西日本新聞の特集「韓国葛藤 光州40年」:政治的分断と「あなたのための行進曲」

西日本新聞の「韓国葛藤 光州40年」連載正編の1回目がこちらです。歴史を踏まえ、当事者の証言も取り、きちっと書かれています。

韓国「武器持たぬ内戦」今も 光州事件40年、影落とす保革分断
2020/4/6 6:00 西日本新聞 国際面 池田 郷

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光州の地図

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光州事件の負傷者らが運び込まれた病院の看護師だった安聖禮さん。犠牲者の写真は軍の暴力性を記録するため撮影されたという=韓国・光州市(写真の一部を加工しています)

韓国葛藤 光州事件40年(1)

 韓国南西部の光州市で1980年5月、民主化を求める市民らのデモ隊を軍が弾圧した光州事件から今年で40年。市民に国家権力への激しい怒りを植え付けた事件は、後の民主化実現の原動力となる一方、社会を分断するしこりとして影を落とす。韓国の葛藤を追う。 (ソウル池田郷)

 死亡直後に撮影された遺体の多くは顔や首元が生乾きの鮮血に塗られていた。被写体は銃剣で刺され、銃弾に撃ち抜かれて絶命した学生や市民。当時希少だったカラー写真は事件の凄惨(せいさん)さを生々しく今に伝える。

 80年5月18日、光州市中心部に集まった学生や市民らが民主化を求めて怒声を上げた。鎮圧に乗り出した戒厳軍はデモ隊をこん棒で殴り倒しては軍用車の荷台に放り込み、連れ去った。無差別に発砲し、ヘリコプターで機銃掃射まで行った。デモ隊側も軍施設から奪った銃などで応戦。衝突は10日間に及んだ。

 徹底した情報統制下、ひそかにシャッターを押し続けたのはけが人や遺体が運び込まれた地元の病院職員だ。「遺体の銃創や切創をあえて撮影したのは軍の暴力性を記録するためだった」。同僚看護師だった安聖禮(アンソンレ)さん(81)が証言する。

 記録によると、事件の死者155人、行方不明者84人。安さんら事件を知る関係者は「軍が矮小(わいしょう)化した数字だ。実際の被害はもっと大きい」と訴える。

 誰が最前線の部隊に無差別発砲を命じたかも未解明だ。当時、軍と政権を掌握していた全斗煥(チョンドゥファン)元大統領(89)は関与を否定する。

 光州では保守勢力への反発が根強い。「彼らは軍事独裁政権の後継者だ。韓国では今も武器を持たない保革の内戦が続いている」。穏やかな表情と対照的に安さんの言葉は激しかった。

追悼か押しつけか

 2017年5月、光州事件の犠牲者を追悼する政府式典で、就任直後の文在寅(ムンジェイン)大統領(67)は犠牲者を追悼する「あなたのための行進曲」の斉唱を約9年ぶりに復活させた。

 韓国で同曲は民主化運動の象徴だ。李明博(イミョンバク)元大統領(78)と朴槿恵(パククネ)前大統領(68)の保守政権は式典で全員が歌う「斉唱歌」ではなく、出席者に歌うかどうか委ねる「合唱歌」とした。革新系の文政権による「斉唱」化に保守系野党は「押しつけだ」と反発した。

 19年2月には保守系野党議員が「(光州事件は)暴動とされていたのに、10年後、20年後に政治利用する勢力によって民主化運動になった」と発言し、遺族や革新勢力の怒りを買った。

 同年5月の追悼式典で、文氏は「独裁者の後裔(こうえい)でない限り、5・18(光州事件)を別の目で(暴動と)見ることはできない」と険しい表情で非難した。出席した野党党首は遺族らから「帰れ」と罵声を浴びた。

報復と敵意の連鎖

 「光州市民は軍事独裁政権と闘った英雄だ。だが事件は社会の分断という深い傷を残した」。韓国主要紙、朝鮮日報主筆の柳根一(リュグンイル)さん(82)はそう語る。

 柳さんは70年代半ばまで民主化運動に身を投じたが、次第に距離を取るようになった。光州事件以降、運動理念は「全体主義の色を強め、過激になりすぎた」と感じたからだ。朝鮮日報では保守の論陣を張った。

 柳さんにとっても、朴正熙(パクチョンヒ)政権の軍事独裁は「負の歴史」だ。だとしても「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長など朴政権の成果は「それはそれとして評価する」との立場を取る。

 18年に収賄容疑などで李元大統領が逮捕されると、保守側は文政権による「政治報復だ」と激しく反発した。昨年には小学校の教科書から「漢江の奇跡」の記述が削除された。保守か、革新か。政権が代わるたび、敵意が敵意を招く負の連鎖が止まらない。

 「国民統合」。文氏が繰り返す言葉がむなしい。

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/598189/

追記:記事の後半にある「あなたのための行進曲」をめぐる騒動は、こちらでも過去にいくつか記事にしています。これは、保守と進歩の両陣営の間で10年にわたって続いた葛藤を代表する一件です。

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ただこの騒動、歴史的には李明博政権期に保守側から仕掛けられたもので、両陣営の対決という観点からは割と早い段階で決着がついている、というのが私の見方です。朴槿恵政権期はその決着に保守勢力がなお「抵抗」していた段階、文在寅政権期になってからもその「残滓」は残っているものの、騒動以前の状態への回帰ということで落ち着きつつある、といった感じですかね。

この間の変遷については、KBSが短くまとめてくれています。

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