「2013年の5.18」余録

今年、いつになく歴史認識をめぐる話題となった「5.18」。その余録を少しばかり。

朝鮮日報は相変わらずこの話に関する記事の掲載は少ないのですが、その中で目を引いたのがこれ。

記事入力 : 2013/05/26 07:57
光州事件とその後の抗争をめぐる戦いの記録
【新刊】羅看采(ナ・ガンチェ)著『光州抗争、復活の歴史づくり』(ハヌル・アカデミー)

 5・18光州民主化運動(1980年5月18日、光州事件)とその後の抗争をよみがえらせようとした、戦いの記録。ナ・ガンチェ光州研究所理事長は、事件発生後の抵抗運動を「5月運動」と定義し、1980年に敗北した抗争を「勝利した抗争」として復活させる歴史的プロセスだったと語った。1万7000ウォン(約1530円)。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/05/26/2013052600181.html

元記事は11冊の新刊を紹介する記事だったのですが、なぜこの1冊だけを取り出して翻訳記事にしたのかは謎です。翻訳者個人のチョイスだったのでしょうか。『독도를 일본에 빼앗기지 않으려면』とか、他にもいろいろ紹介されているんですけどね。

[한줄읽기]새판을 짜다 외 - 조선닷컴

東亜日報にはこちらの記事が出ています。この記事の内容からして、「肝心の写真がないとわけわからんやないか」と思うのですが、東亜日報日本語サイトは、記事と写真を同時に掲載できないようになっていたりするんでしょうか。

5・18団体、「息子の棺の前で号泣する母親」写真を冒涜したサイトを告訴へ
MAY 25, 2013 03:05

インターネットサイト「日刊ベスト保存所」(イルベ)に最近、ある母親が息子の遺体が安置された棺の前で号泣する様子を写した白黒写真が掲載された。5・18民主化運動の痛みを象徴する有名な写真だ。

しかし、このサイトに写真を掲載した人が、写真に「ああ、息子が宅配で送られてきた。着払いだ」というタイトルをつけた。子どもを失った悲しみに打ちひしがれる母親を冒涜したこのような行為に対して、5・18遺族会などは24日、法的に対応する方針を明らかにした。

東亜(トンア)日報取材チームが確認した結果、写真の母親は1980年当時、光州(クァンジュ)で店を経営していたソン・ヨンドさん(当時46才)だ。

1980年5月21日、ソンさんは釈迦生誕の日に家族の健康を祈るために光州東区西南洞(トンク・ソナムドン、旧市庁交差点)の自宅から寺に行く途中、隣人に会った。「全南(チョンナム)道庁の前で市民が集まって、ご飯も食べずに軍人と一晩中戦っている。支援できるか」と言われ、ソンさんは「デモには参加できないが、それぐらいはできる」と言って、1000ウォン寄付した。人々から集めた寄付金10万ウォンで、スーパーでパンや牛乳、ゆで卵などを買った。そして、全南道庁に行き、「独裁打倒」、「民主主義守護」を叫ぶ市民たちにパンを配った。

ソンさんは、ある市民が対峙していた戒厳軍を指差して「あの人たちもご飯を食べていないだろうに。食べ物をあげよう」と言ったので、ゆで卵を渡した。弟のようだったからだ。戒厳軍は「ありがとう」と言って、がつがつと食べた。

ソンさんは、市民と戒厳軍が対峙する胸の痛む状況が早く終わることを願って帰宅した。家に帰えると、息子(キム・ワンボン君、当時14才・光州ムドゥン中学校3年)が見あたらなかった。息子は母親がなかなか帰ってこないので、母親を探しに行ったのだ。

その日の夕方、息子の帰宅を待っていたソンさんは隣人から、「道庁の前で銃に撃たれて死んだ人の中に髪の短い中学生ぐらいの子どもがいた」という青天の霹靂のような話を聞いた。一晩中市内の病院を探し回ったソンさんは、22日午前、光州赤十字病院霊安室で息子の遺体を見つけ、失神した。息子は母親とすれ違い、道庁前まで行って戒厳軍の集団発砲で銃に撃たれて亡くなったのだ。韓国戦争当時、北朝鮮から1人で韓国に来て結婚したソンさんは、早くに夫と死別し、女手一つで3人の子どもを育てた。優等生だった一人息子は、彼女にとって生きがいだった。

ソンさんは先に逝った息子を8日間埋葬できなかった。当時は安置する場所がなく、軍と対峙する状況だったためだ。5月29日、望月洞(マンウォルトン)墓地に息子を埋葬する母親の胸は張り裂けんばかりだった。彼女が号泣する姿は、望月洞墓地で取材していたナ・ギョンテク氏(5・18当時全羅毎日写真部次長)のレンズに収められた。

