LPC的オリンピック評論を読む・1

2000年ごろからずっとブックマークに入っているサイトにこういうところがある。
ラブピースクラブ
基本的には「オンナのセックスグッズストア」というショップのHPである。いまこんな感じでセール中だということである。

まあ、個人的にはショップにはあまり興味がない。興味があるのは、スタッフやゲストが書く連載などの文章である。いや、であった。
ある時期まで、ここに掲載される文章は、フェミニズムを実践する言葉としての力を確かに持っていた。
では、今はどうか。あれこれ御託を並べるよりも、実際の文章を読んでみることにしよう。
オリンピックをジェンダーの視点でチェック


「政治とオリンピック」の話はおいといて、今回はオリンピックをジェンダーの視点で見てみようと思います。と言っても、たいしてオリンピック報道を見ていない私が言及できることは、ごく一部に偏っていると思いますので、私のコラムをヒントにして、オリンピックに詳しい皆さん方には更に詳しく分析していただけると嬉しいなと思います。

では、そうさせていただきます。
でも、「その1.種目とルールについて」は特に言うべきことはないのでパスします。すみません。


その2.ユニフォームについて

ソフトボールで思い出しましたが、ジェンダーの視点でユニフォームにも注目してみるのも面白い。滑り込みするときもあるだろうに、女子のソフトボールのユニフォームは半ズボンですね。なぜでしょうか。

陸上の女子選手は、近年、まるで水着のビキニのようなスタイルになってますね。男子陸上の選手も?!・・んなわけないか。

バドミントンも「オグシオ」とかいう選手たちのユニフォームが「超ミニ」と騒がれていたことが記憶に新しい。

卓球女子も、さっきテレビ見てたら福原選手もミニスカートでした。対戦相手の中国選手は半ズボンでしたが。

総じて、女子選手は機能だけでなく「(男に)見られるためのユニフォーム」であることが、ユニフォームの条件?!といえるのではないか。男子選手のユニフォームは機能重視のみ。これは、別に科学的な根拠があって言っているのではなく、ほんの少しオリンピックを見ているだけの、私の個人的な見解ですが。

「ほんの少し」しか見てないのだから、もしかしたら見てないかも知れないけれど、上のほうで北島選手の名前を挙げているわけだから、水泳の映像か写真くらい見たことはあると思うのですよ。あの話題の「レーザーレーサー」、徹底した機能重視の結果、すっかり〈ジェンダーフリー〉になってるような気が…。
で、「なでしこジャパン」のユニフォームは、ラインのカラー以外、男子のものと基本的に同じデザインですがね…。そこで仮に「ピンクのラインが」と言われてしまっては、セレッソ大阪の立場がなくなってしまいます。

日本女子が活躍した競技で言えば、柔道の柔道着にも別に男女差はないです。中にTシャツを着るかどうかの違いだけ。これを男並みに脱げといわれてもそれはさすがにお断りです。
というかですね、ソフトボールの半ズボンにしても、陸上のビキニスタイルにしても、あれは機能性の追求の結果だと思うのですよ。ソフトボールは、金属刃のスパイクや硬球を使う男子野球とは怪我の危険性が違いますから、膝下をきちんとカバーしさえすれば半ズボンのほうがむしろ動きやすいわけで、陸上にしても軽量化やフィット感の向上などの機能を重視したとき、男子と女子のユニフォームのどっちが理に適ってると言えるか、と言えば、むしろ女子なんでは…?


かえって男のほうが「お前のボディーラインなんて見たくないわ!」というニーズに応えた「見られないためのユニフォーム」かも知れません。


その3.オリンピック報道は戦争報道と似ている

冬のオリンピックのジャンプ競技で「日の丸飛行隊」というフレーズが出てきて不気味な印象を受けた私ですが、先日斎藤美奈子さんの著書を読んでいて、どうも、オリンピック報道は戦時中の報道と似ていると感じているのは私だけではないと確信しました。

斎藤美奈子さんの『あほらし屋の鐘が鳴る』(文春文庫)に「作家の小林信彦さんは、オリンピック報道の新聞の見出しは〈少し文字を入れかえれば、そのまま、戦争中でも使える〉と書いています(週刊文春98年2月26日号)」
(中略)
今回の北京オリンピック。日本のメダルの数は知っていても、諸外国のメダルの数を把握している日本人はどのくらいいるでしょうか。諸外国のメダリストの勝因はおろか、名前すらほとんど知らない・・・そんな「日本チャチャチャ」のオリンピック報道がもうしばらく続くでしょう。さて、またビデオでも借りに行こうかな・・・。

1998年って、もう10年も前でしょうに。だから意味がないと門前払いにするつもりはないですけど…あの頃は、フェミニズムも輝いておりました。
それはともかく、率直に言って、日本選手中心の報道振りに関しては相変わらずという点は否めないと思うのですが、それでも近年の変化を無視していいとは思わないのです。
簡単にまとめれば「選手報道の個人化」とでも言いましょうか。集計すれば日本選手中心でも、その報道の中身や選手のコメントをよく見てみれば、「日本人として」とか「国民の皆さんのために」とかいった、かつてなら普通に氾濫していた言辞がほとんどなくなっていることに気付くはずです。
というか今回、日本のメダルの数を聞かれて答えられる人って、正直あんまりいないような気がするんですけどね。そこに一喜一憂する雰囲気って、あまりないんじゃないですか?数にこだわらざるを得ない開催国の中国のあり方と姿勢を同じくする(つまり、それに張り合おうとする)人って、実際どれくらいいてます?
ああ、大新聞のコラム担当者は、「なんだかんだ言って、中国がアメリカを金メダルの数で上回るのは嬉しい」というようなことを書いていましたね。微笑ましく読ませていただきました。


別に論破しようとか思っているわけではまったくないのだけど、何故この人にはオリンピックがこのように見えているのか、その点に関しては興味がある。