本音に失笑、建前に抑鬱

ハンギョレ」で見かけたこのニュース。邦訳のほうを引用してみます。

高麗大総長 "延大と梨大はキリスト教伝播ための学校"
原文入力:2010-09-06午後02:25:58(1672字)
高麗大-学 初授業 "ソウル大は日本官立大学"
"高大が第1大学" 他の学校 卑下発言 論難

 高麗大学校イ・ギス総長が今年9月に初めて開設された‘高麗大-学(Korea University Studies)’初授業でソウル大と延世大、梨花女子大を卑下する発言を行い論難になっている。高麗大学は100余年間の高大精神を学生たちに教えるという意味で開設された高麗大-学は今年、示範的に一講義だけ開設され、受講申請者に限り聴くことができる。

 6日イ・ギス総長はソウル高麗大学校法学新館講義室で40人余りの在学生が参加した中で開かれた‘高大精神 伝統と未来’という授業で 「延世大学校梨花女子大学校はキリスト教教理の伝播の手段として作った大学で、国立大学(ソウル大)は日本が侵略の方便として作った官立大学だ」と話した。

 イ総長は授業が始まる前、学生たちにあらかじめ質問を受けたが、イ総長のこういう発言はある学生がEメールで「高麗大が大韓民国第1大学になることができると考えるか」と質問した内容を紹介しながら出てきた。イ総長は「高大の建学理念は教育・救国だが、簡単に解釈すれば‘教育を通じて国を救おう’という理念を持って作った大学で、高大は時代ごとにその役割を忠実に遂行してきた」とし「民族解放、民主主義争取、産業化、先進国隊列に入り込む時、大韓民国発展の中で高麗大学校がどのような役割をしたのか(見るならば)…、そのような面で我々が第1大学だ」と話した。

 イ総長は続けてソウル大と延世大、梨花女子大に対する、さらに詳しい自身の意見を付け加えることもした。イ総長は「国立大学(ソウル大)は解放された後の国立大学であって、以前には日本が侵略の方便として作った官立大学だった」として「それなら大韓民国の正統性を守ることができる大学は私立大から探さなければならない」と話した。イ総長は「私立大は高大でなければ延大だが、延大はキリスト教大学であり、大韓民国大学ではない。創立記念式(開校記念式)時、延大壇上に7人が上がっているが、キム・ハンジュン総長以外は全員牧師だよ」とし「(壇上で誰かが)キリスト教理念を伝播しようとする目的の実現のために延大があり(そのような次元で)延大が大きくて出て行かなければならないという演説をしたよ。延世大と梨花女子大はキリスト教教理の伝播の手段として作った大学だ」と付け加えた。

 イ総長の高大礼賛は続いた。イ総長は「高大は我が民族のための民立大学、大韓民国で価値の高さは第1大学という確信を持っており疑いの余地がない」として「資本主義経済の中で進めば、結局、私立大が上手く行くほかはない」と強調した。

 この日、イ総長は学生たちから受け取ったEメール資料を土台に、今後この授業で扱うことになる17種類の討論主題に対する説明もした。この授業では今後△高大と徒輩文化△高延戦△高大校友会△英語講義問題△世界の中の高大△高大と運動圏△創立者親日論難などについて扱う予定だ。

 またこの日、イ総長は高麗大所属キム・ヨナ選手に関する話も付け加えた。イ総長は「ある学生がキム・ヨナ学生の勉強と千年高大に対する質問もしてきた」として「スポーツと大学に関する質問のようだが、プロ選手を大学の学生として受け入れることが適当なのか、また、運動選手と学校広報の関係については悩んでみる必要があるようだ」と話した。続けて彼は「米国はいくら有名な大学といっても、プロになったら学校を休んだり辞める」と明らかにした。

 一方、イ総長は来る7日午後4時、延世大から名誉教育学博士学位を受ける予定だ。

ファン・チュンファ記者

原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/438455.html 訳J.S

http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/1262736.html

いやまあ、何と言うか、高麗大関係者なら心の中のどこかで思ってることでしょうし、内輪の飲み会の席でなら口に出すこともありましょうが、オフィシャルな場で言ったらあかんでしょう。ましてや「高麗大‐学」と銘打った講義なら、他大学の悪口よりも他に話すこともあるでしょうに。

とは思いますが、まあ正直でサービス精神に溢れた方なんでしょうねえ。確かに「はしたない」とは思うんですけど、失笑以上の論難をかます気にはなれません。しょせん他所様の大学同士の張り合いですし。


それに比べれば、こっちのコラムのほうがよっぽどカチンと来ましたね。

記事入力 : 2010/09/06 16:06:32
【コラム】田舎旅行の理想と現実(上)

