北条鉄道自体のことは、そのあたりをドライブしたこともあって知らないではないのですが、こういう事故があったことは知りませんでした。
網引駅に事故を説明する看板が掲げられているみたいですね。
庶民の悲劇、後世に 大戦末期の北条鉄道脱線転覆
2003/08/08太平洋戦争末期、不時着した戦闘機が加西市網引町で引き起こした旧国鉄北条線の列車転覆事故で、犠牲となった乗客の遺族らが十日、現場近くの北条鉄道網引駅に「慰霊看板」を設置する。当時、事故は「機密」扱いで詳しい事実が公表されなかったといい、遺族らは看板に事故の概要や犠牲者名を記し、「隠された庶民の悲劇を忘れないで」と訴える。(中島摩子)
事故は一九四五年三月三十一日に起こった。旧姫路海軍鶉野飛行場(加西市鶉野町)の「紫電改」が試験飛行中、エンジン不調で不時着。車輪で線路がゆがみ、直後に通過した列車が脱線、転覆した。死者十一人のほか、重軽傷者百四人にのぼる大惨事となった。
しかし、事故は「軍の機密」とされ、原因となった戦闘機墜落の事実は伏せられたまま。事故を報じた新聞も「旅客車が脱線転覆、死傷者多数」などと数行の記事を掲載しただけだった。
慰霊看板は縦一メートル、横二メートルのステンレス製。同飛行場の歴史を調べている「鶉野平和祈念の碑苑保存会」のメンバーや遺族らが約一年前から設置準備を進め、事故の生存者、列車の車掌、地元関係者ら多くの人も資金面で協力した。設置場所は北条鉄道が提供した。
看板の除幕式は午前十時から。事故で夫を亡くした兵庫県多可郡黒田庄町前坂の亀田みさゑさん(81)は「軍の機密といわれ、人に悲しみを伝えることもできず、自分を責め、泣くことしかできなった。看板によって事故の事実を知らせることができるだけでも、うれしい」と話している。
https://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/030808ke120160.html
地元ではこれまでも長らく語り継がれ、慰霊も続けられてきたようです。
2019/3/31 18:38 神戸新聞NEXT
北条線転覆事故から74年 関係者ら犠牲者の冥福祈る
事故現場で手を合わせる人たち=加西市網引町太平洋戦争末期、兵庫県加西市網引町で旧国鉄北条線(現北条鉄道)の列車が脱線転覆し、幼い子どもを含む乗客ら12人が死亡した事故は31日、発生から丸74年を迎えた。網引駅近くの事故現場では、当時の乗客や北条鉄道の関係者らが犠牲者の冥福を祈った。
事故は1945(昭和20)年3月31日、法華口-網引駅間で起きた。姫路海軍航空隊鶉野飛行場(同市)を飛び立った戦闘機「紫電改」が試験飛行中に不時着してレールが変形し、直後に走ってきた列車が転覆。重軽傷を負った人は62人に上った。
事故直前、紫電改は滑走路に降りようとしたが、女性が横切ったため再び上昇した。不時着について、戦史研究家の上谷昭夫さん(80)=同県高砂市=は昨年、元整備兵の「当時は燃料が余分になかった」という証言を明らかにした。
事故発生時刻に近い午後5時前。花を手向け、手を合わせて祈る人たちの前を列車が弔笛を鳴らして通過した。事故列車に姉と乗っていた男性(82)=同県加東市=は「事故は、戦争があったから起こった。戦争は永遠になくなってほしい」と話していた。(森 信弘)
https://www.kobe-np.co.jp/news/hokuban/201903/0012199257.shtml
事故から75年を経た今、こうして慰霊碑が建ち、報道もされることで、記録され、記憶される手がかりがそれだけ増えます。そのぶん後世にも長く伝わるでしょう。また機会があったら見に行きます。
2020/4/1 05:30 神戸新聞NEXT
北条線脱線事故 発生から75年を経て慰霊碑完成
列車の通過に合わせて、慰霊碑に手を合わせる関係者たち=加西市網引町
事故現場に建てられた慰霊碑の除幕式=加西市網引町太平洋戦争末期に兵庫県加西市網引町の旧国鉄北条線(現北条鉄道)で、列車が脱線・転覆した事故から丸75年を迎えた31日、事故現場に建てられた慰霊碑の除幕式があった。関係者による長年の尽力が実を結んだ形で、関係者21人が参列。式の後、列車の通過に合わせて12人の犠牲者に祈りをささげた。(小日向務)
事故は1945(昭和20)年3月31日、北条線網引駅西方で起きた。旧姫路海軍航空隊鶉野飛行場(加西市)から飛び立ち、訓練飛行中の戦闘機「紫電改」が線路に不時着してレールが変形。海軍工作兵や住民で満員だった列車が直後に差し掛かり、脱線・転覆した。犠牲者には2歳の幼児3人やパイロットも含まれていた。
慰霊碑は縦12センチ、横21センチ、高さ1メートル。遺族らから「後世に事故や現場のことを伝えてほしい」との要望があり、遺族関係者や北条鉄道が事故現場の線路横に建立した。「列車事故殉難の碑」と記され、事故の発生日、建立日なども彫られている。
この日は、午後4時半から除幕式があり、読経の声が響く中、当時の乗客や北条鉄道の関係者らが焼香した。
事故列車に乗っていた男性(83)=兵庫県加東市=は、同県福崎町にあった親戚の家から姉と同県小野市の自宅に帰る途中だった。「ちょうど75年の節目。乗客の一人として大変ありがたい」と感慨深げだった。
これまで構想はあってもなかなか実現しなかったという。建立に尽力した郷土史研究家の男性(81)=同県高砂市=は「この機会を逃せば、石碑の建立はできなかったと思う。やっと晴れて殉難の碑ができ、亡くなった人も喜んでいるのではないか」と話していた。
https://www.kobe-np.co.jp/news/hokuban/202004/0013237500.shtml