『大韓民国史』刊行白紙化というニュース
つい先日、大韓民国歴史博物館と独立紀念館とを相次いで訪れたところ*1で、こういうニュースにぶつかるというのも、なかなかの巡り合わせです。
25年前と今、二つの『大韓民国史』の挫折は、独立紀念館と大韓民国歴史博物館のそれぞれの〈とっちらかり〉ぶりと、明らかに関連しています。
記事入力 : 2013/02/19 13:03
現代史の視点に相違、『大韓民国史』刊行白紙化国史編さん委員会が韓国の正史として企画した『大韓民国史』の刊行が、事実上白紙化された。同委関係者は18日、「学界では韓国の現代史研究をめぐる視点に相違が依然として存在しており、国史編さん委が『大韓民国史』という名前で現代史を書くのは時期尚早だという判断から見直しを進めている」と述べた。
国史編さん委は2011年から15年にかけて6億ウォン(約5200万円)の予算を投じ、10巻から成る『大韓民国史』を刊行する予定だった。大韓民国臨時政府期、日本による植民地支配からの解放直後と韓国戦争(朝鮮戦争)、1950年代、60−70年代、80年代以降の歴史をそれぞれ1巻とするほか、分野別の歴史を5巻の資料集としてまとめる予定だった。
編さん委員長は金喜坤(キム・ヒゴン)安東大教授が務め、各時代の執筆は都珍淳(ト・チャンスン)昌原大教授、鄭秉峻(チョン・ビョンジュン)梨花女子大教授、洪錫律(ホン・ソクリュル)誠信女子大教授、許殷(ホ・ウン)高麗大教授が担当することになっていた。
韓国では80年以降、『解放前後史の認識』など民族主義、民衆主義的史観の現代史書籍が広く読まれ、左派偏向が進んだ。国史編さん委が『大韓民国史』の刊行を計画したのは、そうした現状を正し、バランスが取れた現代史教育を行うことが必要だという問題意識がきっかけだった。しかし学界内にも、現代史をめぐる視点の相違は共通点を探ることが難しいほど存在している。先ごろ、高校の近現代史教科書の左傾化論争が起きたのは代表的な例だ。
『大韓民国史』の編さん過程は順調ではなかった。各巻の執筆を担当する編さん委員、執筆者が見つからず、詳細な目次も決まらなかった。しかし、編さん計画が白紙化されたのは、右派勢力から編さん委員の「偏向ぶり」を問題視する声が上がったことも一因だ。ある委員が、左派寄りの団体の制作した現代史ドキュメンタリーに出演した点、別の委員が大韓民国歴史博物館の建設に反対する文章を書いた点が発端だった。また、非公開で進められてきた『大韓民国史』編さん作業が政権交代期というデリケートな時期に公となり、国史編さん委が政治的意図を持っているのではないかという疑惑も浮上した。
国史編さん委は各時代史を韓国史の一部として刊行するのは困難だと判断し、資料集的な分野別の歴史書を刊行することも検討している。同委は今月中に会合を開き、最終的な立場について調整する予定だ。
金基哲(キム・ギチョル)記者
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/02/19/2013021901171.html
記事入力 : 2013/02/19 13:03
【コラム】『大韓民国史』と国史編さん委の錯覚
金泰翼(キム・テイク)論説委員国史編さん委員会は過去に『大韓民国史』を刊行したことがある。盧泰愚(ノ・テウ)政権初期の1988年のことだった。「建国40年で初の大韓民国正史だ」と自慢ぶりも相当だった。同委の委員長が編さん委員長を務め、「各分野で最も権威ある学者9人で執筆陣を構成した」というだけあって、それなりの体裁も整えていた。783ページの分厚い書籍だった。
