いやこれは、上海駅や南京東路あたりのいかがわしさや「老人のいる公園」という「究極」の観光スポットの紹介を通じて「上海の現在」を切り取った、実に興味深い記事です。
上海駅は、地方出身者が(高速鉄道ではない昔ながらの)鉄道で上海にやって来る窓口ですし、南京東路はそれに内外の観光客を加えてごった返す繁華街、ということで、まあいろんな意味でごちゃごちゃしてます。
でもって、これだけ上海に在住して地元事情に精通した人でも、お茶会詐欺に声をかけられるわけですから、見るからに観光客然としていれば、お声がかからないはずがない、ということになります。
公園デビューで弾ける上海の老人たち
遊具の主役はジャングルジムより四十肩治療のロープ
山田 泰司 2014年8月21日(木)
ど迫力の太極拳!(上海の復興公園)上海は女性が夜一人歩きしても大丈夫なほど比較的安全な町だが、それでも治安の悪いエリアはある。中でも悪人密度の高いところと言えば、鉄道の上海駅付近と上海一の繁華街・南京東路の歩行者天国が双璧だろう。いずれも国内の地方や海外から上海に出てきた人たちが集まる場所で、スリ、白タク、ぼったくりの客引きが大挙して詰めかけ、虎視眈々と獲物を狙っている。
南京東路のぼったくりはターゲットによっていくつかのパターンがあるのだが、私のような中年の男に対しては、20〜40代の女が地方から出てきた観光客を装い道を尋ねるふりをして声をかけ、「どこかに遊びにつれて行って」「お茶でも飲みましょうよ」と言って一味の店に連れ込み高額な勘定をふっかけるというスタイルが登場してきたようだ。
私はよほどスキがある顔をして歩いているのか、この全長1キロの歩行者天国を歩いている間に、多い日には3回も4回もこうした女のぼったくりに声をかけられる。つい先日も、肩を叩かれ振り向くとアラサーの女で、「ここから豫園まで歩いたら何分ぐらいかかりますか?」と尋ねる。豫園というのは明の時代に造られた庭園で、周囲にはやはり明代に建立された上海の神々を祭る廟と商店の建ち並ぶ門前町のある、あえて例えれば浅草のようなエリアである。
尋ねてきた女を見ると、化粧の感じや雰囲気が結構なベテラン感を醸し出していて、私をだまそうとしているのは一目瞭然。ただその日は先を急ぐ用事も特段なかったので少し話につき合ってみるかと思い、ぶらぶら歩きで20分ぐらいかなと答えた。すると女は、おっ、こいつ話に乗ってきたとばかりに勢いづき、「えー、そんなに遠いのー。上海はほかに面白いところないんですかー。連れていってくださいよー」と甘い声を出していきなり畳みかけてきた。
これ以上つき合うと振り切るのに時間がかかるので、上海は歴史を感じさせる町並みなんかは残ってるけど、北京で言うなら天安門広場とか故宮とか頤和園みたいな、いわゆるベタな名所旧跡や観光スポットって少ないんだよ、と答えた。すると女は、私の答えを聞いて一瞬素に戻ってしまったのか、「そうなのよねえ、上海って、名所旧跡が少ないのよねえ」と上海のベテランの顔になってポロリと漏らし、あら失敗したと今度は怖い顔になって離れていった。一味の店に連れ込むまでに男を信用させるために連れ回す場所に日々苦労していて、思わず本音が出てしまったのだろうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140820/270110/?P=1
しかし、この記事が面白いのはここからです。
見ます。ホントによく見かけますよー、そうした光景。
上海の究極の観光スポット?
さて、この女に勧めても喜ばないだろうが、上海に遊びに来て数少ない名所旧跡の類いに行き尽くしてしまった日本人にはぜひ勧めたい場所がある。それは公園。東京ドーム1個分はありそうな比較的規模の大きい、しかし入場料を取らない公園で、可能ならば6時から8時ぐらいまでの早朝がいいが、午後2時ごろまでならOKだ。その公園に何をしに行くのか。公園を埋め尽くさんばかりに集まったこの国の老人たちが踊り、歌い、走り、歩き、体操をし、鉄棒で大車輪をし、太極拳を舞い、そしてベンチでひたすらぼんやりし、これ以上ないほど脱力している様に圧倒されに行くのである。床に落ちた変色した肉を拾って商品に入れてしまう食肉偽装。P.M2.5に汚染された灰色の空。中国は生きていくのに過酷な国である。しかし一方で、公園に集まるこの国の老人たちは全力で遊び、底抜けに楽しげだ。その様子を見ていると、自分はこの人たちの10分の1、いや100分の1も人生を謳歌していないのかなと、思わされてしまう。
先にも少し書いたが、中国の老人たちの公園での過ごし方はいくつもあるのだが、どの公園でもたいていやっているものだけでも15種類ぐらいはあるだろうか。グループ系と個人系に大別でき、グループ系はさらに運動系と文科系に別れていて、運動系は太極拳などの中国拳法や、拳法をアレンジした健康体操、バドミントン、社交ダンスなど。文科系は合唱、中国将棋、ブラスバンド、京劇の演奏。運動系の個人系は、マラソン、ウォーキング、後ろ向きのウォーキング、凧揚げ、柔軟体操、備え付けの健康器具を使った体操など。面白いところでは、木の樹皮を両手でひたすらピシャピシャ叩いて脳に刺激を送るとともに樹木から自然のパワーをもらうというのが最近流行っているようだ。個人系の文科系では墨の代わりに水を使って道路に漢詩を綴る書道がある。それぞれに複数のグループがあるので、公園は連日、集まった老人で芋の子を洗うがごとしの様相を呈する。子供や若者もいるにはいるが、圧倒的多数は老人。中国で公園の主役は老人なのである。
