勇気を与えられるノーベル賞

まあ、散々あっちこっちで言われているんだろうけど…。

英語嫌いで海外に出たことなし、ノーベル賞の益川さん
2008年10月7日

 高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠さん(64)は、東京都内で開かれた記者会見に姿を見せた。この席で、共同研究者の京都大名誉教授で京都産業大教授の益川敏英さん(68)と電話がつながった。お互いに「どうもおめでとうございます」とあいさつし、笑い合った。

 小林さんは、会見で益川さんについて問われると「数学的センスのある方で、共同研究者としていつも頼りにしてきた」と話した。

 益川さんは小学校時代から理科と算数が得意だった。父親の一郎(かずお)さんが砂糖問屋などを営むかたわら、電気技師になるのを夢みて大学の通信教育を受講。幼い息子に講義内容を話し、益川さんの科学への興味も育まれた。

 高校時代、近くの名古屋大の、素粒子物理学の分野で活躍する故坂田昌一教授の存在を知り、「自分がいる名古屋で科学がつくられているなんて」と興奮、将来の道を決めた。

 当時から「自分の論文を日本語で世界の人に読んでもらいたい」というのが夢。そのせいもあり、英語嫌いは筋金入りで、これまでパスポートを取ったことがない。

 自称「国宝級の門外不出人間」。世界に名をとどろかす研究者になっても、学会など海外からの招待はすべて断り、小林さんに任せてきた。「英語を話すのが嫌なんだ。それが有名になったらしく、最近は招待状もこなくなった」と苦笑する。

 英語論文を読むのは不自由しない。「この単語を入れたのは、こういうことを強調したかったからだ」と行間にまで目を配る。論文上では名前のローマ字表記を「MASUKAWA」ではなく、英語風の「MASKAWA」で通している。

 07年に、欧州物理学会から高エネルギー・素粒子物理学賞に選ばれたときも授賞式に出席せず、同時に受賞した小林さんだけに行ってもらった。その時にはさすがに小林さんから「ノーベル賞の時には、一緒に行ってくれるんでしょうね」としかられたという。


http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200810070078.html

「苦手」ではなく、単に「嫌い」なんでしょうが、それでも「勇気をもらった。有り難う。」と言いたい気持ちを、私は禁じえない。

ガンバ大阪がホームでドローに終わるという失望が、少しは救われた。かも知れない。