九州大学のキャンパス移転の顛末はどう転がっていくのか。

何年か前に九大箱崎キャンパスを訪れたことがあるのですが、その時にはすでにかなり移転が進み、キャンパスの相当の部分が廃墟然としていて、侘しい気持ちになったことを思いだします。

「九大遺産」記憶に刻む 箱崎キャンパス彩った近代建築物 [福岡県]
2015年10月14日 13時50分


取り壊しが進む九州大箱崎キャンパス

 104年の歴史を誇る九州大箱崎キャンパス(福岡市東区)。2018年度までに伊都キャンパス(同市西区、福岡県糸島市)に全面移転するのを前に、一部建物の取り壊しが進む。研究者や学生でにぎわった学びやの中には歴史的価値があるものも少なくないが、倒壊の恐れがあるなど安全性の問題から解体されてしまう。「九大遺産」の記憶を後世に残したい−。16日と18日に現地で開催される見学・撮影ツアーを前に、解体予定の近代建築物を紹介する。

 カツーン、カツーン。踏み出すたびに革靴のヒールの音が廊下に響き渡る。窓から差し込む日光と、それが届かない陰とのコントラスト。映画で見たような廃虚がそこにあった。

 「旧応力研生産研本館」。関東大震災後の初期鉄筋コンクリート造り。1925(大正14)年に建設された。地上4階建ての堂々とした外観。64(昭和39)年まで法文学部本館だった。実際、サスペンス映画のロケもあったという。

 論語の三畏(君子がおそれつつしむべき三つのこと=天命、大人、聖人の言葉)から名付けられた「三畏閣(さんいかく)」の愛称で学生や教職員に長年親しまれてきた「第三学生集会所」(1937年建設)は、料亭を連想させる木造2階建てで庭園も備えていた。

 27年建設の「応用物質化学機能教室」は茶色のタイル張りでアカデミックな外観だが、戦時中、米軍の空襲目標とならないよう迷彩塗装した塗料が残り、所々黒ずんでいる。

 箱崎キャンパスは移転とともに跡地42・6ヘクタール全てが売却される予定だ。九大は2012年、キャンパス内の約200棟のうち原則、戦前に建てられた24棟を貴重な建築物として調査。1930年建設の旧工学部本館など4棟は「九大を象徴し極めて評価が高い」として、保存を前提に跡地の売却先と交渉する。

 一方、今回ツアーの対象となった5棟は移転が完了している工学・理学系エリアにあり、「利活用は困難」として解体される見通し。九大統合移転推進課の岡野公嘉課長は「卒業生には気にされている方も多いと聞く。この機会に目で見て、撮影して記憶にとどめてほしい」としている。


【旧応力研生産研本館】大正時代に建設された旧応力研生産研本館


【応用物質化学機能教室】建物の一部に戦時色を残す応用物質化学機能教室


【第三学生集会所「三畏閣」】「三畏閣」の愛称で親しまれた第三学生集会所の畳敷きの広間。学生たちがコンパなどをしたという


【第三学生集会所「三畏閣」】第三学生集会所の外観

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■16、18日に見学・撮影ツアー

 見学・撮影ツアーは16、18の両日とも午前10時〜正午で参加無料。100人程度、事前申し込みは不要。問い合わせは同課。

=2015/10/14付 西日本新聞夕刊=

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_toshiken/article/200976

部外者の感想としては、「もったいない」の一言しかないのですが。100年以上刻まれてきた大学の記憶とそれに付随する唯一無二な歴史的価値をゼロ査定してほぼすべて解体して、街中に広い面積を占めるというだけのただの更地にして、売り払うわけでしょう?

