「中外日報」が取り上げる「墓制の無縁化」

「深層ワイド」の名にふさわしく、現代人が抱える問題に広く目を配り、行き届いた内容の記事です。他の事例も思い浮かべながら、宗教紙という枠を超えて広く読まれるべきものだと思います。

お墓の社会学―社会が変わるとお墓も変わる

お墓の社会学―社会が変わるとお墓も変わる

宗教の社会貢献を問い直す―ホームレス支援の現場から (関西学院大学研究叢書)

宗教の社会貢献を問い直す―ホームレス支援の現場から (関西学院大学研究叢書)

身寄りない人の埋葬地は 「墓制の無縁化」は進む
2016年3月30日付 中外日報(深層ワイド)

継承者を必要としない永代供養墓への納骨がますます増えている。少子化が進み生涯未婚率が上昇する中、自ら望んで樹木葬型の墓などを求める場合もあれば、身寄りのない高齢単身者が死後に行政により合祀墓に埋葬されるケースもある。こうした「墓制の無縁化」に直面する中で、僧侶らは墓を起点にして、縁を紡ぎだそうとしている。(丹治隆宏)

f:id:bluetears_osaka:20160706142424j:plain
太夫浜霊苑に新設された樹木葬墓地(新潟市北区)。中央にはシンボルツリーのケヤキが立つ

松林を切り開いて整備された1450平方メートルの敷地の中央には、青々とした芝生が敷き詰められ、奥にはシンボルツリーとなるケヤキが1本植えられている。献花台がなければ、一見して墓には見えない。

多数の遺骨を埋葬して、墓石の代わりに樹木を墓標とする樹木葬型の永代供養墓が、公設霊園で急速に広がりつつある。

新潟市開発公社が運営する太夫浜霊苑(同市北区)では来月から、昨年完成した樹木葬墓地への遺骨の受け入れを始める。

芝生の下には、遺骨を「個別埋蔵」するためのスペースが1500個ある他、複数の遺骨を「合同埋蔵」するための空間も設けた。使用料は個別埋蔵の1体用が31万400円で、合同の場合は1体用が10万6800円。木綿の袋に入れた状態で埋葬する。

公設霊園で樹木葬墓の建設が進む背景には、初期費用のみで、年度ごとの管理料が要らない永代供養墓に対するニーズの高まりがある。

樹木葬墓の設置に向け、2016年度の当初予算に設計や測量の費用を組み込んだ京都市。市の担当者は「合葬形式での納骨が増えている」と明かす。

建設予定地の深草墓園(京都市伏見区)にある納骨堂。骨壺から出して合祀する永年納骨は14年度、839体だった。10年前の04年の278体に比べ3倍にもなった。

生涯未婚者が急増

『お墓の社会学』の著者である京都女子大宗教・文化研究所の槇村久子客員研究員は、継承者不要の墓が今後もさらに求められることになるという。理由の一つとして、生涯未婚率の上昇を挙げる。1965年には男性1・5%、女性2・53%だったが、2010年はそれぞれ20・14%と10・61%になった。「彼(彼女)らは高齢単身者になり、葬送・墓制における無縁化をさらに推し進める」と指摘する。

死者と生者が紡いだ縁を育む墓に 「墓制の無縁化」は寺院でも進む

継承者を必要としない「墓制の無縁化」は、公設墓地だけでなく、寺院でも進む。こうした状況の中で、死者と残された者との縁をつなぐ墓の在り方が模索されている。一方で、引き取り手がない遺骨に向き合う僧侶は、「無縁仏」と呼ばれる人々が生前に紡ぎ出してきた縁を思う。

弘前市専求院花言葉に死者の思い込め 永代供養墓「ハナミズキ

f:id:bluetears_osaka:20160706142643j:plain
専求院に建立された樹木永代供養墓「ハナミズキ」。数多くの塔婆が供えられている

青森県弘前市の浄土宗専求院は2013年、県内初になる樹木永代供養墓「ハナミズキ」を建立した。合葬スペースを設けた他、周辺には数体ずつ納骨できる「家族友人葬」や「自然葬」区域などをつくった。村井龍大住職(40)は「もともと檀家も少なく、後継者が関東圏にいる場合も多い。1人亡くなれば、檀家が1軒減るという状況だ。今まで通りやっていけば、寺が成り立たなくなる。伝統を守りながらも、現代のニーズに合わせたものを始めなければ、寺として残ることができない」と語る。だが、「永代供養墓が骨を捨てる場所になってしまうのではないだろうか」との懸念もあった。

「亡くなった方の思いが残された人へ、残された人の思いが亡くなった人へ届く場所にしたい」との思いを込め、シンボルツリーには「私の思いを受け取ってください」という花言葉の「ハナミズキ」を選んだ。

遺族らが墓に参る機会をつくろうと、花が咲く時期を見計らって合同供養祭を計画し、案内を出す。昨年は約50人が参列する中、納骨者の名前を読み上げ、回向を捧げた。

法要は古くから、死者との縁を育む機会を提供してきた。樹木墓を設置した公設霊園でも、宗教行事などへ配慮を示している。東京都小平霊園で12年に完成した「樹林墓地」。初回の使用者の公募には、募集数の500体に対して16・3倍もの申し込みがあった。15年度も倍率は10倍を超えている。

納骨する場合は管理事務所のカウンターで手続きを終えた後、墓地に接する献花台に遺骨を仮安置して、花や線香を手向けることができる。一周忌などの法要は事前に予約すれば献花台の前で営むこともでき、僧侶を招くこともできる。

