一般に護国神社と言えば、各県とも城下町であれば城内もしくは隣接地に、そうでなくとも市街地にあるように思うのですが、鳥取県の護国神社は郊外の鳥取砂丘に接した高台にあります。というか、ここの敷地自体も砂丘地です。
後述しますが、これは移転の結果です。もともとはもっと市の中心地にありました。
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鳥取縣護國神社: 全国護國神社御礼詣りの記
この神社を訪れるには、鳥取砂丘行きのバスに乗車して、砂丘センター展望台や砂の美術館前の一つ手前、「子供の国入口」のバス停で降ります。
ここに移転したというのはまあ、元々あった境内地の立地上の問題もあったでしょうし、「鳥取砂丘という観光地にあって「こどもの国」やゴルフ場などにも隣接しているこの場所であれば、人の目に触れることも多くて参拝者も見込めるだろう」といった思惑もあったと思われます。
ただなあ、護国神社を参拝しようとする人なら嫌でも目にするこの建物を見ると、その辺はどうなんだろうなあ…。湯梨浜町の「拓魂の碑」の立地と通じるものを感じてしまいます。
個人的には、こういう建物を愛でるのは好きですけど、護国神社が移転した当初はここも営業してそれなりに流行っていたはずなんですよ。この30~40年ほどの間の鳥取観光のあり方の変化がいろいろ透けて見えるような…。
砂丘パレス - 廃墟検索地図
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さて、廃墟マニアの方はこれだけ見て帰ってしまうかも知れませんが、ここから少し坂道を登ると、本来の目的地が見えてきます。
この鳥居や狛犬は昭和16年のものですから、移転にともなってここに持ってこられたものです。
その先、アスファルト舗装の参道を進むと、まず見えてくるのはフィリピン戦の戦没者慰霊碑です。これは護国神社がこの地に移転した昭和49年に建立されたもので、時の総理大臣・田中角栄が題字の筆を執っています。護国神社の移転事業が現職の首相を巻き込むほど力の入ったものだったことがうかがわれます。
ここを過ぎてさらに進むと、砂の上に砂利を敷き、新旧取り混ぜた碑石類の並ぶ一角が見えてきます。新しいものは先ほどの慰霊碑よりも新しく、平成のものもあります。移転前から存在していたであろう古い物になると、いつのものかすらはっきりしないものまであります。
…と、ここまでは何の碑なのかまだわかるんです。ここより奥になると、そうした判別は難しくなってきます。
特に困るのは、この説明板です。植え込みの後ろにあって読みにくいだけならともかく、周囲の石碑よりよほど新しいはず(「平成17年4月再建」という字が辛うじて読み取れます)なのですが、全体的にかすれてしまっててほどんと読めません。どうにかなりませんかこれ。
まだ本殿までたどり着いていませんが、長くなりそうなので、ここでいったん切るとします。