【利川の風景】民主化運動記念公園・その1:屋内施設展示

こちらを受けて、民主化運動記念公園の中に入っていくとします。

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민주화운동 기념공원

ここには2014年の竣工開園前に一度訪れているので、2017年8月のこの訪問は二度目ということになります。

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竣工は2015年、開園は2016年です。当初の計画では2014年開園予定でしたので、わりとかなり遅れました。

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こうして完成されたところを見るのは私も初めてです。一時は途中で頓挫してダメになるのではないかと思いましたから、ちょっと感動します。

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屋内展示室への入り口は、ちょっと下がったところにあります。入った先は相当広々としていて、施設管理部署の他に、これから見ようとしている展示施設と複数のセミナールームが通路を挟んで並んでいます。教育研修施設としての機能にも相当の重点が置かれているようです。

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で、展示室のほうに入っていきますが、まずは芸術面にスポットを当てる展示から始まります。

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ここまではわりと美学的で抽象的な印象を持たないでもない展示なのですが、歴史を扱う第2展示室に入ると雰囲気が変わります。

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写真や動画、あるいは模型などを駆使しながらも、根本的には文字ベースで伝えようとしているのは、この国の民主化運動の流れの総体です。「総体」というのは、従来の国立民主墓地が対象としていた「3.15/4.19」と「5.18」というピンポイントの事件を含め、その前後左右に存在した有名無名・大小様々な運動を可能な限りすべて包摂する歴史叙述を意味します。

このように包括的な性格を持った民主化運動の記念追悼施設が、政府事業として計画され、設置された*1ことの意義は、実はなかなか大きなものがあると思われます。

先ほども述べたように、国立墓地の体系の中に収まっている民主化運動関連の死者は従来、1960年の「4.19」革命関連の者たちと、1980年の「5.18」(光州事件)関連の者たちに限定されていました。もちろんこの二つの事件が韓国民主化運動史上大きなインパクトを持ったことは否定できませんが、実際の民主化運動はそれ以外にも数えきれないほど存在し、命を落としたり傷ついたりした人もまた数多く存在したわけです。

この展示に見るような民主化運動記念公園の包括性は、民主化運動において国立墓地とは無縁だった多くの死者に対して、国家とのアクセスを開くよりどころとなる可能性を秘めているように思います。

この点で、民主化運動記念公園の造成過程においてクローズアップされたのが、盧泰愚政権下でデモ中に死亡(1991)した姜慶大でした。

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それは、李韓烈の遺族を中心とする人たちと姜慶大の遺族を中心とする人たちの対立という、やや不幸な過程を経て形成されてきたのです。ですが、1987年の民主化後のデモで死亡した姜慶大ですら民主化運動の犠牲者として受け入れる、国立墓地に準じた施設が誕生したことは、韓国という国民国家民主化運動との関係において、新たな一歩を踏み出すものになりえると思われます。

ただし、なお課題は山積みです。その点については、また追い追い考えていきたいと思います。

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*1:なお、この施設の管理運営は、政府からの委託という形で利川市が行なっています。