マンションの一角にある小さな公園の遊具も四十肩治療ロープなど老人向けが中心(上海虹口区のアパート)だから、公園に備え付けの遊具や設備も、ジャングルジムやすべり台などの子供向けではなく、四十肩を直すためのロープや、無理な負担をかけずに足腰や腹筋を鍛えることができるウォーキングマシンなど、老人向けのものが圧倒的に多い。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140820/270110/?P=2
私が見たのは、例えば龍華烈士陵園で見たこの団体とか。公園入り口の門のところを占領して、大音量で踊りに興じておられました。
で、そうした公園に集うご老人を見ていると、悲壮感とか哀愁とか、そうしたネガティブな雰囲気があまり感じられないことに気付かされます。みんな元気で楽しそうなんですね。
さて、連日これだけの数の老人が日に当たったり、体を動かすために公園に集まる背景には、食の安全を脅かすような事件が頻発している昨今の中国において、体を鍛えて自衛し、少しでも医療費を抑えようというような思想が働いているのではないかと思っていた。ところが、公園に集まり歌ったり踊ったり運動したりする老人たちに話を聞くと、そんな考えは笑い飛ばされてしまった。
遊園地の前で踊り狂う人々(上海虹口区の魯迅公園横)社交ダンスをしていた75歳だというご婦人は、「上海福喜の食肉偽装? 医療費が高い? 何言ってんだい。ダンスをしてるのは楽しいから。それだけだよ」と言う。太極拳をしていた72歳の男性も、「定年退職すると年金が出る。でも、体が動かなけりゃ年金を使うのも楽しくない。思い切り楽しむために体を鍛えてるのさ、ガハハ」と笑う。コーラスをしていた71歳のご婦人は、「歌は若い時から好きだったけど、働いているうちは歌う余裕なんかなかったから。定年退職してから公園に来始めたら、友達もできるし歌えるしで、とっても楽しくて最高!」と心底嬉しそうに話す。
老人にとって医療費の負担は重くないのですか?とバドミントンをしていた68歳の女性に尋ねると、「老人の医療保険金は年数百元だし、自己負担も若者より安いから、それほど高いとは思わないわ。大きな手術をすれば20万〜30万元(約340万〜510万円)かかるけど、老人なら自己負担は10%程度で済むので、その程度なら何とか払えるし。風邪引いたぐらいなら、高くても200〜400元(約3400〜6800円)ぐらいだから、高過ぎると目くじらを立てるほどでもないしね」との答え。これを聞いていたバドミントンのお仲間達も、上海語で「そうだそうだ」を意味する「エ゛ー、エ゛ー」の大合唱で彼女の意見に賛同する。中国では医療費や保険の適用が地方や個人の条件によって異なるため、高額な医療費が払えないがために患者が死亡するというケースが決して少なくないのは事実。ただ、上海の公園に集まる他の老人にも話を聞いたが、医療費が高いと感じている人は1人もいなかった。
中国の定年は男性で55〜60歳、女性で50〜55歳である。日本では経験豊富なシニアの再雇用が少しずつ浸透しているが、中国では定年退職したら、日中はとにかく遊び、朝晩は孫の送り迎えをするというのが平均像だ。年金は、70代の国有企業のワーカーだった人で、月額2500元(約4万2000円)、シニアクラスのエンジニアだと1万元(約17万円)を超えるケースもあるという。この世代でも共働きが普通だったため、年金は世帯で少なくとも5000元(約8万5000円)はあることになる。コンビニの店員の月給が2800元(約4万8000円)程度であることを考えると、悪くない金額である。
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もちろん、中国でも最先端の都市である上海の公園でこうして悠々自適な時間を過ごしている人たちが中国の老人のすべてではありませんし、現在の現役世代が引退後にそんな風に過ごせるとも限らないわけです。ただ、上海の公園が、日本との社会のあり方の違い、価値観の違いを感じさせてくれる場所である、ということについて、私は深く同意します。
家賃がないから自由に過ごせる
「中国の老人が明るいのは、住まいにかかわる出費がないためではないか」と分析するのは、日本に留学経験のある上海人の元新聞記者。「留学していた時、アルバイトをしていた東京のラーメン屋に、70歳近くのおばあさんが働いていた。彼女が『年金だけではアパートの家賃が払えないから』と話しているのを聞いて、日本は老人でも家賃を払うのかと驚いた。それを考えると、現在の高齢者らが働いていた時代の中国は、国有企業や役所に勤務する人たちがほとんどで、2000年ごろまでに所属していた勤務先から住まいを提供されたり、格安で払い下げられたりしたため、家賃や住宅ローンの負担を強いられている人がほとんどいない。これが、生活の不安を軽減しているため、心から老後を楽しめているのではないかな。ただ、今の若い世代は民間企業勤めも多いので、気楽な老人の比率は今後、減る可能性もあるが」と話す。彼の話にそんなものかと思いつつ、仮に中国の老人のように過ごしたら、私は人生を謳歌していると感じることができるのだろうか、ということを改めて考えた。リタイアして公園でお仲間と集まって遊んだり体を鍛えたりするよりも、80歳になっても日経ビジネスオンラインにスペースをもらい、書けない、時間がない、体が辛いとブツクサ言いながらコラムを書いている方が、恐らく「自分は生きている」という実感があるだろう。私以外の日本人も、遊ぶよりも働くことで一層、充実感を得るのではないか。
公園で過ごすというと、日本では社会の隅に追いやられているようなイメージがある。ただ、中国の場合は公園も社会の中の居場所の一つだ。日本人は、いくつになっても仕事に社会の中での居場所を求めるのだろう。どちらが幸せということではない。日本と中国の価値観は事程左様に違う、ということなのである。
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