All living things are vulnerable.
たまたま見かけたこのツイートで思い出したこと。
このツイート、小学校の時、私の容姿が劣っていた事で、女子からは「キモいなま卯は転校すればいいのに」と言われたり、バレンタインデーの時に私以外の男子全員にチョコレートをあげて「全員にチョコレートをあげた」と言った女子がいたことを思い出したりして、涙なしでは読めない。 pic.twitter.com/REtINEnAPU
— なま卯 (@e_the_dethroner) 2019年6月8日
ある時、ある集会に参加した時のことでした。
細かいことは忘れたんですけど、vulnerabilityという言葉がキーワードになったお話を聞いて、ちょっとした質問をする機会があったんです。
戦争と抑圧、性差別主義と平和運動といった議論の中で、vulnerabilityが核心的な論点になるのはわかる。ただ、vulnerableなのは常に「女性」であるとは限らず、ジェンダー視点からなされる議論が有意義であることは認めるにしても、最終的にその議論はあらゆる「弱者」に開放されるべきではないか。
確かそんな質問をしました。
英語が全くできない私のことですから、たぶん通訳を介しての質問だったはずです。
この質問、講演者からは「まったくその通りだ」と全面的に賛同してもらいました。その時の回答のまとめの言葉が「All living things are vulnerable.」でした。この言葉、私には忘れがたいものです。
他方で、あの時の会場全体を覆った微妙な空気、「そうは言ってもまあ…」といった感じで受けた司会者が、その質疑応答をまるでなかったものにして、その後の集会が進行していったあの光景も、私には忘れがたいものになっています。
ま、ぶっちゃけこれなんですけどね。リアドンさんは終始にこやかで落ち着いていて、すごくいい人でした。