新潟市の太夫浜霊苑では、樹木葬墓地の開設に合わせて管理事務所を新築した。遺骨の引き渡しを行うための専用の部屋を設け、香炉や燭台、花立などを準備した。

だが、仏事を営むことができる環境はあるものの、小平霊園を管理する東京都公園協会によると「僧侶による法要は、それほど目立って多いわけではない」という。

専求院の永代供養墓への納骨の申し込みは、300件を超えた。村井住職には「都市部と違って、青森で受け入れられるだろうか」との思いもあっただけに、反応に驚いている。だが、目指すのは「樹木葬の寺」ではなく、「生きている人のための寺」だという。同院では、餅つきや音楽の演奏会など多くの催しを行う。「お墓で縁をつないだ方が、寺に足を運ぶきっかけをつくっていきたい。それが、生きるための仏教につながっていく」と力を込める。

高砂市薬仙寺先祖に手を合わせる場を 地域の人のための納骨堂

f:id:bluetears_osaka:20160706142832j:plain
西田住職(右)の導師で営まれた納骨堂の落慶法要(2014年11月16日)

京都市内のある総本山の参拝窓口の職員は「(宗門寺院や公設の霊園などで)墓じまいして、遺骨が持ち込まれることが3年ほど前から急に増えてきた」と話す。現在では依頼者と事前のやりとりを綿密にすることで、スムーズな対応ができているが、以前は段ボール箱に無造作に入れられたり、土が付いたままの遺骨が運ばれてくることもあった。

厚生労働省の調査によると、2014年度の改葬の件数は8万3574件。5年前の09年度は7万2050件だったが、13年度から2年連続で8万件を超えている。

「子どもたちに迷惑を掛けたくない」「墓を守ってくれる子どもがない」といった理由で、先祖の墓の改葬を望む市民も多いが、近隣に納める墓がない場合もある。

そうした悩みに応えて、地域に永代供養墓をつくることで、先祖たちに手を合わせる機会を残そうとする僧侶もいる。

兵庫県高砂市浄土宗西山禅林寺派薬仙寺の西田光衛住職(85)は一昨年11月に納骨堂を建立、宗派にこだわらず遺骨を受け入れる永代供養墓を内部に設置した。これまでの納骨は19件だが、埋葬は60体を超える。

父母や親類の遺骨を納めてほしいと訪ねてくる人たちに対して、年忌法要などを勧めたりはしない。「いつでも鍵は開いている。来られるときに来て、手を合わせればいい」と語り掛ける。

それでも、供養してほしいという依頼もあれば、彼岸に納骨堂に来て、西田住職が気付かぬうちに線香を供えていく人もいるという。

「家の墓はなくなったが、お参りに行きたいと思うこともあるだろうし、寺の前を通ったときに、ここにお父ちゃんとお母ちゃんが入っているんだと手を合わせることもあるだろう」。西田住職は、永代供養墓が地域の人々にとって、縁を確認する場所になってほしいと願う。

大阪市貧困が生み出す「無縁仏」 生前の縁は生き続けている

f:id:bluetears_osaka:20160706143017j:plain
市設南霊園にある無縁堂。香炉には線香代わりに供えられたタバコの吸い口だけが燃え残っていた

大阪市内の引き取り手のない遺骨が埋蔵される市設南霊園(同市阿倍野区)の無縁堂。ここに通い続ける真宗大谷派の僧侶、川浪剛さん(54)は「彼らを、本当に無縁さんと呼んでいいのか。誰にも看取られなかったとしても、僕らはその存在を知っている。生きた軌跡が私たちの心に刻み込まれている」と力を込める。

同市では、5カ所の斎場で火葬した後に引き取り手のない遺骨は、1年余り保管された後、毎年9月に無縁堂に合祀される。昨年の納骨数は、ついに2千人を超えた。2005年は1044人だったが、15年は2039人と10年で2倍近くに増えた。

死後の行方を失った人々の状況は様々だ。同市によると2039人のうち、身元不明の「行き倒れ」である行旅死は75人、それを除く生活保護受給者を示す「民生」は1764人、それ以外の「一般」は200人だった。

『宗教の社会貢献を問い直す―ホームレス支援の現場から』などの著書がある白波瀬達也・関西学院大准教授は、日雇い労働者の街「釜ケ崎」を中心に居住支援が進み、生活保護を受けて野宿生活から抜け出すことができたケースが増えたため、過去に比べ「行旅」は減少しているとする。

だが、「かつて野宿者だった人々は血縁が絶たれがちなので、亡くなった際に無縁仏になりやすい。彼らに限らず、貧困状態にある人々は相対的に血縁が希薄であるため『民生』が増加した」と指摘する。さらに10年前に比べて2・5倍に増えた「一般」については、「墓を設ける経済力の不足、継承する親族の不在が背景にある」と説明する。

川浪さんは、釜ケ崎での支援活動や、身寄りのない人々の葬儀の導師を依頼された経験から、「無縁仏」と呼ばれる人々が生前につないだ縁が、死後も生き続けていることを実感した。

毎年8月に開かれる釜ケ崎夏祭りの慰霊祭では、亡くなった仲間のために、涙を流しながら線香を手向ける「おっちゃんたち」の姿を目にしてきた。

死後におじに引き取りを拒まれた30代後半の男性の葬式を出したのは、住み込みで働いていた新聞販売所の所長だった。酒好きで無口だが、仕事をしっかりとこなしたという男性のひつぎには、せめてもの手向けとして、その日のスポーツ新聞が供えられた。

「最期に引き取り手がないとしても、生きているうちにたくさんの人と出会ったはず。無縁堂には、その人々の物語が詰まっている」と人々が紡いできた縁に思いをはせる。

http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/shinsou/20160330-001.html
http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/shinsou/20160330-002.html
http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/shinsou/20160330-003.html
http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/shinsou/20160330-004.html