引き続きの光州編、5.18旧墓地から国立5.18民主墓地に移動します。
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5.18旧墓地から国立5.18民主墓地へは、公園墓地の正門を出てバス通りを渡り、民主墓地の後門から入るルートと、旧墓地からバス通りの上に抜ける散策道的な連絡通路を通るルートがあります。
その二つのルートが合流するところにあるのがこの石碑。連絡通路の再整備工事や第2墓域の造成工事やでちょこちょこ移動させられているのですが、金泳三と金鍾泌の名前に対するカリカリだけは変わりません。これ、大人げないので、そろそろやめませんか…?
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この碑の向こうに見えている第2墓域は、数年前に整備済みですが、まだ安葬者はいません。
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第2墓域から第1墓域のある場所まで移動する間に見える壁には、様々なペンキ絵が見られます。以前にもいろいろな絵やメッセージが描かれていたのですが、一度真っ白に塗りつぶされました。そこからまた描き出したということになりますね。
国立民主墓地は、新墓域が造成されたり再整備工事が入ったりして、変化がないわけではないのですが、空間全体としては完成されていて、それが大きく変わることはありません。国立墓地とは本来そうあるべきものですし、将来的にも多分それは相当長期間にわたって維持されるでしょう。こうした安定感は、先行き不透明で流動的な要素満載の5.18旧墓地とはたいへん対照的です。
ちなみに、5.18追慕館も変わっていないようでいて、実は展示をちょこちょこ入れ替えています。
展示内容については省略しますが、この時開催されていた企画写真展「1997望月」はよかったですね。国立5.18民主墓地に多くの死者が移葬される直前の望月洞墓地(5.18旧墓地)の姿を写真越しに垣間見ることができました。私自身は2000年以降の韓国しか知らないもので、こうしたものをこの地で目にするという経験は貴重です。
こうした20年前の姿を手掛かりに、そのさらに10年前、そのまたさらに7年前の様子の想像を試みつつ、この地を後にします。
以上で、2017年夏のネタは蔵出し完了です。