡くなった人などが埋葬された区画かもしれない」と推測している。

 副葬品には数珠玉や六文銭のほか、キセル土人形、二朱金などがあった。今回の発掘調査の結果、墓地は江戸時代の終わりごろから明治20年代までの19世紀に使われたものとみられるという。駅南側から現在地への移転は、これまで1680年代とされていたが、間に別の場所を挟んでいた可能性が出てきた。

 墓の考古学に詳しい大阪大谷大文学部の狭川真一教授は「東京では江戸時代の墓の調査例はいくつかあるが、これほど大規模な調査は非常に珍しい。墓が密集しているのが都市的で、短時間でこれほど大規模に造るのは農村では考えられない」と指摘した。

 埋葬されたのは大坂城下町と周辺に住む一般庶民らしい。今回見つかった骨の分析結果は出ていないが、前回調査の分析では埋葬人骨は平均30歳代と若く、子どもの埋葬も少なくなかったという。安部考古動物学研究所の安部みき子所長(人類学)によると、手足を中心に病変がみられる個体が3割近くあり、梅毒や骨腫瘍を患っていた可能性がある。過去に大阪府茨木市の千提寺遺跡群で100体近く見つかった同時代の人骨の平均年齢は高く、骨の病変もなかったという。安部所長は「都市部と山村部で全然違うので驚いた。今回見つかった骨を分析することで、文献資料などと合わせて江戸時代の大坂の様子が分かれば」と期待する。

 一連の発掘調査は8月末で終了予定。発掘現場は一般公開しない。【矢追健介】

https://mainichi.jp/articles/20200813/k00/00m/040/071000c

大阪・梅田墓地跡に大量人骨 複数体重ねた穴10個前後
花房吾早子 2020年8月13日 18時17分

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1500体を超える人骨が見つかった「梅田墓」=2020年8月12日午前11時21分、大阪市北区大深町、花房吾早子撮影

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火葬で生じたとみられる焼骨の混ざった炭や灰を多く含む土が埋め戻されていた「梅田墓」の一部=大阪市文化財協会提供

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複数の遺体をまとめて埋葬したとみられる「梅田墓」の一部=大阪市文化財協会提供

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昨年9月から発掘調査が続けられている「梅田墓」の全景=大阪市文化財協会提供

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「梅田墓」から発掘されたミニチュアの食器や調理具=2020年8月12日午前10時58分、大阪市北区大深町、花房吾早子撮影

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「梅田墓」から見つかった蔵骨器=2020年8月12日午前10時57分、大阪市北区大深町、花房吾早子撮影

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「梅田墓」の竪穴の中から見つかった位牌(いはい)=2020年8月12日午前10時58分、大阪市北区大深町、花房吾早子撮影

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「梅田墓」から発掘された土人形=2020年8月12日午前10時58分、大阪市北区大深町、花房吾早子撮影

 JR大阪駅北側の再開発地区「うめきた2期区域」内にある墓地跡で、1500体以上の人骨が見つかった。大阪市教育委員会一般財団法人大阪市文化財協会が13日、発表した。江戸後期から明治初期に亡くなった庶民の骨とみられるという。市教委などは人骨の科学的分析を行い、商人の街・大坂を支えた人々の暮らしの解明を進める。

 人骨が見つかったのは、新駅や公園などの建設計画が進む「うめきた2期区域」(約17ヘクタール)の南西端にあたる、約1500平方メートルの地区。江戸~明治初期、当時の都心だった大坂城周辺から離れ、曽根崎村と呼ばれる田畑の広がる地域だった。その農村の真ん中にあった墓地「梅田墓(うめだはか)」に埋葬されていた人たちの骨だという。

 梅田墓は、当時の中心部から離れた所に点在していた「大坂七墓(おおさかななはか)」の一つ。お盆の時期、7カ所を回って霊を供養する「七墓巡り」が庶民の間で流行していたとされるが、中でも梅田墓は代表的な墓地。人形浄瑠璃作家・近松門左衛門の作品「曽根崎心中」などに登場する。1900年代に入ると、墓の統廃合や街の拡大により、人々がお参りに訪れる場としての機能は別の墓地へ移されたという。

当時に疫病や自然災害が?

 調査の結果、梅田墓は石垣で囲まれ、内部も石垣で南北に分けられていることがわかった。

 北側では約600体が見つかり、4~5体を積み重ねたとみられる穴が10個前後あった。南側で見つかったのは約900体。木製の四角い棺(ひつぎ)や桶(おけ)、丸型の甕棺(かめかん)に1体ずつ座った姿で埋葬されたとみられるもののほか、複数体がまとまっている状態のものもあった。

 こうした状況から、一度に多くの犠牲者を出した疫病や自然災害などがあったと考えられるという。発掘が進むほど見つかる人骨も増え、今後さらに増える可能性があるとみられる。

 こうした土葬された遺体の人骨のほか、火葬で生じた焼骨(しょうこつ)の混じった炭や灰を含む土もあった。土は、高さ1メートル近くまで積まれた建物の礎石とみられる石のそばで見つかったことから、納骨堂のような施設があった可能性もあるという。墓地造成の盛り土にも焼骨の混じった土が使われており、焼骨を納める器も大量に見つかっている。

 古代から近世の墓に詳しく、調査に助言している大阪大谷大の狭川真一教授(考古学)は「当時の都市社会の様子をうかがえる貴重な史料」と話す。複数の遺体が埋葬されていた穴は、「寄せ集めて機械的に埋めた印象がある」とし、「血縁関係にない都市民たちの共同墓所の色合いが強い」という。「肥前大村」「広島」など出身地とみられる地名が入った墓標も見つかっており、「現代と同じく全国から大坂に人が集まっていたのではないか」とみる。

 発掘調査は、うめきた2期区域の再開発が本格化するのを前に、2017年2~6月に初めて実施された。今回は2回目で、昨年9月~今月末の予定。専門家らが1年以上かけ分析を進め、報告書にまとめる。

 前回の調査では、人骨200体以上が見つかった。平均年齢30代で、梅毒や骨肉腫などによる骨の病変も一部に確認されたという。同協会は、今回発掘された人骨も、前回と同時代の庶民のものとみている。

 市教委と同協会の依頼で人骨などの分析に関わる大阪市立大大学院医学研究科の安部みき子特任助教(人類学)は「人骨の科学的分析と文献史料を照らし合わせ、歴史上の記録には残っていない市井の人々の健康状態や環境を明らかにしたい」と話す。

 うめきた2期区域では、23年に新駅ができ、24年に一部の街開きが予定されている。都市公園、高層オフィスビル、ホテルや住宅の建設が計画され、27年に全面開業が予定されている。(花房吾早子)

https://digital.asahi.com/articles/ASN8F5T8DN8FPTIL01P.html