福岡市に公設の「平和資料館」を、という動き

なるほど、大刀洗にはあって福岡市にはない、と。

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でも、この手の施設って、できるとこには戦後もっと早い段階でできてると思うんですけど、その間、何の動きもなかったんでしょうか。

戦災記念碑なんかは1965年に建てられてますけど。

www.soumu.go.jp

こっちも1962年建立ですね。

www.city.fukuoka.lg.jp

50年以上前のこうした時代に比べれば、いろんな意味で条件は厳しいと思います。それでもやはり、何かの形になればいいなと思います。

「戦争の記憶、継承の場」平和資料館の建設目指し福岡市の団体が始動
2020/11/6 6:00
西日本新聞 社会面 小林 稔子

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旧十五銀行福岡支店跡の博多座前で、福岡大空襲で多くの人が亡くなった地下室の話を聞く人たち=10月11日、福岡市博多区

 福岡市にない公設の「平和資料館」を造りたい-。戦争の歴史や悲惨さを後世に伝える「平和資料館」の建設を目指して、同市の約10の市民団体が共に活動を始めた。戦後75年、体験者は齢(よわい)を重ね、「戦争を知る世代がいない時代がそこまで来ている」。危機感を募らせるメンバーは機運を高めようと15日、初めての市民向け集会を開く。

 福岡市は2千人を超える死傷者、行方不明者を出した福岡大空襲(1945年6月19日)を経験。博多港は引き揚げ港として、終戦直後の約1年半で中国などから約139万人を受け入れた。一方で、こうした史実を学ぶ公的な場は現在、市民福祉プラザ(同市中央区)の一角にある引き揚げ資料コーナーや、空襲で大きな被害が出た地区にある博多小(同市博多区)の平和祈念室などに限られる。

 原水爆禁止福岡市協議会理事長の熊谷敦子さん(68)は「展示規模が小さく、戦争の歴史を包括的に学べるものになっていない」と語る。

 熊谷さんは各市民団体に活動への賛同を募った。3月の顔合わせ会合に、公設の引き揚げ資料館設置を求めている「引揚げ港・博多を考える集い」や、戦争を語り継ぐ活動を続ける「福岡女性団体交流会」などが参加。10月、「福岡市に平和資料館の設置を求める会」として正式発足した。

 求める会のメンバーは、戦跡を巡る学習会を重ねた。10月は博多区を巡り、福岡大空襲犠牲者らの慰霊塔がある冷泉公園や、焼夷(しょうい)弾の破片が残る正定寺(しょうじょうじ)などを視察。地下室に逃げた63人が焼け死んだ旧十五銀行福岡支店跡(現博多座)では、電動式だった地下室のドアが空襲で開かなくなり、壁に指でかきむしった跡が残ったとされる。しかし、現場に説明板はなく「伝える工夫がなく、戦跡が生かされていない」「何が起きたのか、資料館で伝えるべきだ」との声が上がった。

 九州の公設の平和資料館は、長崎市長崎原爆資料館や福岡県筑前町立大刀洗平和記念館などがある。北九州市は2022年の開館を目指し、平和資料館(仮称)の準備を進めている。

 求める会は今後、行政への働き掛けや街頭での署名活動などに取り組む考え。「市民や観光客が集い、学びを深めることができる施設にしたい」と意気込む。

 集会「平和資料館を考えるつどい」(参加無料)は15日午後2時から、福岡市中央区天神5丁目の市民会館小ホールで開かれる。 (小林稔子)

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