九州大学医学歴史館が開館

47news(共同通信)や読売新聞・毎日新聞などが記事にしている中、敢えて北海道新聞からクリップしたのは、北海道大学アイヌ人骨収集事件のことを想起したからです。九大とともに北大でも、事件の当事者ではないはずの当局者・担当者には並ならぬ苦労があったことと思います。

北大人骨事件 - Wikipedia

北海道大学医学部アイヌ人骨収蔵経緯に関する調査報告書

米捕虜生体解剖に言及、福岡の九大医学部に歴史館開館
04/04 10:50、04/04 11:38 更新


九州大医学部の医学歴史館=4日午前、福岡市東区

 九州大医学部の110年余りに及ぶ歩みを伝える医学歴史館が4日、福岡市東区のキャンパスで開館式を開いた。カルテや医療器具など63点を展示。故遠藤周作氏の小説「海と毒薬」のモデルになった太平洋戦争末期の米軍捕虜生体解剖事件の経緯を説明するパネルなど2点も展示品に含まれる。

 事件は戦後、連合軍による軍事法廷で大学の組織的関与が否定され、九大はこれまでタブー視して公の場で説明することを避けてきた。ただ3月の医学部教授会で「開館を機に、負の歴史を公表するべきだ」との意見が出て、展示に踏み切った。今後、関連資料を増やすことも検討する。

 歴史館は、医学部同窓会の寄付金で建設した。無料で、開館時間は午前10時〜午後4時半(月曜と火曜は休館)。

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0119662.html

内容的に当然のことですが、中国や韓国のメディアもいち早く伝えています。

日博物馆揭活体解剖罪证:8名被俘美军遭切除内脏后身亡
2015年04月06日08:22 来源:广州日报
原标题:日博物馆揭活体解剖罪证


日本九州大学医学史博物馆本月4日正式对外开放。


遭击落的美军B29轰炸机全体机组人员合影。 (资料照片)

  展品中包括1945年日本教授对被俘美国飞行员进行活体解剖的病例和器械

  新华社电 一家博物馆4日在日本西部福冈县正式对外开放。尤其引人注意的是,这家博物馆展品中包括1945年日本教授对被俘美国飞行员进行活体解剖的罪证。

  长期以来,日本九州大学对二战期间犯下的这桩罪行讳莫如深,拒绝在公开场合触碰这一话题。但该大学多名教授在近期一次会议中达成共识,认为必须正视这所大学历史上的“鄢暗篇章”。

  揭露惊人罪行

  这家医学史博物馆位于日本九州大学校园内,展示了九州大学医学部过去100多年来的发展历史。

  日本共同社报道,这家博物馆展品共63件,包括病历、医疗器械等。令人倍感沉重的是,其中两件展品为九州大学医学部教授在二战期间活体解剖8名美国飞行员的证据。(杨舒怡)

  美8名飞行员被活体解剖

  新华社电 1945年,一架美军B29轰炸机在日本福冈上空被击落,多名美国飞行员被俘。当时共有多少名美国飞行员被日方俘获成为历史谜团,但能够确认其中8人遭九州大学医学部教授活体解剖。

  一名参与解剖美国飞行员的日本教授后来回忆道,“这些(美军)战犯见我们穿着白大褂,意识到我们是医生”,以为是要给他们疗伤,就放下戒心而没有挣扎,“他们做梦也想不到自己会被活活解剖”。一些资料显示,一名美国飞行员甚至微笑着对护士说:“谢谢。”

  在所谓医学试验中,多名九州大学医学部教授向这些美国飞行员体内注射稀释海水、切除他们的肺叶以及其他脏器,以观察他们能存活多长时间,同时向学生们讲解“注意事项”、“要点”。最终,8名美国飞行员全部死亡。 (杨舒怡)

  美国后来态度逆转

  新华社电 二战结束后,盟军在东京、横滨、马尼拉等地设立法庭审判日本战犯。1948年3月11日,30名日本人因涉嫌活体解剖、非法切除人体内脏、食用美军战俘内脏等罪名在横滨一家法庭受审。

  美国《巴尔的摩太阳报》报道,这30人中,23人最终被定罪,其中5人被判死刑、4人终身监禁、14人被判较轻刑罚。

  视为盟友

  然而,据这家美国报纸披露,随着1950年6月朝鲜战争爆发,美国开始把日本视为盟友,对追究日本二战罪行的态度发生逆转。1950年9月,驻日美军司令道格拉斯·麦克阿瑟推动减免了对这些日本战犯的刑罚。截至1958年,这几十名日本战犯已经全部获释,先前所判死刑无一执行。(杨舒怡)

