西日本新聞の特集「韓国葛藤 光州40年」

1980年の光州事件から40年の今年、西日本新聞が特設ページを作ってウェブ上にも載せているこの特集、ものすごく内容の充実したものです。

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下の記事は特集全体のカバーストーリーに当たるものだと思います。ここから連載は続くわけですが、これたぶん、単行本化も視野に入ってますよね…?

民主化「光州の怒り」原点 金大中氏抗争の半生「血と汗と涙」ささげ
2020/4/6 6:00 西日本新聞 国際面 池田 郷

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韓国における民主化の歩み

 40年前に韓国光州市で起きた光州事件で、市民が蜂起したきっかけの一つは地元の全羅道出身で民主化運動を率いた金大中(キムデジュン)氏(1925~2009)の逮捕だった。度重なる逮捕、死刑判決、暗殺未遂、大統領就任。金氏の波乱の人生は韓国の保革対決の歴史と軌を一にする。 (ソウル池田郷)

戒厳令布告

 「金大中氏を釈放せよ」-。1980年5月18日に発生した事件は、前年にクーデターを起こした軍部が17日に戒厳令布告を決め、金氏ら政治家26人を内乱陰謀の疑いなどで逮捕したことに端を発する。金氏は60年代から活躍する民主化運動の指導者。金氏を支持する光州市民は激怒した。

 当時の軍トップは後に大統領となる全斗煥(チョンドゥファン)氏(89)。「金氏と民主化運動が活発な光州を押さえ込まなければ政権が揺らぐと考えたのだろう」。地元紙記者だった「5・18民主化運動記録館」(光州市)の羅義甲(ナウィガプ)館長(70)は指摘する。

 事件後の9月、金氏は事件を扇動したとして死刑判決を受けた。国際社会の働きかけで減刑されたが、米国亡命を余儀なくされた。

ソウルの春

 金氏が民主化運動の表舞台に登場したのは60年の「四月革命」だった。3月の正副大統領選挙で、現職の李承晩(イスンマン)政権による大規模な不正が発覚。野党民主党幹部だった金氏は国民の怒りを背景に追及を強め、李氏を辞任に追い込んだ。

 金氏は61年5月、国会議員の補欠選挙で初当選を果たす。だが当選の2日後、陸軍少将の朴正熙(パクチョンヒ)氏率いるクーデターが発生。国会も政党も解散させられた。

 大統領となった朴氏の軍事独裁を批判し続けた金氏は71年、大統領選に挑み、朴氏に95万票差まで迫った。金氏はたびたび命を狙われるようになる。

 73年8月、滞在先の東京のホテルで韓国中央情報部(KCIA工作員らに拉致され、殺害寸前で救出された。この「金大中事件」は世界で報じられ衝撃を与えた。76年には政府転覆を扇動したとして再び逮捕され、約2年間服役した。

 79年10月、朴氏が側近に暗殺された。朴氏と金氏の長い抗争は終幕した。度重なる弾圧は皮肉なことに、民主化運動の闘士として金氏の存在感を高めた。

 朴氏暗殺後、ソウルを中心に民主化機運が高まった。「ソウルの春」と呼ばれたこの時期、朴政権時代に民主化運動に参加したとして大学を追われていた教授や学生が復帰。75年に逮捕された文在寅(ムンジェイン)大統領(67)もその1人だ。文氏は著書で当時の心境を「心がざわついて勉強に集中できなくなった」と述懐している。

 だが、5月の光州事件を境に風向きは一変。全斗煥政権は民主化運動や言論の統制を強めていった。

民主化宣言

 87年6月、ついに民主化の扉が開く。活動家のソウル大生が1月、治安機関の取り調べ中に拷問死したことが発覚。国民の怒りは全土に広がり、幅広い層が民主化を求めて声を上げた。

 追い込まれた全政権は6月29日、「民主化」を宣言。16年ぶりの大統領直接選挙や言論の自由を約束した。宣言には金氏の赦免や復権も盛り込まれた。

 ただ同年12月に実施された大統領選では、金氏と民主化運動の一方の旗手だった金泳三(キムヨンサム)氏とで候補者調整がつかず、全氏の側近で軍出身の盧泰愚(ノテウ)氏(87)が漁夫の利を得る形で当選した。2人の金氏の合計得票は盧氏を大きく上回っていた。

 金泳三氏が満を持して「文民大統領」となるのは93年。金大中氏が大統領に就任したのは98年だった。

 「自分が血と汗と涙をささげない民主主義は本物ではない」。金大中氏が残した言葉は数々の犠牲と挫折の末に勝ち取った韓国民主化の核心を言い表している。

民主化後の対立軸複雑化 建国起源、対北朝鮮、安保政策

 韓国の軍事独裁政権時代の保革対立は民主化の是非が最大のテーマだったが、民主化後は政治理念や個別の政策に対立軸が移り、複雑化した。建国の起源や北朝鮮との関係、安全保障などあらゆる政策で衝突が続いている。

 建国史を巡っては、過去の保守政権は李承晩大統領が大韓民国の樹立を宣言した1948年8月を起源とする。一方、革新系の文在寅政権は日本統治時代の1919年3月に起きた「三・一独立運動」と同年4月に中国上海市で樹立された臨時政府を重視する姿勢を強めている。

 背景には、保守側が李政権の反共政策などを評価するのに対し、革新側は保守政権の正統性を否定する思惑があるとされる。文政権は昨春、「独立運動100周年」と銘打って民主国家の新たな起点と位置づけるキャンペーンを展開した。

 保守政権の反共政策は北朝鮮を国防上の脅威と位置づけ、日米との安保協力を重視する政策につながる。民族主義的な傾向の強い革新政権は北朝鮮に融和的で、日米韓の連携を軽視しがちだ。文政権が昨年、日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄に言及し、両国との摩擦が生じたのが象徴的だ。

 経済政策では、保守政権は財閥主導の経済拡大路線を取り、革新政権は公正な競争と労働者や弱者への分配を重視する。北朝鮮と韓国の対立を意味する「南北葛藤」という言葉にちなみ、韓国の保革対立は「南南葛藤」と皮肉られている。

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文政権、事件を再調査

 文在寅大統領は就任直後の2017年5月、光州事件の犠牲者追悼式典に出席し「この政権は光州民主化運動の延長線上にある」と述べた。同年8月には公約に基づき、国防省に事件の再調査を命じた。

 同省は18年2月、事件当時に戒厳軍が市民に向けてヘリコプターの機銃掃射を行い、虐殺したと認定。同年10月には、軍兵士による女性への性暴力17件のほか、わいせつ行為、性拷問などの人権侵害行為が多数あったと発表した。

 18年3月には事件の真相究明の特別法を制定。19年12月に第1回調査委員会を開催した。調査対象は、死者・行方不明者数などの全容把握▽前線の部隊に市民への無差別発砲を命じた責任者の特定▽行方不明者を埋葬したとされる場所の特定と遺骨の発掘-など。調査期間は2年の予定だ。

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