韓国高校野球史における「在日同胞」チームの存在

もちろん、この話そのものは知ってはいますけど、詳しいことはよく知らないんですよね。

映画の方も、チェックしておくとします。

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張本氏や箕島球児も 韓国高校野球で活躍した在日チーム
編集委員・中野晃 2016年10月17日23時17分

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1982年の韓国での全国高校野球大会に出場した山田隆悠喜さん=山田さん提供

 かつて、在日コリアンのチームが韓国の高校野球大会に出場した。甲子園でも活躍した球児らが祖国の野球に影響を与えた――。あまり知られていない野球史を描いたドキュメンタリー映画「海峡を越えた野球少年」の上映が22日、関西で初めて大阪で始まる。

 韓国では1956年、高校野球大会が朝鮮戦争からの「復興の象徴」として開かれるようになった。「在日同胞」の代表チームも招待され、97年までの42年間に計620人余りの在日の球児が参加。張本勲氏ら日本や韓国のプロ野球、実業団で活躍したり、発展に尽くしたりした人もいた。

 映画「海峡を越えた野球少年」は、82年の大会で、在日代表チームの最高実績となる準優勝を果たしたメンバーを追っている。

 山田隆悠喜(たかゆき)さん(52)=大阪府=は82年春の選抜大会に箕島高(和歌山)の三塁手として出場、ベスト8まで進んだ。当時は韓国籍で「山田俊漢(としかん)」という通名でプレーした。

 幼いころから母親に「絶対に負けたらあかん」と言われて育ち、猛烈に練習。故・尾藤公監督からは、のちの結婚式で「こんなにひたむきに野球に取り組んだ選手を初めて見た」とほめられたという。

 82年の夏は和歌山大会で敗れたが、「韓国の大会に出ないか」と声をかけられた。大阪府内での練習場に行くと、箕島のメンバーがほかにも数人いた。互いに韓国籍だと明かした記憶もなく、驚いたという。

 韓国での大会では、在日の選手の失策に観衆が喜ぶこともあったが、山田さんは「試合に集中し、気にしなかった。『アウェー』というのは分かっていた」。決勝までの6試合で「完全燃焼」し、高校卒業後に野球からは離れた。

 山田さんとともに出場した姜山(きょうやま)孝雄さん(51)=大津市=は、瀬田工(滋賀)の主将で二塁手だった。瀬田工には日本ハムなどで活躍した投手・西崎幸広氏もいた。82年春に甲子園の土を踏んだが、夏は滋賀大会の初戦で敗れた。「悔いが残り、納得できへんという思いがあった」。そんなとき、在日代表に誘われた。

 当時の韓国は球場環境や道具が劣悪で、プレーも粗削りだが、韓国の選手の体の強さを目にした。祖国で野球ができたありがたみも感じ、「もっと野球がしたい」と愛知工業大で野球を続けることにつながった。

 結婚を機に日本国籍に替えた姜山さん。「韓国系日本人」として「野球を通した韓国と日本のつながり」を知ってほしいと願う。

 メガホンをとったのは、在日をテーマにした作品を手がけてきたキム・ミョンジュンさん(46)=ソウル在住=だ。日本での上映会などを通じて交流があった力武俊行さん(47)=大阪市=の協力を得て、山田さんら元球児を捜し出した。「野球を通しても日韓が緊密な関係にあることを伝えたい」。キムさんは話す。

 大阪での上映は淀川区十三本町の第七芸術劇場。神戸市中央区元町通の元町映画館でも11月5日から上映される予定。(編集委員・中野晃)

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山田隆悠喜さん(左)と力武俊行さん=大阪府泉佐野市、中野晃撮影

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1982年の第54回選抜高校野球大会で箕島高の三塁手としてプレーする山田隆悠喜さん=兵庫県西宮市の阪神甲子園球場、山田さん提供

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「在日同胞」のメンバーとして韓国の全国大会に出場した姜山孝雄さん=姜山さん提供

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1982年春の選抜高校野球大会の記事や写真を見ながら語る姜山孝雄さん=大津市、中野晃撮影

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日本と韓国で全国大会に出場した山田隆悠喜さんのプレーの様子が映画のポスターになった=大阪府泉佐野市、中野晃撮影

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