韓国ガールズグループの日本デビューを「侵攻」という言葉で括ったこのコラム。個人的には率直に言って違和感がありますが、韓国語環境と日本語環境、そして「昔」を知る世代と知らない世代との間の〈ギャップ〉の問題なのかなという気もしています。
日本の大衆文化が韓国で開放されたのが1998年。つまりは金大中政権以後の話です。金泳三政権以前の時代を記憶している人は、ジェネレーションギャップにご注意を。ソテジワアイドゥルがその時代に与えたインパクトとか、今どき前提なしに話しても、全然伝わらないと思いますよ*1。
記事入力 : 2010/08/29 11:33:34
【コラム】韓国ガールズグループの第2次日本「侵攻」ポップスの歴史を見ると、イギリスは1960年代と80年代の2回、米国を「侵攻」した。1回目の「British invasion(ブリテッシュ・インベージョン=イギリスによる侵攻)」は、60年代にビートルズやローリング・ストーンズに代表されるイギリスのバンドが米国でヒットしたこと、2回目は80年代にデュラン・デュランやカルチャー・クラブといったニューウェーブ・バンドの曲が米国に上陸したことだった。こうしたバンドは、単に米国の音楽市場に進出したのではなく、米音楽界の勢力図を塗り替えた。米国で「侵攻」という言葉が使われるほど、当時のイギリスのバンドは勢いも人気もあった。
日本は、少女時代やKARA(カラ)といった韓国ガールズグループ(女性アイドルグループ)の日本進出を「Korean invasion(コリアン・インベージョン=韓国による侵攻)」と呼んだ。この言葉には、緊張や熱狂などの感情がない交ぜになっている。NHKは25日、夜9時のニュースのトップニュースで5分間、韓国のガールズグループを取り上げた。2004年に巻き起こった「ヨン様」ことペ・ヨンジュンとドラマ『冬のソナタ』ブームが「第1次コリアン・インベージョン」なら、今年8月から始まった韓国ガールズグループの日本進出は「第2次」になる。これまで、BoAや東方神起といった一部の韓国人シンガーたちが日本の音楽チャートでヒットしたが、日本での韓流ブームはヨン様に代表される「静」のイメージだった。日本の若者にとって、韓流ブームは「中高年女性のもの」だったのだ。
ところが、少女時代やKARAの進出で、韓流ファン層とそのイメージは大きく変わった。ある日本人はネットで「少女時代のショーケースライブ(デビューイベント)はパパもわたしも一緒に見たいと思った」と書いた。父親にも娘にも、少女時代に夢中になる理由があるというのだ。「第2次」は日本の全世代に影響を与えている。
サムスンは70年代、日本のソニーと東芝を手本にした。サムスンは当初、両社の模倣で手一杯だったが、最高の人材を集め、企業経営に瞬発力・集中力を発揮し、ある分野では日本のライバル会社を超えた。サムスン成長の陰には、大企業の下請へと転落した中小企業の涙があった。「正しい」成長ではなかったが、そうした選択と集中という路線は、現在のサムスン飛躍の原動力だった。
K−POPもよく似た道を歩んでいる。アイドルグループはもともと、日本のサブカルチャーだ。韓国はこれを輸入したが、現段階では日本のアイドルグループの「かわいらしさ」に対抗し、彼らにはなかった躍動感やスタイルで「本場」超えを狙える位置に来ている。韓国の音楽は資本がダンス・ミュージックに偏り、ロック・フォーク・ジャズなどは立ち枯れの状態だ。しかし、その集中と選択で韓国のダンス・ミュージックやガールズグループは競争力を持てるようになった。「圧縮成長」にはこうした明暗がある。
菅直人首相は8月10日、首相談話で「今日の両国の交流は極めて重層的かつ広範多岐にわたり」と述べた。独島(日本名:竹島)や歴史問題により両国関係には依然として不安があるが、文化などの民間交流を通じ、壁を突き崩そうというのだ。こうした談話でなくても、韓日の若者は今も弘益大学前の日本風居酒屋、新宿の韓国料理店、そしてインターネットでリアルタイムの交流をしている。
日本の大衆文化が韓国で開放されたのは98年だが、その時に人々が抱いた恐怖が語られることは、今となってはない。韓国に傷跡だけを残した日韓強制併合100年を迎えた今年、韓国音楽の「日本侵攻」は、両国間の理解の幅を広げている。
鄭佑相(チョン・ウサン)政治部外交チーム長
*1:冬ソナ以前の「韓流」の「笛吹けど踊らず」な様子なんてのも、同じようなものかも知れません。