5・18記念財団は、ナ氏のほかにもファン・ジョンゴン、キム・ヒョンマン氏(当時東亜日報写真記者)らが撮った5・18民主化運動と6月民主抗争の写真を集めて1991年に「5月、民主主義の勝利」という写真集を出版した。この本に、ソンさん親子の悲劇は「望月洞墓地、棺の前で号泣する母」というタイトルで載っている。

ソンさんは息子の無念の死を胸に苦しい歳月を送り、2003年に69才で亡くなった。ワンボン君は現在、国立5・18民主墓地1−18番に埋葬されている。

ワンボン君の妹(45)は24日、東亜日報の電話取材に対して、「イルベの会員が人間ならこんな冒涜はできない。もし自分の家族が同じ悲劇にあったなら、こんな言葉を書けるだろうか」と怒りを露にした。

イルベに掲載された5・18冒涜写真はこれだけでない。民主化運動の犠牲者を「宅配」、「ガンギエイ」とも呼んでいる。5・18負傷者の会、5・18遺族会、5・18拘束負傷者の会は、イルベが5・18犠牲者を冒涜した写真6枚のうち被害者や遺族を探して法的対応に出る考えだ。5・18記念財団のキム・チャンホ事務局長は、「被害者や遺族が告訴する場合、死者名誉毀損で処罰が可能だという結論を得た」とし、「イルベ関係者を告訴し、処罰を受けさせる」考えを明らかにした。

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2013052526698

というわけで、元の記事をクリップ。

보수 사이트 ‘일베’ 일부 회원이 모독한 5·18 통곡사진 속 가족 알고 보니…
기사입력 2013-05-25 03:00:00 기사수정 2013-05-25 10:00:02

봉사 나간 엄마 찾던 중학생 軍총탄에 그만…


고 송영도 씨(가운데)는 1980년 5월 21일 계엄군의 전남도청 앞 집단발포로 중학생이던 외아들 김완봉 군(작은 사진)을 잃었다. 송 씨가 5월 29일 광주시립묘지인 망월동 묘역에 아들을 안장하며 오열하는 사진에 최근 웹사이트 ‘일간베스트저장소’에서 ‘아이고 우리 아들 택배 왔다. 착불이요’라는 제목을 붙이는 등 모독을 해 공분을 사고 있다. 5·18기념재단·유족회 제공

인터넷 사이트인 ‘일간베스트 저장소(일베)’에는 한 어머니가 아들의 시신이 안치된 관 앞에서 오열하는 모습의 흑백사진이 최근 올라왔다. 5·18민주화운동의 아픔을 상징하는 사진 가운데 하나로 널리 알려진 사진이다.

그런데 이 사이트에 사진을 올린 사람은 사진에 ‘아이고 우리 아들 택배 왔다. 착불이요’라는 제목을 붙였다. 자식을 잃은 슬픔에 몸부림치는 어머니의 비극을 모독한 이런 행위에 대해 5·18유족회 등은 강력한 법적 대응을 할 방침이라고 24일 밝혔다.

동아일보 취재팀이 확인한 결과 사진 속 어머니는 1980년 당시 광주에서 가게를 운영했던 송영도 씨(당시 46세)다.

1980년 5월 21일, 송 씨는 석가탄신일을 맞아 가족들의 건강을 빌기 위해 광주 동구 서남동(당시 구시청 사거리) 집에서 절로 가던 중 이웃주민을 만났다. “전남도청 앞에서 시민들이 모여 밥도 못 먹으며 군인들과 밤새 싸우고 있는데 도와줄 수 있느냐”는 말을 듣고 송 씨는 “내가 데모는 못하지만 그런 일은 해야지”라며 성금 1000원을 낸 뒤 함께 모금을 했다. 십시일반으로 모은 성금 10만 원으로 동네슈퍼에서 빵과 우유, 찐계란 등을 샀다. 그러고는 전남도청으로 가 ‘독재타도’ ‘민주주의 수호’를 외치고 있던 시민들에게 빵 등을 나눠줬다.

송 씨는 한 시민이 대치하던 계엄군을 가리키며 “저 사람들도 밥을 못 먹고 있을 텐데 먹을 것을 갖다 주자”는 말을 듣고 찐계란 여러 판을 건넸다. 남동생 같았기 때문이다. 계엄군은 “고맙다”며 허겁지겁 계란을 먹었다.

