憂いを忘れに山登り

憂うことの多い人生のあれこれを忘れに、今日は山登りをしてきた。
最寄りは電鉄中央線양원(養源)駅である。
駅を出て徒歩15分くらいであろうか。目指す登山ルートの入り口に出る。

만우산공원(忘憂山公園)。ソウル特別市중랑(中浪)区の紹介では「만우리공원(忘憂里公園)」となっている。

地元の人々の手軽な山歩きの場としてもよく知られているこの山は、一帯がこんな感じの公園墓地となっている。


しかしまあ、そらーこんな風に野放図に場所取って埋葬してたら、いくら土地があっても足りませんなあ…。

山の道自体は先の案内図のように長く各方面へ広がっているのだが、公園墓地になっているのはだいたいこの周回路を中心にした一帯である。ぐるっと一周して2時間弱といったところであろうか。雪で足元が滑るところも多い中、多くの人が繰り出して歩いていた。

先ほどのリンクやウィキペディアなどを見ればわかるとおり、ここには著名人も多く埋葬されている。特に有名な人物の墓地については、こんな形で案内の石碑も立っている。



これは、独立運動家・政治家として知られる조봉암(者奉岩)の墓地である。さすがに立派に整備されて堂々としている。

こうした有名人も眠る忘憂里公園墓地なのであるが、1973年に満杯となって埋葬できなくなって以来久しく、現在は移葬を進めるなどして公園として再整備を目指しているようだ。

墳墓移転(費用)の支援を広報する横断幕である。園内の数ヶ所で見かけた。
移葬自体は現在進行中のようであるが、そうした中でちょっと面白い事例を見つけた。

パウチした紙が貼ってあるのだが、そこに「2008年11月18日 大田顕忠院移葬」とある。せっかく案内の石碑を整備したこの人物、서병호(徐丙浩)は、にもかかわらず国立墓地(大田顕忠院)へと移ってしまったのである。国立墓地への移葬は遺族の申請によって認められるので、石碑を整備した中浪区と遺族との間に若干のすれ違いがあったのではないかと推測される。

この例からも見て取れるように、国立墓地とその他の公営私営の墓地との関係には、なかなかに興味深いものがある。