九つあった旧帝国大学のキャンパスで、こんなに雑で安っぽい扱いを受けた場所って、他にありましたかねえ。台北帝国大のキャンパスをそのまま継承している台湾大は言うまでもなく、大学路から冠岳山のふもとへ移転したソウル大でも、医学部はそのまま残っていますし、旧京城帝国大学本館の建物も公園内に現存しています。

台湾大学留学生のとある一日 - 台北ナビ
大学路、近現代建築を歩いて見てまわる旅! - ソウルナビ

特に何か跡地構想を持っているわけではなく、「高く売れたら何でもいい。あとは知らん」って感じなんですかねえ、九大サイドは。

脱学生の街へ多様な意見 九大箱崎の跡地利用 青写真は
2015年09月16日 03時00分


福岡市西区の伊都キャンパスに移転する九州大箱崎キャンパス

 ベンチャー企業の共同研究施設、マンション、商業施設、国の出先機関の誘致…。九州大箱崎キャンパス(福岡市東区)の西区への移転をめぐり、跡地利用の青写真をどう描くか、住民や地場経済関係者、市議会でも議論百出となっている。一方で、古いのれんを守ってきた学生相手の店には危機感も広がる。生まれ変わる街の未来に思いをはせつつ、約43ヘクタールの広大なキャンパス周辺を歩いた。

 箱崎キャンパス西側の通称「小松門」。警備担当の岡野弘文さん(66)は「人が減ってがらんとしているよ」と話した。

 定食店や居酒屋、書店、家具店…。工学部が先行して西区の伊都キャンパスに移転後、のれんを下ろす学生相手の店が目立つという。自転車店を営む石村帰一さん(70)によると、学生客は最盛時の約半分。「キャンパス跡地に大型商業施設が立地したら、商店街は壊滅するのではないか」と表情を曇らせた。

 不安の一方で、期待の声も。近くのマンションで管理人を務める男性(62)は「せっかくの広い土地。テーマパークとか運動場とか、新しい集客が見込める施設が入ってほしい」。

 伊都への「完全移転」は2018年度の予定。大学側は昨年、民間からの提案を募集。「商業」「住宅」「医療」「教育」などをキーワードとする案が寄せられているが、具体的な利用計画は固まってない。大学や市、地元代表、経済界などでつくる協議会で検討が続いている。

 15日の市議会一般質問でも跡地利用をめぐる質疑があった。質問に立った藤本顕憲市議(みらい)は「国の中枢管理機能の箱崎キャンパス跡地へ移転を」と提案した。国の出先機関が入る博多区の合同庁舎を箱崎に移し、首都圏などでの大災害時に政府機能を補完させるとの持論。答弁した市側は「国や地元経済界の意向を把握し、今後の検討状況を注視する」と、あくまで慎重だった。

 築100年を超す赤れんがの正門前。約100年続く文房具店の店主山内靖夫さん(76)は「箱崎は学生のおかげで成立してきた」と話す。築85年の旧工学部本館などキャンパスには歴史的な建物がある。「大学があったことが分かるように保存してほしい」。跡地利用に寄せる思いを語る山内さん。キャンパスをかっ歩する学生たちの姿をまぶしそうに見つめていた。

=2015/09/16付 西日本新聞朝刊=

http://www.nishinippon.co.jp/feature/local_councilor/article/195448

実際、先日の福岡KARASIAツアーで六本松にある九州大学の旧教養部キャンパスを通りかかったのですが、こんな感じでしたからねえ。もうすっかり更地になっていた跡地ではマンションの建設工事が進んでいて、斬り残された大樹のみが往時をしのばせます。北京の豊台駅移転再開発を思い出しました。

九州大学六本松地区 - Wikipedia


いや、別に批判しているわけではありません。そんなこと言えた義理はありませんから。

ただ、私と似たようなことを感じている人は、決して少なくはないと思いますよ。

2015.4.28 07:05更新
九州大の箱崎キャンパス、「解体ありきでなく保存検討を」更地造成に疑問の声続々 福岡


大正14年に建てられた「保存図書館」も耐震性の問題から解体される方針となっている

 九州大の伊都キャンパス(福岡市西区、福岡県糸島市)移転に伴う箱崎キャンパス(福岡市東区)再開発が揺れている。歴史的建築物について九大は、ごく一部を除いて取り壊す可能性に言及しており、これに地元の建築家や住民、跡地購入を検討する一部の事業者から、保存・活用を求める声が上がっている。(奥原慎平)

