「新湊」と言えば「旋風」
…と来るのが常識というものです。25年前の緒戦は近藤真一がいた愛知の享栄でしたし、今回も名門・龍谷大平安が相手。そう言えば当時も、同じ京都勢・京都西を破ってベスト4に進出していました。
やはり、当時をダブらせて見ている人が多いということでしょう。何だか、試合運びも雰囲気も、似ているような気がしました。
新湊が粘りの殊勲星 25年前の春4強のミラクル再現へ
2011.8.10 19:56
新湊(富山)−龍谷大平安(京都) 6回2死1、3塁 新湊・沢田の先制右前打で生還する川筋 =甲子園球場(安部光翁撮影)完投した新湊のエース袴谷はマウンドで喜びをかみしめた。「父が勝てなかった甲子園で勝ててうれしい。父もどこかで見てくれていると思う」
同校初の甲子園出場となった1980年夏、初戦敗退したチームの4番打者が父の昭成さんだった。4年前に急死し、息子の雄姿は見られなかった。当時のエースが現指導者の森監督で、「彼(昭成さん)のためにも何とか勝ちたかった。墓前に報告したい」と語った。
86年の選抜大会で4強に進み、「新湊旋風」と呼ばれた県立校。今回もノーシードから富山大会を勝ち上がり、春夏通じて全国最多出場の古豪私学を粘りの野球で倒した。六回の先制打、八回の勝ち越し打を放った沢田は、「地方大会もピンチばかり。その経験が生きた」。途中出場で4点目の適時打を放った作道は九回守備でも好捕でピンチを救った。全員が一致団結して白星をもぎ取った。
86年春の4強時はコーチだった森監督は強豪校を相手にしても「名前負けしないように」と、遠征のバスで当時のビデオを選手に見せてきた。富山は夏の甲子園でワースト2位の勝率だが、先輩の映像から自分たちも「やれる」という意識づけをしてきた。
アルプススタンドは、25年前の再来を期待する応援団で埋まった。伝統を再現してみせた選手は再び“旋風”を巻き起こせるか。(堀健二)
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110810/bbl11081019590035-n1.htm