 「ソウル行きの切符、1枚ください」「満席です」「昨日は予約しなくても大丈夫って言っていたじゃないですか」「とにかく切符はありません」

 先日、智異山方面に出掛けたときの出来事だ。この驚くほど高慢で不親切な態度に、開いた口がふさがらなかった。見送りに来てくれた知人が、「近くの河東ターミナルに電話してみたら」とアドバイスしてくれた。地方のターミナルや停留所には、時間ごとに決まった座席数が割り当てられているが、現段階で満席でも、前のターミナルで空席が生じれば、こちらのターミナルで乗車可能ということだった。紆余(うよ)曲折の末、何とかバスに乗車することができた。途端に、ふつふつと怒りが込み上げてきた。予約を受け付けるのが面倒だからと「予約せずに直接来ればよい」と言っておきながら、当日になって、「知ったことか」とはねつけるとは、どういうつもりか。消費者をなめ切ったその態度に、腹が立って仕方がなかった。

 知り合いにその話をしてみたら、全国至るところで同じような経験をしたという話が次々に出てきた。「自然と一体になれる山奥のペンション」ということで、1泊15万ウォン(約1万600円)を払って予約したのに、訪れてみたら、コンクリートの塊のような建物に安い旅館以下の内装。宿泊をキャンセルしようとしたら、2泊分の料金を払えと言われたという。また、都合が悪くなって予約をキャンセルしようとしたら、入金済みの代金は返せないと言われたという話、「バーベキュー施設完備」と書いてあったため肉を持ち込んだところ、施設利用料と木炭代で何万ウォン(1万ウォン=約710円)も取られたという話…。

 国は公共交通機関の利用を勧めているが、地方の小都市でバスに乗る場合、不便な点を挙げたら切りがない。例えば、支払いにカードが使えないターミナルは全国で数十カ所に上る。利用者数が少ないからとのことだが、そんな場所ではATM(現金自動預払機)も見当たらない。

http://www.chosunonline.com/news/20100906000065

記事入力 : 2010/09/06 16:06:51
【コラム】田舎旅行の理想と現実(下)

 地方のペンションに関しては、消費者告発センターに多くの不満が寄せられる。規定では、一定期間内にキャンセルすれば基本的に予約金は全額返金となり、1週間以内なら90%、三日以内なら50%を返金することになっているが、「そんな規定は知らない」と突っぱねるペンションも多い。大都市に比べて流動人口が少ない地方の宿泊施設の場合、宿泊客の予約キャンセルで損害を被る確率はさらに高い。それでも、一方的な都合で「返金はできない」というのはおかしな話だ。また、農村の小さな民宿ならともかく、テレビCMを流すような高級ペンションでもカード払いを拒否するところがある。実際、企業が展開する1泊20万−40万ウォン(約1万4000円−2万8000円)の韓国伝統家屋型ペンションでもそうなのだから、あまりに身勝手というほかない。「うちは正規の宿泊施設ではなく、農村の民宿だ」と言い張るようなものだ。

 不親切なくせにやたらと高いソウルのホテルではなく、相手が「田舎の人」の場合、都会の人間の失望はさらに高い。地方への旅行では、「田舎の人情」のようなものを期待するからだ。

 せめて「機械」を導入してシステムを変えれば、地方での「人」に対する失望感もいくらか和らぐことだろう。バスターミナル問題も同じだ。ターミナルを運営する民間事業者は、カード会社に2−3%の手数料を吸い上げられるぐらいなら、「カードはダメ」と拒否した方がましだと考えている。このため、浦項市など幾つかの都市では、カード手数料を事業者に補てんするという条件で、バスターミナルにカード決済端末を設置した。観光を主な収入源とする地方都市が、この程度のシステム変更も行わないのは恥ずかしいことだ。

 大都市の人々は、最近では900ウォン(約64円)のバス代も1000ウォン(約71円)のジュース代も、カードで支払うことが多い。若い世代はなおさらだ。今は「田舎に行くと不便で余計に金が掛かる」「田舎の人の方が恐ろしい」という思いを我慢して飲み込んでいるが、こんな状況はいつまで続くのか。人々のこうした思いを変える努力をしなければ、韓国国内観光の品質に対する満足度は低下するばかりだ。

朴垠柱(パク・ウンジュ)企画取材部長

http://www.chosunonline.com/news/20100906000066

この人は、なんでこんなにエラそうなんでしょう?田舎者を田舎者となめきったその態度に、私は腹が立って仕方なかったんですが。「田舎の人情」のようなものを期待しながら、「ソウルと同じように過ごさせろ」って言ってるわけですから*1

このコラムからは、「客として来てやってるんだ」「金を払ってるのはこっちだろ」みたいな態度をにじませながら、田舎に足を踏み入れて回る様子が目に浮かぶんですけど、それは私の邪推でしょうか?そうだったらいいのですが。

ともあれ、都会的な基準からすれば、田舎が不便なのは当たり前の話です。悪いことは言いませんから、アホな期待は捨てて、900ウォンや1000ウォンでもカード払いできるような大都市圏の外に足を踏み入れないことをお勧めします。


でもって、ちょっと話を膨らませれば、ここで言われているような「韓国の田舎」へ観光したがる日本人が最近増えているわけで、そうした田舎旅行に対する苦情の日韓比較などができたら、面白いような気がします。

*1:韓国では、よっぽどの田舎でも携帯の電波が圏外になることはありませんが、もしそんなところがあったら、この人はこれと同じような書きぶりで憤ってみせるんでしょうか…。