軍隊と性別

「女性と軍隊」という話は個人的に気にしてきたテーマなのですが、そうしたテーマに触れるこの記事は論旨も明確で、たいへん興味深く読みました。

「女も戦場へ」は何をもたらすか:兵役という男性差別 - 日経ビジネスオンライン

命を使い捨てられてきた男たち

 男性は性別という理由のみで国によって徴兵される。志願制であっても、戦闘員はほぼ必ず男性になる。そしてそこで命のリスクを負う。もし国が黒人のみ、ユダヤ人のみ、同性愛者のみ、女性のみ、あるいはその他のカテゴリーを理由に徴兵すれば、それが虐殺であると気づくだろう。

 男性は常に戦争において命を使い捨てられてきた。これがもし女性にだけ課せられる国家による負担であったら、フェミニズムジェンダー学は間違いなく不当な女性差別だと主張するだろう。欧米や日本のフェミニズムは「国家や男性が女性に強制的に子供を産ませることは差別である。“産む/産まないの自由、自分の身体権の自由”が女性に確保されないのは女性差別である」と糾弾してきた。それは正しい。しかし徴兵制においては、男性に身体権の自由はないのに「男性差別」と認識されることは学術上これまでは滅多になく、逆に「男性の権力」としてまるで男性が望んでいるかのように片付けられてきた。

 男性は人類が誕生して以来、社会の性役割によって強制的に戦わされているのであって、望んでいるのではない。国や共同体が危機にさらされたときや、危機にさらされるかもしれないと予測したとき、ジェンダーで社会化された男性側に選択肢はほぼない。戦争に反対したり、兵役に反対した男性は「臆病者」や「売国奴」として唾を吐かれ、戦争に行けば「戦争を起こした加害者」として責められる。ファレルの言葉を借りれば、「なぜ私たちは兵役に参加していない政治家を臆病者として責める一方で、戦争を起こしたとして男性を責めるのだろう」。右派も左派も、そのダブルスタンダードを指摘しない。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150415/279987/?P=1

軍隊という組織がほぼ男性で構成されてきたことについて、それが「男性の権力」であったという見解は「神話」である、ということですね。確かにそれは女性の「排除」と男性の「独占」であったが、それは当事者の男性が望んだこと、もしくは自由権の行使であったのか。

こんな論文も、参考になるかもしれません。

大日方純夫「「帝国軍隊」の確立と「男性」性の構造」 - 『ジェンダー史学』第2号(2006)

で、問われるのが、「戦争に女性はどのように関わってるのか」という問題。

「戦争は男が起こした」?

 二つ目の問題点は、戦闘員が男だけで構成される場合、戦争をまるで男側が起こしたようにイメージされてしまうことである。「戦争は全部男が起こした。男女において女性は平和的だが、男性は暴力的だ」という男性差別的(セクシズム的)言説や、「罪のない女性と子供が犠牲になった」(罪人は男性である)という報道が生まれてくる。男女の投票行動によって誕生し、男女の世論でコントロールされている政治家や政府によって戦争が引き起こされる。女性に罪がないなら戦争に行かされた男性にも罪はないし、男性に罪があるなら女性にも罪があるだろう。罪がないのは判断能力がない子供だけである。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150415/279987/?P=2

アメリカ南北戦争では、南部の男性による徴兵反対運動に対して、南部の女性たちが「戦争に行かない男とは私たちは結婚しない」キャンペーンで応じた、という話があるそうです。

 南部で徴兵反対運動をした男性たちは「男のくせに情けない」「意気地なし」「とても結婚相手にできない」と罵倒されたが、この後、南部が戦争に負けると、戦争で戦った南部の男たちは悪者とされた。そして数十年後にアメリカのフェミニストたちから「男たちの暴力」と呼ばれた。

 平和な時代になると、それまでの戦争の全責任は性別として男全体に負わされ、性別として男は戦争主義者で暴力的で悪、女は平和主義者で思いやりがあり善とされる。しかも男性は兵役で実際に暴力のための訓練を受けるため、市民生活に戻っても暴力をふるいやすくなる。この繰り返しだ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150415/279987/?P=3

となれば、「兵役を男女平等にする」というのは、論理的な帰結であるとも言えそうです。

「男女平等」な兵役への流れ

 しかし、現在の国際社会はジェンダー平等としてはいい方向に動いている。

 特に画期的だったのは男女平等先進国、ノルウェー徴兵制の男女平等化だ。2015年に女性も平等に徴兵するという法案が成立し、早ければ2015年から実施される。

 北欧でも男性は進学率が女性より低くなる傾向が出てきていたが、兵役は無関係ではないだろう。男性だけが若い時期に何年も兵役に取られ、軍隊で非人間的扱いを受けている間、女性は大学で勉強できるため進学率に差がつくのも当然だ。そして男女平等派の男性たち(マスキュリスト)や一部のフェミニストたちが、男性だけの徴兵は不当だと何度も主張してきて、現在がある。

 兵役があるその他の先進国もノルウェーを見習う可能性はあるだろう。アメリカでも最近は、女性を戦闘員として参加させることを合法にするように法改正がされており(2013年)、女性の現場における指揮官も海軍で誕生した。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150415/279987/?P=4

この記事では欧米の動きのみがフォローされていますが、徴兵制以外はほぼすべて女子に開放されている韓国の動向も、この流れに沿ったものです。

やっと女子を受け入れた陸軍3士官学校

個人的には、「戦争と平和」という問題と「軍隊と性別」という問題とはとりあえず切り離して考えた方がよいのではないか考えていますが、この記事の筆者は次のような見解を述べています。「社会の生存のために人殺しの性役割を男性に強制し、その暴力の責任を男性だけに負わせるという男性差別」が戦争を扇動する要素となっているとすれば、これは確かに、そうなるかもしれません。

 生産的な面を言えば、たぶん兵士の半分が女性になれば、戦争はぐっと減るだろう。

 まず女性の中のタカ派はリスクなしで無責任に戦争を煽れなくなる。これは抑止力として働くだろう。

 さらに、まだまだ男性が死ぬよりも女性が死んだ方が「かわいそう」に思えるというジェンダーを人類は克服しきれていないので、たぶん女性が戦闘員の方が戦争の悲惨さがより感じられやすくなるだろう。それが抑止力になるかもしれない。これは男性差別反対派としては残念なことだが、現状はしかたがない。

こちらは、筆者の訳書だそうです。

男性権力の神話――《男性差別》の可視化と撤廃のための学問

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