続けざまに見かけた関西学生スポーツのええ話を二つ並べてクリップ。
京滋大学リーグで花園大学が優勝したなんて聞いたことないと思ったら、初優勝だったんですね。常勝だった佛教大と二強を形成してきた京都学園大、新鋭校として台頭してきたびわこ成蹊スポーツ大学や福知山公立大学などがしのぎを削るリーグを勝ち抜いたとすれば、それは確かに「何かが変わった」んでしょう。
「球場で死んでもいい」79歳監督、神宮へ 大学選手権
藤田絢子 2016年6月5日12時07分
「東京でも頼むよ」と笑顔で選手に話しかける西岡義夫監督(右)=花園大
笑顔で選手に接する西岡義夫監督(左)=花園大6日に開幕する全日本大学野球選手権(東京・神宮など)に京滋大学リーグ代表として初出場する花園大を率いるのは、79歳の西岡義夫監督だ。出場27校の監督で最高齢になる。「野球が大好き。野球場で死んでもいい」と話す監督が、孫ほど年の離れた選手とともに全国に乗り込む。
二条城の約3キロ西にある大学に、西岡監督は滋賀県長浜市の自宅から電車で通い、優しく練習を見守る。試合前にはノックも打つ。
滋賀県で長く保健体育の教諭として高校野球の指導に携わった。伊香高では、昭和40~50年代に春夏計3回甲子園に導き、2年ほど前まで彦根総合の監督をしていた。年齢的にもう野球の指導をすることはないと考えていたが、関係者の紹介で今春、花園大から声がかかった。
77歳で他界した「御大」こと明大の島岡吉郎さんよりも年齢は上。迷ったが、長男から「50歳代でもリストラがある時代。オファーがあるなら、やらなあかん」と背中を押され、4月1日付で就任。過去に前立腺がんや心臓のバイパス手術もしたが、今はゴルフの大会に出て年齢より下の打数でまわるほどだという。
大学野球の指導は初めて。「ぼくは新人。部員のほうがこの世界では先輩」と全員を君付けで呼び、指導はもっぱら自主性に任せる。練習内容やサイン、出場選手も矢野雅章主将(4年、北嵯峨)や学生コーチら5人に一任。すると、3季連続最下位だったチームが、1991年の創部以来初のリーグ優勝まで駆け上がった。矢野主将は「君らのやり方でやってほしいと言われて責任感が出た」と話す。
部員は約60人。甲子園経験者はほとんどいないが、約2時間の全体練習後、今では大半が居残りで自主練習をするようになった。小林大隼学生コーチ(3年、八重山)は「県8強とか中堅校出身がほとんど。雑草軍団で勝ち上がれた」と充実した表情だ。
西岡監督はかつては「鬼の西岡」と呼ばれたが「右向け右の時代ではなくなった」。高校野球の監督の終わりごろからは「仲良く、楽しく、励まし合う」をモットーに接するようになった。ただ、「いい人間になればいいプレーが出来る」との指導は昔から一貫しているという。「監督の前だけいい格好をしていても、みんなから信頼してもらえん」
初の全国の舞台は7日、関西国際大戦が初戦となる。最速148キロのエース大江克哉(2年、塔南)を柱に挑むつもりだ。「態度がしっかりしていると言われるといいね」と西岡監督。そうすれば、勝利はついてくると信じている。(藤田絢子)
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〈京滋大学リーグ〉 1950年に京都六大学野球連盟として発足。56年春に名称が変わった。現在は京都と滋賀の計13校が所属する。今春1部は花園大、びわこ成蹊スポーツ大、京都学園大、佛教大、福知山公立大、大谷大の6校。
花園大のリーグ成績
そしてこちら。依然として「大阪工大高」という名前の方が個人的にはしっくりくる高校ラグビーの名門校ですけど、大阪府内で常翔啓光学園や東海大仰星・大阪朝鮮・大阪桐蔭などと常にわたり合いながら、それらの学校から頭一つ抜けた伝統の重みがあるんですねえ。もちろん葛藤はあるんでしょうけど、いろいろ納得できることがあります。
なぜ常翔学園出身の大学主将が多いのか?
