「大町よってけ広場」には、もともと円谷幸吉の記念碑が立っていたんですね。それで事態を把握しました。
つい「え、そんなところに円谷幸吉のお墓が?」とか思ってしまいました。そういう名前のところ、多いものですから。文字通りの意味で「円谷幸吉記念公園」だということで了解しました。
「円谷幸吉メモリアルパーク」に 須賀川の「大町よってけ広場」 3月28日名称変更
2020/02/28 08:14
名称を変更する広場で、地域と五輪を盛り上げたいと語る近藤会長須賀川市の大町町内会は、東京五輪聖火リレーが通過する三月二十八日に「大町よってけ広場」の名称を「円谷幸吉メモリアルパーク」に変更する。
広場には市内出身で一九六四(昭和三十九)年の東京五輪男子マラソン銅メダリスト円谷幸吉の功績をたたえる記念碑が立つ。リレーが広場の前を通るのを知り、地元住民らが「円谷選手の偉業を全国に発信し、後世に伝えたい」と決めた。近藤孝一町内会長(70)らが市に変更を申請し、受理された。
新しい公園の名称が刻まれた高さ一・五メートル、幅〇・四メートルの石碑を設置する。二十八日午前に除幕式を行う予定。来場者らに豚汁などを振る舞う。
五十六年前の聖火リレーの際、近藤会長は円谷の母校である須賀川高一年生だった。市街地にサルビアを飾り、聖火ランナーを迎えた。日本選手を応援するため地域住民が一丸となっていったという。近藤会長は記念碑を見つめ、「地元の英雄に再び脚光を当て、地域と五輪を盛り上げたい」と意気込んだ。
お墓は、同じ市内の十念寺にあるということです。
円谷幸吉命日に墓参り 兄ら12人冥福祈る
2020/01/09 10:12
墓前に線香を供え、冥福を祈る喜久造さん(左)と安藤会長一九六四(昭和三十九)年の東京五輪男子マラソンで銅メダルに輝いた円谷幸吉の命日の八日、出身地の須賀川市の関係者らは幸吉が眠る市内の十念寺を訪ね、墓参りをした。
円谷幸吉・レガシーサルビアの会の会員と、市内に住む兄の喜久造さん(87)ら十二人が訪れた。雨の中、次々と線香を供えて手を合わせ、冥福を祈った。
東京五輪・パラリンピックの開催が迫り、安藤喜勝会長は「今春の聖火リレーのランナーが続々と決まっていることや、若い選手たちが『第二の円谷』を目指して頑張っていることなどを墓前に報告した」と述べた。喜久造さんは八歳年下の弟をしのびながら「五十二年たった今でも墓参していただき感謝している。弟が名を残すことができて誇りに思う」と話した。
同会は、五十六年前の聖火リレーの際に幸吉の母校の須賀川高生が市街地にサルビアを飾って聖火ランナーを迎えた経緯を踏まえ、今春のリレーでも「サルビアの道」を再現しようと活動している。
幸吉は一九六八年一月八日、二十七歳で自ら命を絶った。
両地点を地図に落とすとこんな感じです。須賀川駅→十念寺→円谷幸吉メモリアルパークと歩いて巡ることも十分に可能そうですね。
円谷幸吉の生きた時代は私にとって同時代ではありませんが、その人生のリアルなところに想像を巡らせるきっかけとなった『栄光なき天才たち』、いまはKindle版でも読めるんですね。昔は単行本持ってたけど、もう処分したなあ…。