「岐阜出身の立場から名古屋を眺める」という目線から書かれたこの記事、たいへん興味深く読みました。
あまりにも近すぎる……岐阜駅と名古屋駅の悲劇。
上京したての頃は、よく周りに「岐阜ってどこにあるの?」といちいち問い返されるので、いつからか「どこ出身なの?」と聞かれると、「名古屋の近くだよ」と答えるようにしていた。時には「名古屋だよ」とも……もはやそこにはプライドが微塵も無い。
だが「近く」という表現自体、実に適した表現なのである。
名古屋駅と岐阜駅は、各駅停車でわずか25分。新快速を使えば18分の距離にある。
車では、筆者が岐阜に住んでいた頃は国道22号線(通称「名岐バイパス」)を使って1時間程度だったが、今は都市高速道路が整備され、もっと短い時間で行くことが出来るようになっているのだ。
今までドラゴンズとグランパスを応援したが……。
プロスポーツの世界をみると、名古屋に本拠地を置く中日ドラゴンズの人気は凄まじく、愛知、岐阜、三重の「東海3県(※静岡も東海地区だが、テレビ局の配置においても、静岡を省いて東海3県で括られている)」での支持率は異常に高い。
ドラゴンズは年に1回は岐阜でホームゲームを開催し、岐阜の野球ファンはその日を心待ちにしている。と言っても、かつてのナゴヤ球場は岐阜から30分ほどで着くわけだし、ナゴヤドームも1時間もかからないからこそ、気軽に観に行くことも出来るのだが。
Jリーグにおいては、岐阜の人たちはグランパスの熱狂的なサポーターとなった。
当然、ドラゴンズと同様、前述した“東海3県”で唯一のJクラブがグランパスだったこともあるが、もしそれが三重県にあったら絶対に応援はしなかったはずだ。
これも「名古屋」だったからこそ、何のためらいも無く「地元のクラブ」として応援することが出来たのである。
チャントなどで「名古屋」の地名を叫ぶが、自分は岐阜県民――。
グランパス愛は本物だし、「赤だし」も「味噌カツ」も大好き(筆者も東京に住む人がカツをトンカツソースで食べること自体が信じられなかった)。夜は常にCBCラジオを聞き、デートは栄(名古屋市ナンバーワンの繁華街)か名駅周辺(名古屋駅のことをこちらでは「めいえき」と呼ぶ)だった。
だんだん書いていて切なくなってくる……。それほど岐阜県民にとって、愛知県、いや名古屋の存在はいろんな意味で大きなものなのだ。
http://number.bunshun.jp/articles/-/827584?page=2
岐阜は「名古屋の植民地」なんかじゃない!
すべて、名古屋に持っていかれる――。
いつしか岐阜は「名古屋の植民地」とまで揶揄されるようになっていたのである。
そんな状況下で、2008年に岐阜県初のJリーグチームとなるFC岐阜が誕生した。そして、10年の歳月を経て「名岐ダービー」が実現した。
これまでのプレシーズンマッチでは何度も対戦をしたが、やはり本気の公式戦での直接対決とは訳が違う。
何もかも負けているだろう名古屋に、サッカーでは勝つ!!
岐阜県民の積年にわたる想いが、この「名岐ダービー」に込められているのである。
http://number.bunshun.jp/articles/-/827584?page=3
最近では時々「FC岐阜」という名前を見かけるように!
いま、FC岐阜は岐阜県人が誇る大きなアイデンティティーになろうとしている。
FC岐阜が誕生するまでは、「名古屋」という強烈なアイデンティティーに抗うものが岐阜県民には無かった。
岐阜県と言えば「下呂温泉」「飛騨高山」「白川郷」「関ヶ原」という世界に誇る観光名所があるにはある。だが、多くの人はこの4つの名称は知っていても、岐阜県にあるということを意識しないし、いずれも県庁所在地の岐阜市にあるわけでもない。
そんな岐阜県民の、現代における確固たるアイデンティティーとなりそうなのが、FC岐阜の誕生だったのだ。
2001年に地域リーグからスタートし、地元・岐阜出身のスター選手である元名古屋の森山泰行を獲得し、彼を中心にチーム作りをし、毎年コツコツとステージを上げていった。
そして2008年のJ2昇格により、スポーツニュースや新聞、様々なメディアなどにも「FC岐阜」の4文字が表示されるようになり、マイナーだった故郷の名前を東京でも目にするようになった。
岐阜は毎年のようにJ2残留争いを続けているが……下部リーグへの降格制度が始まってからまだ一度もJ3に陥落したことはない! 今回は名古屋のJ2降格という他力ではあったが、ついにダービーマッチを実現させるところまでこぎ着けたわけである。
次こそは名古屋に勝つ――。
「名岐ダービー」の第1ラウンドは非常に実り多い、岐阜県民であることに誇りを感じさせてくれる痺れる戦いだった。
http://number.bunshun.jp/articles/-/827584?page=4
この感覚…たぶん、蔚山市民や昌原市民は「対釜山」という観点からよく理解できるだろうと思います。
サッカーであれば、プロリーグ創設当初から参加する釜山アイパーク(かつての釜山大宇)に対して、蔚山現代が蔚山に来たのは1990年、慶南FCが昌原に創設されたのは2005年。プロ野球であれば、釜山に本拠地を置く名門・ロッテジャイアンツの第2球場所在地だった馬山にNCダイノスが創設されたのは2012年のことで、現在は蔚山が第2球場の所在地となっています。
蔚山にしても、馬山・昌原にしても、「(広義の)慶尚南道民として釜山のチームを応援する(せざるを得ない)」という構図は過去にも現在にも見られた(見られる)ものです。蔚山も昌原も100万都市なのですが、なにせ釜山は350万都市ですし、都市間の力関係は否応なく非対称になります。
これが京都・大阪・神戸だと、三すくみの鼎立状況がもっと見られるのですけどねえ。
で、話をサッカーに絞ると、昌原の慶南FCと釜山の釜山アイパークは現在Kリーグチャレンジに属し、蔚山の蔚山現代が慶尚南道エリア唯一のKリーグクラシック所属で、2000年代以降はACLタイトルも獲得して強豪クラブの一角を占めている、といった感じにまとめられます。
新興クラブである慶南FCはともかく、釜山アイパークは1990年代までにリーグタイトルを何度も獲得した名門クラブなのですが、昨年の降格に至るまでの時期には中下位に定着していた印象が強いです。イメージ的には、「蔚山現代=ジュビロ磐田」「名古屋グランパス=釜山アイパーク」「慶南FC=FC岐阜」と割り振ってみると、想像がつきやすいと思われます。
で、そこで出てくるのが、名古屋グランパスから釜山アイパークに移籍した安田理大、ということになります。
ちょうどいいタイミングで、その安田の釜山移籍に関わる点を質問したインタビュー記事が出ています。
――安田理大といえば日本でも屈指のサイドバックでした。韓国、それも実質2部の釜山アイパークを選んだ理由やここに来るまでの流れを教えていただけませんか?