 「大正や昭和初期の近代建築物を、可能な限り保存することが歴史と風格に配慮したまちづくりにとって重要だ」

 西日本鉄道は27日、箱崎キャンパス内の建築物解体の延期を求める要望書を、九大に提出した。

 西鉄箱崎キャンパスの跡地購入を検討している。キャンパス内に残る歴史的建築物について、飲食施設やマンションなどへの転用も可能だとし、保存・活用を九大側に再三訴えてきた。それでも、九大の方針は変わらず、要望書提出に至ったという。

 同社企画開発部の花村武志課長は「歴史ある建物が並ぶ広大な土地開発は、福岡市の特異性を表現できる。耐震性など難しい側面も確かにあるが、解体方針はあまりにも拙速ではないでしょうか。耐震性などについて詳細に調査する時間すらない」と語った。

                 × × ×

 箱崎キャンパスは明治44年、九州帝国大として開設された。43ヘクタールの敷地に、大正〜昭和初期の建築物22棟が現存する。このうち、「旧工学部本館」や現「グラミンクリエイティブハウス」など5棟は平成20年度、経済産業省から「近代化産業遺産群」に認定された。

 一方、九大は17年度から、伊都キャンパス移転を進める。箱崎キャンパスは基本的に更地にした上で、民間に売却される予定となっている。

 今年3月に九大が策定した跡地利用計画では、「グラミンクリエイティブハウス」や「道路工学実験室」など8棟は、耐震性に問題があるとして、解体する方針を示した。

 保存を打ち出したのは、「旧工学部本館」など3棟と正門だけ。その他の11棟について九大側は「可能な限り保存する」としているが、売却先の事業者に強制力は及ばず、取り壊される可能性も高い。

 九大統合移転推進課は解体の理由として、倒壊の恐れがあることや、土壌汚染の調査が必要なことを挙げる。また、跡地の売却益をキャンパス移転経費にあてることから、なるべく高く、早期に売りたいという狙いもある。

 同課の担当者は「無人の建物を一定期間残せば、ゴーストタウンのようになり治安悪化と地域の活力低下につながる」と説明した。

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 だが、この方針に対し、学内や民間事業者から疑問の声があがる。

 工学部の末広香織准教授(建築学)は「更地化について、一部で粛々と決められ、建築関係者でも知らない人が多いのではないか。40ヘクタールもの更地化を許せば『九大には歴史建築の重みを理解できる人間がいない』と笑いものになってしまう」と嘆く。

 今月19日、昭和6年完成の「グラミンクリエイティブハウス」に、住民や卒業生ら300人が集まった。5月に解体工事が本格化するのを前に、84年の歴史に別れを告げようと、関係者が見納めパーティーを開いた。

 外壁は表面をくしで削ったような凹凸の「スクラッチタイル」を採用。光の反射が少なく、重厚な雰囲気を醸し出す。

 企画した1人、建築家の斉藤昌平氏は「現代建築には見られない手法。本物を残すことに価値があると思うんですが」と残念がる。

 様式の珍しさだけではない。

 この建物は平成23年、社会問題の解決を、ビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの研究拠点となった。その改修の際、障害を抱える芸術家が壁画を描き、広く知られるきっかけになったという。

 ソーシャルビジネスを研究する岡田昌治教授(国際法務)は「思い出が詰まった建物。パーティーを開くことで、少しでも多くの建物を残すきっかけにしたい」と語った。

 NPO法人「福岡建築ファウンデーション」理事長の松岡恭子氏は「街が培った時間の連続性を重んじることで、その街の独自性がでるのではないか。福岡市は歴史的建造物が少なく、大学にはぜひ保存に挑戦してほしい」と期待する。

 久保千春学長は産経新聞の取材に「歴史的な建物を後世に残すべきだとの考えは同じ。あとは担当部署の意見などを基に考えたい」と語るにとどめた。

 九大は跡地利用計画に基づき、今秋から、エリアごとに開発事業者の公募を始める。

http://www.sankei.com/region/news/150428/rgn1504280037-n1.html