LPC的オリンピック評論を読む・2

昨日とは違う文章を読んでみよう。
●オトコジャパン
文章の主はこのショップのオーナー。著書も何冊か持っている。下の2冊は出た当時に買って読んだものである。

フェミの嫌われ方

フェミの嫌われ方

オンナ泣き

オンナ泣き


というわけで、自分のまぬけのツケを払うためにケータイとキーボードを買うはめになったのだけれど。今回、書こうとしているのはそういう”まぬけ”の話ではない。

要するに、PCのキーボードにコーヒーをこぼして業務用ドライヤーで乾燥させたら、熱風でキーがドロドロに溶けてしまったので、それを買いに行った、というお話から文章は始まるのですね。

で、以下読んでみると、店員にたらい回しにされた挙句、最初に店員に訊いたフロアにキーボードはあったと。それだけといえばそれだけの話なわけです。

で、ここでご本人が言いたいのは、この一点に尽きます。


コンピュータ関係の買い物をする時にたいてい味わう屈辱。「女の人はよくわかっていないから」という無自覚の視線や言葉を投げかける店員の数はなかなか減っていない。

しかし、現にキーボードが店頭に並んでいるフロアで「キーボードはどこですか?」と訊けば、それは単純に「わかってない客」でしょう*1。「女かどうか」がそこに関係しているかどうか、これだけでは実際のところ、ぜんぜんわかりません。
もちろん、ご本人がおっしゃってることは正鵠を射ているかもしれません。しかし、その「周囲を見る目」が曇りまくっているかもしれないと危惧させるに充分なくだりが、このエピソードに続きます。それがオリンピックのお話な訳ですが。


いやな気分で家に帰ってテレビをつけたらオリンピックのニュースばかりが流れてきた。なんとかジャパン、なんとかジャパンと得意げに連呼される名前が全て男だということ(女の人もいるんでしょうか。耳に入ってこないだけでしょうか)に猛烈に腹がたつのは、まぁ常識的な感情よね、と自分を慰めながらこの国を男ジャパンと名付けよう、と決めつけてみた。ああ、そっくりだ、男ジャパン。と意味もなく声に出して騒いでみたら、なんとなく正体が見えた気分になる。なにがソックリなのか、どんな正体かは、わからないまま、名付けるとストレスの正体がクッキリみえて、そして薄まるような気がするのは不思議だ。
今は、新しいキーボードを打つのは快適だ、とパチパチ、打ってみている。
もっと、もっと、名前を考えて、お前に正体を与えよう。オトコジャパン。と打ち込んでみる。マックの新しいコンピューター用のキーボードで。

どんなに譲っても、それはあなた、「耳に入ってこないだけ」でしょうね。
そして「男ジャパン」の連呼。それ以下の文章がもはや〈病みの境地〉に到達したものにしか見えないのは、私が偏見にまみれているからでしょうか。

おそらく間違いないであろうこと。それは、ソフマップで店員にひどい扱いを受けた理由が「女だから」だということ、なんとかジャパンと得意げに連呼される名前が全て男だということ、そういうことであった方が、この人にとっては〈都合がいい〉のであろうな、ということ。
でも、そういう思考は、怖いものです。この人は、知らず知らずのうちに、「女だから」ということで差別される社会、あるいはオリンピック報道で女子選手の活躍が無視される社会、日本社会がそういうものであることを望んでしまっています。
だって、そうでないと、拳を振り上げて怒る先がなくなってしまいますから。
ということは、例えば男子より遥かに過酷な境遇で必死にメダルを目指した女子サッカーの選手たち、あるいは次回大会では開催種目から外されるという状況の下で2日で3試合という過酷な戦いをくぐり抜けて悲願の金メダルを獲得した女子ソフトボールの選手たち、そうした人々に対して、この人は対立的なポジションに立つことになります。
論理的に考えれば、女子サッカーや女子ソフトボールが注目され、盛り上がりを見せ、社会的な認知が高まる、といったことは、この人にとって決して〈いいこと〉ではないはずだからです。
「女の敵は女」
かつてよく言われた言葉です。この言葉は今、かつてとは友敵を逆転させつつ語られるべきものであるのかも知れません。


口調が最後まで元に戻らなかった…。

*1:もちろん、「だからぞんざいに扱われても仕方ない」などと言いたいわけではない。