これも9月に3度目の訪問を敢行した、国立利川護国院。過去2度の訪問については、こちらをどうぞ。
いつものように東ソウルバスターミナルから、一竹に向かう市外バスに乗ります。
今回は、過去には利用しなかった護国院のシャトルバスを使ってみようと、コンビニ兼用のバスターミナルでしばらく待ってみます。徒歩だとそれなりにかかる4キロ強の道のりも、10分とかからず護国院に到着してしまいます。ちなみに往路の利用者は1人だけ。復路でも3組ほどしか利用者はいなかったので、シャトルバスといっても車両はミニバンクラスと合理的。
かくして久々に訪れた利川護国院は、大きくは変わっていないものの、細かく見ていくといろいろと変化が見えてきます。
まずすぐ目についた変化は、墓域に入ってすぐのこと。
どこもかしこも納骨壇の覆いが開けられ、透明なアクリル扉を通して骨壷や名標が見えるようになっています。以前であれば、この覆いは納骨が済むと閉じられ、区画ごとに一枚の壁画と化していました。
覆いが閉じられるとどんな様子になるかについては、まだ受け入れが始まっていないさらに上の区画を見てみればいいでしょう。
こうした壁画群は、時代的には古代から現代へと下りながら、ナショナリズムを宣揚するものとして企画されていることが明らかです*1。国家有功者の納骨壇にこのような壁画デザインを用いることで、個人を超えた国民的一体感を演出していたはずの利川護国院が、今はその壁画となる覆いをおろしてしまっているというのは、まあ要するに、「個人の骨壷が見えるようにしてほしい」という遺族側の要望に応えているということなのでしょうね。
利川護国院のような屋外型の納骨壇は、他のところでも不透明の石材で覆われる例がほとんどなのですが、最近の納骨壇には中が見える透明な扉を採用しているものも少なくありません。それに、利川護国院の納骨壇はアクリル扉で内部を密閉して不活性ガスを注入する、なんてことを謳っているわけですから、納骨堂の条件としては壁画の覆いを開くことにあまり問題はありません。国家報勲政策的にこれでいいのかは不明ですが、遺族の要望がナショナリズムに優っているというのが現状のようです。
いずれにせよ、かつては自然葬地にするかと思われた用地にも、同じデザインの納骨壇が順次設置されています。
2008年の開院から5年、利川護国院全体が、国家有功者のためのニュータウンとして、完成に近づきつつあるようです。
*1:細かいところでは、いろいろとツッコみたくなることもあるのですが。