安田理大(以下、安田):まず名古屋との契約が1月に満了して、フリーで契約ができる状況にありました。正直なところをいうと、ACLに出場できるクラブにプライオリティを置いていました。実際、ACLに出場できるクラブとも交渉を進めていたんですけど、契約まで待たなければいけない状況の中で、チームをいち早く決めなければいけませんでした。
ちょうどその時に釜山からオファーが届いて、コンディションを上げたいという気持ちで韓国に行きました。自分が全く知らない環境で、自分を初心に戻したいと思ったんです。調子を落としてきたのも確かにあるので、Kリーグチャレンジで調子を戻したいというのもありました。
https://www.footballchannel.jp/2017/03/08/post200922/
韓国では左右のSBにボランチも。コンディションも徐々に向上
G大阪時代の安田【写真:Getty Images】――釜山という街の印象は? 大阪に似た感じとよくもいわれますが。
安田:最初にクラブハウスに来た時はあまりにも田舎で、『ここでうまくやっていけるかな』という思いは確かにありました。だけど、この前のオフでヘウンデ(※釜山で最も大きい繁華街。海水浴場が繁華街のすぐ手前にあるなど異彩を放つ街で知られる)に行ってみたらまさに最高でしたね。ロケーションもよくて、大阪というより神戸に似たような感じでした。大阪は釜山ほど海が綺麗じゃないですし(笑)
――練習試合では右サイドバックを任されていると聞いていますが、チームから求められる役割は?
安田:右もそうだけど、左も任されたり、ボランチもやったりしています。いろんなポジションをこなせるのは確かに自分のストロングポイントだと思っているし、そういう部分ではどのポジションを任されてもやれる自信はあります。
――現在のコンディションは?
安田:100%ではないですね。韓国のシーズンは日本よりも早く始まるけど、僕が調子を上げ始めたのは1月末でした。なので体を作り上げて1ヶ月も経っていない。だけど、ゲームコンディションは上がっていってます。今月に入って(練習試合で)2回もフルタイムを経験していますし。
――3月4日の開幕戦が迫っていますね。(城南FCとの開幕戦はベンチ入りするも出場はなし)
安田:確かに、時間はあまりない。でも選手ならピッチで100%を発揮しなきゃいけないし、ケガをしていてもコンディションがよくなくても、プロならピッチ上で100%の力を注ぐべきだと思います。
https://www.footballchannel.jp/2017/03/08/post200922/3/
名古屋では決していい活躍ができたとは言い難かったうえに、チームは降格、自らは退団、ということになってしまいました。名古屋と同じく「降格した名門」釜山アイパークで、チームと自らの再生を果たすことができるのか。とりあえずはKリーグクラシックへの昇格の実現が具体的な目標になります。
ガンバ大阪を経由して他のクラブで活躍している選手は数多いますが、安田もその一人ですからね。ここからの復活を期待していますよ。
まずはコンディションを上げて、試合に出て、釜山の勝利に貢献するところからです。
――まだ韓国に来て1ヶ月しか経っていませんが、サッカーをする上で韓国と日本の一番の違いは何だと思いますか?
安田:スピードやフィジカル、あとファイティングスピリットは韓国のほうが上回ってますね。戦術的なところでは日本が上かな。いい意味でも悪い意味でも日本の方が組織されてますね。いい環境は整えられてるんですけど…僕からすると日本人選手は少し甘いというか、ハングリー精神がないように見える時があります。環境が良いのはいいことだけど、この良さがグラウンドで怠慢につながってはいけないと思うんですよね。
オランダに初めて行ったとき、フィテッセのクラブハウスや設備があまりにも古くてすごくびっくりしました。でも日本でずっとサッカーをやってたら、たぶん設備のよさとか、『今まで自分がどれほど恵まれた環境だったのか』っていう感覚はまったくなかったはずだと思います。だから、そういう部分では韓国の選手たちはメンタル面で成長したんじゃないかなと思っています。
――今年の目標は?
安田:まずは試合に出ること。あとは試合に出場してチームをKリーグクラシック(1部)に昇格させることです。(個人的な目標は?)具体的な数字はないけど、シーズンが終わった時点で『今年は充実していた』って振り返られるシーズンにしたいですね。
https://www.footballchannel.jp/2017/03/08/post200922/4/