伊勢神宮・おかけ横丁の成功
初めて伊勢神宮を参拝したのは10年ほど前のことです。その時にももちろん、おかげ横丁には立ち寄りました。
20周年を迎えて、古びたり寂れたりすることもなく、今も賑わい続けているのは凄いことです。赤福という一企業が投資して作られたものとは知りませんでした。
いま歩いても活気があって楽しいおかげ横丁、この手の再開発としては最も成功したケースと言えるかもしれません。
【社会】伊勢神宮「おかげ横丁」20周年 「もてなす心」にぎわいの源
2013年7月16日 夕刊江戸・明治期の町並みを再現した三重県伊勢市の伊勢神宮内宮(ないくう)前の集客施設「おかげ横丁」が十六日、開業二十周年を迎えた。式年遷宮を十月に控えた今年の来場者は一〜六月で前年同期比七十万人増の三百十万人。年間過去最多だった昨年の四百五十万人を超える勢いだ。
おかげ横丁は約八百メートルにわたる内宮参道沿いの「おはらい町」の中央にある。一九九三年の前回遷宮に合わせ、地元の老舗和菓子店「赤福」が当時の年間売上高に匹敵する百四十億円を投じて建設。一万三千平方メートルに地元の海山の幸や伊勢うどん、酒、駄菓子、和雑貨などの店を、伊勢の伝統的な木造建築で再現した。
年間来場者は開業翌年の二百万人から右肩上がりで、店舗数は三十から五十六に増えた。「品質の良い物を安く売る。奇をてらわない伊勢の住人らしさが受け入れられた」。横丁の創業者で赤福の浜田益嗣会長(76)はこう分析する。
浜田さんを突き動かした背景に、おはらい町の衰退があった。江戸期の「おかげ参り」で知られた町は、マイカー型の観光が定着した昭和六十年代に年間約二十万人の往来しかなかった。内宮まで来て、町には寄らず帰る参拝者が多かった。
おはらい町の住民も「伊勢らしく参拝者をもてなしたい」と古い町並みの再現へと動いていた。八九年に伊勢市まちなみ保全条例ができると、電柱の移設や石畳への舗装が進んだ。
日本の季節感を大事にしようと、二十四節気や雑節、七夕などの年中行事に合わせた催しを展開。接客する従業員には伊勢弁で親しみを込めて話をすることなども徹底した。
遷宮を節目として新たな時代を迎える伊勢の町。今後の二十年を浜田さんは「戦後の日本は知恵だけで町をつくってきた。伊勢は住人の情感を大切にしてつくっていきたい」と話す。 (中平雄大)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013071602000263.html
ただまあ、外宮を含めて神宮界隈を歩いてみると、おかげ横丁の活気がその外、伊勢市内へと波及しているとは、なかなか言い難い状況ではあります。外宮最寄りの伊勢市駅前の寂れっぷりは昔よりも進行している感がありますし、神宮を擁する伊勢であっても、地方都市の衰退という趨勢から無縁ではありません。