しかし、当時の『大韓民国史』に対する社会の関心は、出版を報じる新聞記事が全てだった。その前年、盧泰愚・民主正義党代表は「大学街の過激なデモの背景には、学生の韓国史に対する否定的な認識がある」と述べた。それを受け、国史編さん委はわずか1年3カ月で『大韓民国史』をまとめた。しかし、執筆者の間で歴史観や執筆原則を話し合う余裕すらなかった。1961年の朴正熙(パク・チョンヒ)少将(当時)による5・16軍事クーデターをめぐっては、同じ本で執筆者によって「革命」「クーデター」という記述が混在した。80年の公職者粛清をある執筆者は「選別基準があいまいだ」と書き、別の執筆者は「クリーンな社会をつくろうという意思の表れ」と書いた。
当時は「韓国は米国の新植民地だ」という主張から、韓国戦争(朝鮮戦争)は韓国側が北朝鮮に侵攻したことで始まったという「北侵説」に至るまで、あらゆる左派史観が登場した時代だった。それに対抗するまともな『大韓民国史』は必要だった。しかし、権力の注文に合わせて急がれた歴史書編さん作業は手抜き工事同様で、その結果生まれた『大韓民国史』はすぐに国民の記憶から消え去った。そして、左派史観がさらに台頭することになった。
25年前の話を今になって思い出したのは、年初から国史編さん委員会による新たな『大韓民国史』の編さん方針をめぐる論争が起きたためだ。李泰鎮(イ・テジン)国史編さん委員長は先月、ある新聞のインタビューで突然「全10巻から成る『大韓民国史』の編さん作業を進めており、年内に第1巻を出す計画だ」と語った。今回も同委は「政府樹立65年で初の『大韓民国正史』」だと自慢した。
民間企業の社史、地方都市の市史を書く上でも、編集方針に対するメンバーの共通認識が求められ、最も適任の筆者を探すプロセスが必要だ。李委員長の発言があるまでは、国民はもちろん、歴史学者の大半も国史編さん委が新たな大韓民国史を書いているという事実を知らなかった。「新政権が発足する時期に合わせ、国史編さん委が大韓民国史を新たに書く意図は何か」という問い掛けも相次いだ。一部編さん委員が大韓民国歴史博物館の建設反対で先頭に立ったり、大韓民国建国をおとしめる内容の歴史ドキュメンタリーに出演したりしていた点から、新たな『大韓民国史』の編さん方針にも疑問が提起された。論争の末、国史編さん委はこれまで進めてきた編さん作業の中断を決めた状況だ。
国史編さん委が新たな『大韓民国史』の編さんに着手し、それをマスコミを通じて公表する過程で、朴槿恵(パク・クンヘ)新大統領へと権力が移行する時の流れがどれだけ意識されたかは分からない。ただ明らかなことは、国史編さん委が密室で拙速な形で大韓民国史を編さんすれば、正史を刊行するどころか、25年前の過ちをまたも繰り返したであろうことだ。
さらに根本的な問題がある。『大韓民国史』の編さんが必ずしも国史編さん委や国史学界だけの仕事ではないという点だ。彼らはそれを担当するだけの力量を備えているだろうか。国史学界が民衆・民族主義の泥沼に陥り、大韓民国史に偏狭な解釈を加える間、経済史、社会史、文化史など他の人文社会科学的分野では大韓民国史の真実に近い業績を数多く重ねてきた。
韓国の現代史を正しく認識する視角を備えた学者が学問の壁を越え、十分に頭を突き合わせなければ、成熟したバランスある『大韓民国史』は生まれない。
金泰翼(キム・テイク)論説委員
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/02/19/2013021901170.html
大韓民国歴史博物館の来歴については、こちらで断片的に取り上げていますが。
より根本的なところでは、光復と建国とをめぐるせめぎあいが、そこにはあるわけです。
個人的な感想を言わせてもらえば、独立の何たるかも明らかでない中で、建国を云々しようとしても、それはまあ無理に無理を重ねることになると思いますよ。
関わっている方々がそれぞれに真剣であることを疑いはしませんし、統合的な通史への努力はこの25年間の間にもそれなりに進んできたとは思いますが、『大韓民国史』への道のりは、まだまだあまりに遠いものであるようです。