映画「1987」から考える:真鍋祐子「韓国の民主主義はなぜ「脆弱」なのか〜強権的な政権が生まれる構造」

うん、さすが真鍋さん、といった感じの論説です。興味深く読みました。

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ここに出てくる「記憶の闘争」という点は、やはり依然として韓国社会において根強く、無視できないものです。

ちなみに、ここでは朴槿恵と「5.18」「1987」とを対比させていますが、それらを抑圧した新軍部には独立記念館(全斗煥政権期)と戦争記念館(盧泰愚政権期)という「記憶の闘争」のための装置を生み遺した実績があります。

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いわゆる「保守」にも、「進歩」にも、その内部ではいろいろ確執や対立があるわけです。二分法で理解しつつも、両陣営をそれぞれ一色に塗りつぶして理解する(したつもりになる)ことは避けなければなりません。「理解」したければ、の話ですが。

1979年の朴正煕大統領暗殺の後、沸きあがる民主化の機運を武力で押しつぶし、光州を捨て石に全斗煥が権力の座についたのは誰もが知る事実であろう。

一方、彼にはクーデターで成立させた政権の正統性をアピールし、盤石なものとするために、「旧時代の誤った気風を果敢に清算」(大統領就任辞)するとして、前政権からの差異化を強調し、朴正煕の背後にいた旧軍部の影響力も排除する必要があった。朴政権の旧軍部に対し、全政権を支える勢力は新軍部と呼ばれた。

旧軍部排除の過程で、青瓦台を去った娘の朴槿恵もまた、自身の支持団体を強制解散させられた。彼女は、子として父の遺業を整理し、父に着せられた汚名をすすぎ、「祖国の近代化」に貢献した功績面が正当に評価され、後世に伝えられることを望んだが、そうした作業を物心で支える支持団体を失い、挫折する。

このように子が亡き親に対して行なう「追慕事業」は、孝倫理が規範化された韓国ではごく自然な顕彰行為だ。彼女の視点に立てば、それが妨げられるのは子として慙愧に耐えず、人権の抑圧とさえ感じられたかもしれない。

支持団体の再結成が許され、追慕事業が始動したのは1988年。民主化運動勢力とひとしなみに朴槿恵もまた、民主化宣言の恩恵で言論の自由を得たということだ。

こうした「名誉の復権」のため、過去30年の間、左右勢力はともに自分たちの「歴史」を描き、正統性を争ってきたが、互いの歴史観は平行線をたどり続け、統合されずにきた。

光州事件以後、地下に潜っていた民主化運動勢力は、分断状況下で抑圧と暴力、軍事文化に踏みしだかれた「民衆」という存在に光をあて、「南韓・反共イデオロギー」に依拠する既存の「国史」に対抗して、分断と分断暴力を否定する反米民族主義的な「民衆史」を定立した。この歴史観金大中盧武鉉の進歩政権の誕生を後押しした。

同じく抑圧されて同時代をすごした朴槿恵も、追慕事業を通じて父の名誉を取り戻そうと踏み出した。これはやがて朴正煕時代を正統化する歴史意識に連なるものだが、自叙伝によれば、彼女がそれを強烈に意識するのは「理念路線も国家観も異なった」盧武鉉政権時であり、「歪曲された歴史を正す」とまで言い切っている。

当時、分断状況の淵源に日本帝国主義を位置づけ、植民地主義批判の立場から親日派清算が推進されていた。満州国で将校を務めた経歴をもち、1965年の日韓条約を強硬に進めた朴正熙も対象とされた。

後に大統領となった朴槿恵は2017年11月14日の朴正煕生誕100年を期して、李明博時代を通じて台頭してきたニューライト系の学者を動員し、歴史教科書国定化に着手する。当然、これには進歩派の学者や教師たちが猛烈に反対した。

いってみれば、朴槿恵がめざした「国史」と民主化運動勢力の「民衆史」は、同じ時代に萌芽し、地下に潜り、そしてまた同じ時代に地上に芽を出し、正史の座を争ったのだ。

これは対抗的な理念路線と国家観に依拠した「記憶の闘争」である。

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「タクシー運転手」や「1987」の制作が始まった朴槿恵政権末期は、反民主的政権に抵抗するろうそくデモの印象で語られがちだが、これは「記憶の闘争」の作用-反作用の過程として、もう少し長いスパンで捉える必要がある。

金泳三政権の1990年代半ば、対抗的な国家観に基づく死者の二つのカテゴリー(軍人と、軍人に対抗して死んだ者)が、どちらも等しく「国家」に殉じた「英霊」として祀られ始めた。〈友/敵〉に区分され、左右に宙吊りにされた死者たちの均衡関係は、進歩政権の10年間で大きく左に傾斜した。その揺り戻しが李明博政権の保守反動化として表出し、朴槿恵時代に大きく右に振り切れたとみるべきだろう。

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左に傾いたものを右に正す、そして、右に傾いたものを左に正す―――それでは、また同じ歴史を繰り返す。だが分断状況下で〈友/敵〉に区分された死者たちが宙吊りにされている限り、「記憶の闘争」に終息はなく、権威主義的な圧力と暴力が温存される。歴史が再びどちらかに傾けば、そこにまた新たな犠牲者が生み出される。

今年6月、「顕忠の日」の追悼辞で、文在寅大統領は「愛国に保守革新なし」「愛国は今日の大韓民国を存在させた全て」と演説した。

これは愛国に殉じた死者たちの二律背反を解消し、「記憶の闘争」に終止符を打つことで、大韓民国でありかつ統一祖国でもある、新たなかたちの国家に死者を「統合」させる、という決意表明である。

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ともあれ、文中に言及されている金杭氏の本も、読んでみるとしますかね。

帝国日本の閾――生と死のはざまに見る

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