【光州の風景】「5.18旧墓地(望月洞5.18墓域)」・2017年夏〔3〕:墓域に眠る人々と支える人々

こちらの続き記事になります。

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5.18旧墓地を訪れた時、奇しくもある葬儀の場に居合わせることになりました。式典用に掲げられた横断幕には、「統一愛国志士イムジェボク議長下棺式」とあります。文字通りの意味で遺体を墓域に埋葬する土葬の葬礼が執り行なわれていました。

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この人物の経歴を見れば、その「統一愛国」運動の出発点が労働運動であることは明らかです。そしてそうした人物を新たに受け入れたこの墓域を見回せば、ここを実働的に支えている力の多くは、労働運動と労働組合から出ていることにすぐに気づくはずです。ずっと前にもちょこっと書いたことですが、この点はけっこう重要です。

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かつて、民主化運動が独裁政権に対する反政府運動であった頃には、「ブルジョア国家と対立するプロレタリアート」というマルクス主義的な構図はわりとすんなり受け入れられ、反政府運動民主化運動・労働運動さらには統一運動という本来は内容の異なる運動が混然と結びつくことになります。

しかし、民主化を経て、国民的基盤を有する政権が政府を構成するようになると、民主化運動にしても、労働運動にしても、それらは単純な反政府運動ではなくなってきます。彼らが支持する大統領が政権を獲得するならば、原理的には彼らが反政府の姿勢に執着する必要はなくなるわけです。かつての運動家たちの政治参加は、彼らを国家の政治制度の枠組みの中に包摂していきます。

他方で、マルクス主義的な言い回しを引き続き用いれば、現在の国家がブルジョア的であることをやめたわけでは必ずしもなく、社会主義革命によってプロレタリアート独裁が実現したわけでもありませんから、労働運動が使用者やそちら側に立つ政府と対立・衝突することはしばしばあります。その点を考えると、民主化運動が求めた民主化は、1987年の大統領選挙直選制導入と第六共和国憲法制定によって「ある程度達成された」と見なし得るのに対し、労働運動が提起している問題の解決は民主化運動に比べて「ある程度達成された」と見なされる余地が小さい=なお解決の途上であると言えるでしょう。

程度の問題はありますが、「民主化運動は終わっている」のに対して、「労働運動は終わっていない」。大雑把にそうまとめることもできそうです。分裂、とまで言えるかどうかはともかく、少なくともどこかズレてはいる。

とすると、民主化運動は現段階である程度まで「過去の歴史」として記録し、記憶し、記念することが可能であるのに対し、労働運動は現在進行形の「未解決の問題」としてとらえるのが妥当なのではないか。民主化運動は「記念すべき過去の達成」であり、労働運動は「解決すべき現在の課題」であるとすれば、前者と現状維持を志向する生活保守主義とが結びつくことも、後者と現状変革を目指す統一問題とが結びつくことも、理屈として理解できます。

要するに、「現在の韓国の繁栄の基盤」として位置づけられる民主化運動を国家が顕彰し、記念する流れは、国民的なコンセンサスが比較的得られやすいと考えられます。他方でそれは、「繁栄の光に対する陰の部分」としての労働問題や、なお未解決の南北統一問題の解決を求める運動の流れとは、必ずしも相性がよくない。もともと両者は分かち難く同じ陣営にあったとしても、です。

韓国における労働組合の現状を考えると、彼らの死者=「労働烈士」を国家が顕彰するのは、いささか時期尚早ではないか。それはおそらく、顕彰という以上に「敵対勢力の取り込み」という意味合いを帯びて、今ある問題の解決の場としての労使対立の機能を阻害する要因にしかならないのではないか。

先の記事に書いた「5.18旧墓地の国立化」という仮定について想像を巡らせてみた時、この点は大きな壁となって立ちはだかってくるような気がするのですよ。国立墓地と民主化運動と労働運動と統一運動とをどのように整理し、どこに突破口を開いてどう関係づけるか。

こうした問題は、光州や利川の各墓域やその他の国立墓地だけでなく、労働運動色の強い民族民主烈士墓域を抱える牡丹公園・鼎足山公園墓地・現代公園の今後の展開にも大いに関わっているものと思われます。