송 씨는 시민과 계엄군이 대치하는 가슴 아픈 상황이 빨리 끝나기를 바라며 귀가했다. 그런데 집에 오니 아들(김완봉 군·당시 15세·광주 무등중 3년)이 보이지 않았다. 아들은 엄마의 귀가가 늦어지자 엄마를 찾으러 집을 나간 것이었다.

그날 저녁 아들의 귀가를 기다리던 송 씨는 이웃주민들로부터 “도청 앞에서 총에 맞아 숨진 사람 가운데 머리가 짧은 중학생으로 보이는 아이가 있었다”는 청천벽력 같은 소식을 들었다. 밤새 시내 병원들을 찾아 헤맨 송 씨는 22일 오전 광주 적십자병원 영안실에서 아들의 시신을 찾고 바로 실신했다. 아들은 엄마와 길이 엇갈려 도청 앞까지 갔다가 계엄군의 집단발포 때 총에 맞아 숨진 것이다. 6·25전쟁 당시 북한에서 홀로 내려와 결혼을 한 송 씨는 일찍 남편을 여의고 혼자 사남매를 키웠다. 우등생이었던 외동아들은 그에게 삶의 등불과 같았다.

송 씨는 먼저 떠난 아들을 8일 동안 묻지 못했다. 당시 안장할 장소도 없었고 군과 대치하는 상황이었기 때문이다. 5월 29일 망월동 묘역에 아들을 안장하는 어머니의 가슴은 찢어졌다. 그가 오열하는 모습은 이날 망월동 묘역에서 취재하던 나경택 씨(5·18 당시 전남매일 사진부 차장)의 렌즈에 담겼다.

5·18기념재단은 나 씨를 비롯해 황종건 김녕만 씨(이상 당시 동아일보 사진기자) 등이 찍은 5·18민주화운동과 6월 민주항쟁 사진들을 모아 1991년 ‘오월, 민주주의의 승리’라는 사진집으로 출간했다. 이 책에 송 씨 모자의 비극은 ‘망월동 묘역 관 앞에서 오열하는 어머니’라는 제목으로 실려 있다.

송 씨는 아들의 억울한 죽음을 밝히기 위해 한 많은 세월을 보내다 2003년 69세의 나이로 작고했다. 완봉 군은 현재 국립5·18민주묘지 1-18번에 안장돼 있다.

고 완봉 군의 여동생(45)은 24일 동아일보와의 통화에서 “일베 회원들이 인간이라면 이런 모독을 할 수는 없다”며 “만약 자기 가족이 같은 비극을 당했다면 이런 글을 쓸 수 있겠느냐”고 말했다.

일베에 올라온 5·18 모독 사진은 이뿐만이 아니다. 민주화운동 희생자들을 ‘택배’, ‘홍어’로 지칭하는 등의 작태를 보이고 있다. 5·18부상자회, 5·18유족회, 5·18구속부상자회는 일베가 5·18 희생자들을 모독한 사진 6장 속 피해자나 유족들을 모두 찾아 법적 대응키로 했다. 김찬호 5·18기념재단 사무처장은 “피해자나 유족들이 고소할 경우 사자명예훼손으로 처벌이 가능하다는 결론을 얻었다”며 “일베 관계자들을 모두 고소해 처벌받도록 할 것”이라고 말했다.

광주=이형주·정승호 기자

http://news.donga.com/Economy/3/01/20130525/55396966/1

上の記事に関連して、ハンギョレのこの記事が興味深かったですね。どこぞの国のどこぞの団体とか、ある種のサイトのコメント欄に集う人々とか、容易に想起されます。国境を越えたお仲間ですね。

[土曜版]親切な記者たち イルベにも表現の自由はあるんじゃないか〜ということであります
登録 : 2013.05.25 00:01 修正 : 2013.05.25 10:05


広告が中断されたイルベのサイト 画面キャプチャー

 こんにちは。 お初にお目にかかります。 今週の親切な記者、土曜版チーム チェ・ウリです。 道で出会った名前も知らない犬や猫にも親切を施したい私は、人にはさらに親切です。 おかげで今まで他人にひどく非難されたこともないんですが…記事を一つ書いて一生分の悪口を食らったことがあるので、私をののしった彼らの‘表現の自由’について話してみようと思います。 民主党がイルベの5・18民主化運動に対する過度な戯画化と歪曲を理由に運営禁止仮処分申請をしたんですが、親切ですが一言言いたいチェ記者が皆さんと考えてみる主題は‘イルベと表現の自由’です。

 時は去る1月18日午後、イルベに見られる原初的暴力に対する分析記事(<ハンギョレ> 1月19日付12面)を書いた直後でした。 インターネット・ハンギョレに記事が掲示されて1時間も経たない午後4時頃、カカオトークが来ました。 "記事を書かれたハンギョレ記者の方なら今すぐに番号を変えられた方が良いでしょう。 (中略)番号をはたかれるのも間もなくです。 狙撃手たちが来れば記者の自宅まではたかれるでしょう。"

