All living things are vulnerable.

たまたま見かけたこのツイートで思い出したこと。

ある時、ある集会に参加した時のことでした。

細かいことは忘れたんですけど、vulnerabilityという言葉がキーワードになったお話を聞いて、ちょっとした質問をする機会があったんです。

戦争と抑圧、性差別主義と平和運動といった議論の中で、vulnerabilityが核心的な論点になるのはわかる。ただ、vulnerableなのは常に「女性」であるとは限らず、ジェンダー視点からなされる議論が有意義であることは認めるにしても、最終的にその議論はあらゆる「弱者」に開放されるべきではないか。

確かそんな質問をしました。

英語が全くできない私のことですから、たぶん通訳を介しての質問だったはずです。

この質問、講演者からは「まったくその通りだ」と全面的に賛同してもらいました。その時の回答のまとめの言葉が「All living things are vulnerable.」でした。この言葉、私には忘れがたいものです。

他方で、あの時の会場全体を覆った微妙な空気、「そうは言ってもまあ…」といった感じで受けた司会者が、その質疑応答をまるでなかったものにして、その後の集会が進行していったあの光景も、私には忘れがたいものになっています。

ま、ぶっちゃけこれなんですけどね。リアドンさんは終始にこやかで落ち着いていて、すごくいい人でした。

http://gcoe.hus.osaka-u.ac.jp/GCOE_gender.pdf
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性差別主義と戦争システム
女性・戦争・人権 第9号 特集:フェミニズムと労働