  民众呼吁正视历史

  新华社电 多年来,九州大学对活体解剖事件讳莫如深,从不在公开场合触碰这一话题。日本国内不少人对此表示反感,坚持认为应该正视历史。

  二战结束后,一名曾经参与活体解剖的日本教授自杀;14名九州大学教职员工因战争罪行被判终身监禁、死刑等。

  日本作家远藤周作以这段鄢暗历史为原型,1957年发表小说《海与毒药》,获新潮奖和每日新闻出版文学奖。1986年,根据小说改编的同名电影在日本上映。

  今年3月,九州大学医学部多名教授在一次会议上达成共识,认为校方不应继续回避这段鄢暗历史。最终,九州大学决定把几件罪证作为展品,在新开幕的博物馆中向民众公开。(杨舒怡)

http://military.people.com.cn/n/2015/0406/c1011-26802279.html

韓国でも、日本語版で見れる朝鮮日報東亜日報の他、各紙が報道していますが、内容的に重要なのはむしろ、朝鮮日報が引いている毎日新聞の記事のほうだと思われます。

記事入力 : 2015/04/06 08:38
九州大、米軍捕虜人体実験を反省

 「米軍捕虜が目隠しをされたまま震え、手術台に乗った。いったいどうなるのか分からずに呆然としていた」

 1945年5月17日、九州大学医学部解剖実習室で米軍捕虜8人が生体実験の対象となった場面を見守った日本人医学部生が先月、毎日新聞の取材チームに語った目撃談だ。当時19歳で現在89歳になる目撃者は、今でも目の前で米軍捕虜が死んでいく場面をまざまざと覚えていた。行きたままで片側の肺を摘出されたり、血管に海水を注入されたりした捕虜もおり、全員が死亡したという。

 目撃者は毎日新聞記者に対し、「当時大学は軍に逆らうことができなかった」としながらも「(生体解剖を執刀した)教授には『外科のパイオニアになりたい』という功名心がなかったとは言えない」と振り返った。目撃者は「戦争がつくり出した狂気だ」と語った。

 九州大医学部が今になって戦時中の蛮行を対する贖罪(しょくざい)を始めた。共同通信によると、九州大は4日、キャンパス内に医学歴史館を開設し、第2次世界大戦末期にあった米軍捕虜生体解剖事件の経緯を詳細に記録した展示を設けた。展示とは別に生体解剖で死亡した米軍捕虜を追悼するスペースも設けられた。歴史館の開設費用1億4500万円は同窓会の後援金で賄われた。

 九州大医学部での米軍捕虜生体解剖事件は、日本の敗戦3カ月前の出来事だった。日本軍に撃墜されたB29爆撃機の乗組員8人を捕虜収容所ではなく九州大医学部に秘密裏に送り、生きたままで解剖した事件だ。当時日本では結核のために肺に空洞が生じた患者が多かったが、治療法が確立されていなかった。

東京=キム・スヘ特派員

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/04/06/2015040600613.html

京都大学医学部のみっともない「731部隊隠蔽事件」にも言及しているいい記事です。これを機に、京大のほうも想起しておきましょう。

京大医学部、ミットモナイ

戦後70年・日本のサイエンス:「戦争協力」検証道半ば 日本の医学界、問われる倫理
毎日新聞 2015年03月05日 東京朝刊


九大事件の資料写真をみつめる東野利夫さん。「医学は人の命を救えばこそ。実験手術はいけない」=福岡市の自宅で2月20日、河内敏康撮影

 科学の発展により、人々の暮らしは豊かになった。半面、私たちは環境破壊や生命倫理など新たな問題に直面している。戦後70年にあたり、科学技術立国の歩みをふり返り、今後、社会が科学とどうつきあうかの道しるべとしたい。初回は、戦争と医学の関わりを考える。

 ●九大で捕虜生体解剖

 第二次世界大戦末期の1945年5月17日。九州大医学部(福岡市東区)の解剖実習室に2人の米軍捕虜が運ばれた。実習室の入り口には銃剣を携えた歩哨(ほしょう)。室内でも2人の高級将校がにらみをきかす。普段とは明らかに違う張り詰めた空気が支配していた。

 「捕虜は目隠しされ、震えながら手術台に上らされていた。一体どうなるのか、気が気でなかった」。当時、医学部の学生で、偶然その場に居合わせた東野(とうの)利夫医師(89)は顔をしかめながら語った。2人の捕虜は東野さんの目の前で、片方の肺を摘出されたり、薄めた海水を血管に注入されたりした。

 45年5〜6月、医学部第1外科の石山福二郎教授と、同科出身で見習士官の小森卓軍医らが、米軍捕虜計8人に対し、一時的に心臓を止めて蘇生させるなど医学的必要性のない実験的な処置を施し、最後は血を抜くなどして全員を死亡させた。いわゆる「九大生体解剖事件」だ。

 戦時下の日本では、結核のため肺に空洞ができた患者があふれていたが、有効な治療法がなかった。また、本土決戦を想定し、代用血液として海水の利用が研究された。

 「外科のパイオニアになりたいという功名心が、教授らに全くなかったとは言い切れないだろう」と東野さん。一方で、大学がより多くの研究費を得るには、軍とのつながりを保ち、協力する必要もあった。九大は航空機や造船、精密機器の研究費をひねり出すため、終戦の年に海軍大将を総長に任命している。東野さんは「捕虜の『処置』を望んでいた軍に逆らうなど考えられなかった。戦争がなせる狂気としか言いようがない」。