 率直に言って驚きました。 会った事もない20代初めの一人の男性が、新聞社の電話でもなく個人の携帯電話ですぐに話をしてきたんですから。 まもなくメールボックスには記事内容が誤っっているとしてイルベ人たちから怒りと悪口と嘲弄を交えたメールがあふれました。 知人が言うには、私のツイッターがイルベ掲示板に上げられてメッタ切りにされているとのことでした。 いわゆる身上はたきでしょう。 昨年息をひきとった伴侶犬と共に撮った私の写真が大きく掲示され、記者になる以前に友人たちと交わした冗談までもが公開されたようでした。 イルベ人たちが嫌いな‘キムチ×’(女性卑下的表現)の‘チュァジョム’(左翼ゾンビ・進歩卑下的表現)記者であったから、噛み甲斐があったでしょう。 状況がその程度になると、むしろ私を心配してくれる知人たちを私がなだめる状況になりました。 保守新聞の記者たちが一番最初に 「生きているか? 告訴しろ」として連絡してきたことも印象的でした。

 序論が長くなりましたがイルベの戦闘力を体験した、しかし二度とは体験したくない記憶を取り出したのは、イルベ人のアイデンティティをよく示す場面だと考えるからです。 2時間ほどの間、合間合間にカカオトークとチャットを交わしたイルベ人はイルベについてこのように説明しました。

 "イルベで罵る理由は、インターネットでまで良い話で誉めることは虚飾と見るからだ。 良ければ原初的に良いと言うべきだ。‘とても美しいです’ということが虚飾だ。 イルベはそのような飾りがない。 互いに障害者、バカ、このように言い合いながら遊ぶ。 私はイルベでコメントを付けながらストレスを解いている。"

 "(障害者卑下について)精神肢体障害者が自ら認証してイルベに来る。 イルベは本当にからだに障害があっても同じように受け入れる。 私はむしろイルベをしながら障害者に対する偏見も消えたし、ただ人間として受け入れられた。 実際に男女不平等がどこにあるか? 感性を刺激して(女性の)利益を企むことにしかならない。 そして全部をののしるのではなく概念を喪失した韓国女がターゲットだ。"

 対話をしてみれば怒りの理由が分からないではありません。 変貌する韓国社会で女性の存在は前近代と近代と後期近代が入り乱れていて、すべての女性を‘社会的弱者’とざっくりまとめられない姿が確かにありますね。 故盧武鉉前大統領に対する侮辱は道徳的には非難できても、政治家をばかにして風刺する行為自体は非難できないというのが時代の流れです。 李明博前大統領や朴槿恵(パク・クネ)大統領に対する風刺‘遊び’も多様になされていますしね。

 それでも最後までイルベ論理に同調しにくかった理由は、イルベ内の文化が他人の痛みに共感できなかったり自身に対する批判を受容できないからです。 5・18民主化運動犠牲者を‘ガンギエイ(全羅道(チョルラド)卑下)和えもの’と表現する水準の素養を、表現の自由だとして正当性を認められようとする‘図々しさ’が批判を受ける理由もこれと同じです。

 それではイルベ人たちのキーボードを打つ指を縛ってしまえば良いのでしょうか? 専門家たちはインターネット コミュニティ サイト‘DCインサイド’からイルベが離れて出たように、イルベを閉鎖したとしても名前だけが異なる第2のイルベが登場するだけだと思います。 イルベの主張が反社会的だからという理由だけで、基本権である表現の自由を源泉封鎖することは違う次元だということです。 また、その決定がブーメランのように戻ってきて、考えの異なる人に対する社会の暴力を容認できる雰囲気に一役買うこともありえるという憂慮も感じます。 それでホームページ閉鎖など議論の道を全面遮断する方法の代わりに、ナチ犯罪を擁護する個別行為に対して法的責任を厳しく問い質すドイツ方式を参考にしようという主張が出てくるかもしれませんね。

チェ・ウリ 土曜版チーム記者

韓国語原文入力:2013/05/24 22:03
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/588954.html 訳J.S(2266字)

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/14792.html

個人的にはこの事態、言論の自由言論の自由として、名誉棄損は名誉棄損として、粛々と訴えていくというのが、とりあえずの方策になるのかなと思っています。言論の自由は名誉棄損を免罪するものではありませんし、名誉棄損は言論の自由予防拘禁する理由にはならないはずです。

それが「ドイツ方式」と言われるものと同じかどうかは、私にもよくわかりません。