同志社大学の山神孝志監督と山田有樹主将。今年は大阪・常翔学園出身の強豪大学主将が多い。
関西AリーグではLO山田有樹(同志社)、SH高島理久也(立命館)、FL高本大志(関西)、CTB木下亮太(摂南)。8チーム中、半分の4を数える。関東ではFL桶谷宗汰(明治)、SH坂本泰敏(法政)。副将ではセブンズ日本代表でもあるWTB松井千士(同志社)、FB別府太一(立命館)がいる。
なぜたくさんの幹部が出るのだろうか。
(1)全国大会V学年
常翔監督・野上友一はまず口にする。
「彼らは優勝メンバー。個人的にしっかりしとったんやろね」
この学年は2012年度の第92回全国高校大会で、チームを歴代5位タイとなる5回目優勝に導いた。決勝で奈良・御所実を17-14で降す。
「あの代はキャプテンの目を持っているやつがようけおった。だから、気の利いたことが起こって勝てたんちゃうかな。サポートに回るやつがおったからね」
野上は山田に主将を任せていた。
「あいつはなんでも一生懸命する」
社会科教員でもある野上は、プレーももちろんだが、取り組みを重視して選ぶ。
山田は同志社でも舵取り役になる。監督の山神孝志は説明する。
「しゃべれる奴ならいっぱいおるけど、山田は先頭に立ってやれるんよ。1年から公式戦全試合に先発出場してるんも大きい。同級生からの信頼もすごかった。圧倒してたしね」
山神の常翔卒業生への評価は高い。
「基本的なトレーニングができている。スクラムも間違いない。しっかり組んできてる。性格的に素直な子が多いよね」
素直は従順さに置き換えられる。首脳陣にとっては歓迎される資質である。
(2)新旧監督の教え
野上を指導したのは荒川博司。常翔の前校名・大阪工業大学高校を全国トップレベルに引き上げた。野上は振り返る。
「荒川先生の教えは、『ベストで行け、一生懸命やれ』でした。それが今でもある」
山田への野上、山神評はその教えが生き続けていることを示している。
荒川の口癖は、常翔のスローガン、「ベストラグビー、クリーンラグビー」となり残る。思い出をつづった小冊子・協心も年度ごとに発刊され続けている。表紙は紺に赤線が2本。ジャージーの色だ。
野上は2011年度から指導方針を「自主性の尊重」に変えた。優勝する1年前だ。ニュージーランドに遠征し、現地でのコーチングを見て、高圧的な部分を取り払う。
同志社主将の山田は変化を忘れない。2年生の時だった。
「先生は練習にあまり口を出さなくなりました。メニューは基本的に自分たちで考えます。先生はそれをじーっと見ていて、質が悪くなれば、声をかける感じです。前は『パスは絶対両手で放れ』と言っていたのが、『通ったらええわ』になりました」
自主性を掲げ、勝ち続けるためには、部員個々の考えやラグビーへの向き合い方が深化しなくてはならない。それは、十代の若者に首脳陣の視点を持たす助けになる。
(3)先輩たちの存在
常翔の創部は1937年(昭和12)。80年近い歴史を誇る。戦前からあまたのOBを輩出した。野上は伝統を感じる。
「OBは『それでも常翔、工大か』とよく言う。それを聞いて部員は腹を立てる、頑張る」
明治は常翔出身の主将が特に多い。1977年、FB橋爪利明(現大阪工大監督)の初入学から毎年ほぼ1人は門を叩く。主将経験者は、橋爪が4年生の1980年から今年まで37代で13人。日本代表キャップ79を誇るCTB元木由記雄(現京都産業大コーチ)もその1人だ。この期間では最多である。
それを踏まえ野上は言う。
「先輩らを見てたら、高校生の立場でもヤワなことはできん、と思うんやろね。それで大学に行ったら、自分らも手本になって頑張らなあかん、と感じるんやろう」
(4)ライバル意識
昨年度、全国大会出場一次登録メンバーの3年生16人の進路は12校。幅広さは関西トップだ。明治や同志社など関係の深い学校もあるが、基本的に全国に散らばる。
野上は進路を決める時、部員に諭す。
「4年生になった時に、キャプテンになって、チームを引っ張るつもりで大学を選べ。明治や同志社に行っても活躍したらええけど、4年間補欠をやっても仕方ない」
その状況で、競争が生まれ、上に立つにふさわしい人間磨きが行われる。山田は話す。
「同期に負けたくない思いはあります。今年、春の定期戦で明治に負けました(29-36)。桶谷はケガで出ていなかったけど、悔しかったです。試合前のメンバー表を見て、同期の名前があると意識します。他の学校の選手だったらあまり気にはなりません」
教え子たちの活躍を目に、耳にしながら、野上は言葉を締める。
「みんな、ペースを乱さず、ケガをせず、次のステージで頑張ってほしい。最終目標は『立派な人間になる』っていうことなんやから」
(文:鎮 勝也)
大阪・常翔学園の野上友一監督(撮影:鎮 勝也)