【南揚州の風景】牡丹公園・2017夏

ここも何度も通っているポイントです。京春線の磨石駅。初めて来たときの京春線はまだ単線非電化路線で、磨石駅もこんな駅ではありませんでした。ダイヤが不便すぎてバスに太刀打ちできる状況ではなかったのも、今は昔ですね。

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かつての線路跡は、この辺では自転車道兼遊歩道になっています。

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ま、それはともかくとして、牡丹公園です。実際に牡丹の花が咲くのかどうかはぜんぜん知りませんが、要するに私設の公園墓地です。

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この牡丹公園が韓国内でよく知られているとしたら、その理由はおそらく、民族民主烈士墓域が存在するが故のことでしょう。120余名の「烈士」が埋葬されているここは、全国にいくつかある烈士墓域の中でも最大規模のものです。

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なお、記事の掲載順とは前後しますけど、この時にここの案内板の説明を見て、湖南の「光州望月洞墓地(5.18旧墓地)」と並んで、嶺南の「鼎足山墓域」と大邱の「現代公園墓域」の名前が挙げられているのを確認し、それから後二者の墓域を訪れた、という時系列関係になります。

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閑話休題。案内図を見ればわかりますが、集中しているエリアはあっても特定の墓域がそのために区切られているわけではなく、個別のお墓が点在する形になっています。分布・集中の度合いに差はあるものの、その点は光州の5.18旧墓地とは異なり、鼎足山や現代公園とは通じるところです。

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他方で、鼎足山や現代公園とは異なる部分が牡丹公園にあるとすれば、前二者がそれぞれの地域にゆかりのある烈士が眠る場所であるのに対し、ソウル近郊のここが全国的・包括的なセンターの役目を事実上担っているという点が指摘できるでしょう。その意味では、地方にあって1980年代以降の民主化運動の焦点となった光州にある5.18旧墓地とこの牡丹公園とは、そうした運動が背負う死者たちの集まる「二つの中心地」となっていたと言えます。

1987年の6月抗争を民主化運動の「頂点」ととらえるならば、朴鍾哲が牡丹公園に、李韓烈が5.18旧墓地に眠っていることの象徴的意味の大きさは明らかです。さらに言えば、利川の民主化運動記念公園の「格落ち」感の理由の一つには、「彼らがいないこと」があると考えられます。

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光州に眠る李韓烈の後ろには、国立5.18民主墓地の設置にともなって墓域を分けたとはいえ、光州事件の死者たちがいます。釜山出身であるにも関わらず南揚州に眠る朴鍾哲の後ろには、労働運動・民主化運動・統一運動において象徴的存在感を発揮してきた名だたる「烈士」たちがいます。

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「在野」で求心力が維持されたままのこれらの墓域と、(事実上の)国立施設として設置された民主化運動記念公園との間を、どう関係づけていくか。これは、簡単に答えが出せる問題ではないですし、あり得る答えは一つではないと思われます。それは最終的には、政治の仕事となるはずです。