 戦後、米国は事件に関係した軍人や医師、看護師の28人を起訴し、5人が死刑判決を受けた。朝鮮戦争をきっかけに減刑されたが、石山教授は終戦後に独房で自殺。小森軍医も米軍が落とした焼夷弾(しょういだん)が原因で死亡した。

 ●無力だった医師倫理

 あれから70年。医学部キャンパス内に4月、医学歴史館が開館する。東野さんは5年ほど前から医学部長らに手紙を出し、九大事件に関する資料の展示を要望してきた。現在、展示に向けた準備が進められている。

 事件は大学による組織的関与こそなかったが、九大関係者に暗い影を落としてきた。戦後、医学部などが「反省と決意の会」を開き、「国家権力や軍の圧力に服従しない」との決意を表明した。同窓会の建設実行委員長、原寛医師(82)は「事件資料の展示について同窓会内部に反対はなかった」と話す。

 東野さんは、戦後、産婦人科医となり、新たな命の誕生に立ち会ってきた。「すべては患者のために」。医師が持つべき最低限の倫理さえ、戦争という強大な圧力の下では無力だったと悔やむ。だからこそ東野さんは強調する。「戦争が何をもたらしたのか、その事実をありのまま次世代に伝えたい。あの悲劇を繰り返さないためにも」


731部隊に関する展示が撤去された京都大医学部資料館。廊下の奥に展示されていたという=京都市で1月21日、千葉紀和撮影

 ●「731部隊」を撤去

 一方、京都大医学部(京都市左京区)では、大戦中の医師の犯罪的行為を巡る展示が撤去された。1902年築の歴史ある旧解剖学講堂を改修し、昨年2月にオープンした資料館。野口英世の博士論文の複写などと共に注目された展示品が、大戦中に人体実験を重ね細菌兵器を開発していた旧日本陸軍の秘密機関731部隊に関する説明パネルだった。

 中国各地で細菌兵器を実戦使用したとされる同部隊は、京大医学部とつながりが深く、言わば「負の歴史」だ。「戦争に加担した歴史にようやく医学部として向き合う試みだ」。京都市内の医師で医学部OBの吉中丈志さん(62)は展示を高く評価していた。

 しかし、約2カ月後に再訪した吉中さんは目を疑った。館内の一番奥にあったはずの展示が姿を消していた。不審に思い調べると、開館間もなく撤去されていた。

 外された展示は、「京都大学医学部病理学教室百年史」(2008年刊)の記述を引用したパネル2枚。卒業生の石井四郎部隊長らによる部隊創設の経緯や、京大医学部が積極的に人材を送り込んだ歴史に触れ、「医学部として検証が必要」と記していたという。

 取り外した理由について、京大医学部の総務担当者は「単なる展示替えで、撤去ではない」と強調。館長の萩原正敏教授は「取材には応じられない」と事務を通じて回答した。だが、内情を知る医学部関係者は「展示は不適切と有力OBらから物言いが付いた」と明かす。

 吉中さんは「医学部も変わったと思ったが、こっそり事実を隠すとは情けない。戦後70年たってもタブーとは驚きだ」と残念がる。

 731部隊については資料が廃棄されたり、関係者が戦後免責されたりしたため、実像は今なお不明な点が多い。滋賀医科大の西山勝夫名誉教授(72)は、731部隊に関わった京大医学部卒業生11人が戦後の1960年まで、戦時中の研究成果によって医学博士の学位を取得していたことを昨年までに突き止めた。京大や国立国会図書館に残っていた論文、学位授与記録などを調査した。

 中には、人体実験を行ったことが明らかな人物もいた。学位を審査したのは、彼らを戦場に送り込んだ教授たちだった。西山さんは「当時は研究費が乏しく軍事研究が魅力的に映った面もあっただろう。戦時中の出来事として片付けるのではなく、医師らが悪の道に加担した経緯や理由を徹底的に検証しなければ、同じような過ちは繰り返される」と語る。【河内敏康、千葉紀和】=この連載は随時掲載します

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 ◇日本の医学と戦争を巡る主なできごと 西山氏の資料などを基に作成

1932年      731部隊の母体・陸軍軍医学校防疫研究室が発足

  34年      日本医学会総会で石井四郎軍医(後の731部隊長)が講演

  40〜42年ごろ 731部隊が中国で細菌兵器を使用

  42年      日本医学会総会で「戦場医学の確立」など医学研究の国策化強調

  45年      九州大医学部で米軍捕虜8人に実験的手術(九大生体解剖事件)

           第二次世界大戦終結

  46年      生体解剖事件に関わった石山福二郎・九大第1外科教授が自殺

  48年      横浜軍事裁判で九大事件関係者5人に絞首刑などの判決

2002年      東京地裁731部隊による細菌戦の事実を認定(後に高裁でも認定)

http://mainichi.jp/shimen/news/20150305ddm013040005000c.html