朴烈義士記念館開館

聞慶といえば、朴正熙元大統領の教師時代の旧居を公園として整備するという話が以前にありましたが、それとは別に新たな記念館が開館したようです。

韓国の歴史記念事業あれこれ

朴烈の活動の舞台は主として日本でしたから、それに関連する内容も多いと思われます。

記事入力 : 2012/10/10 13:25
独立運動家・朴烈の記念館が故郷に開館 /聞慶
生誕110周年に合わせ


写真提供=聞慶市

 日本による植民地支配下、「最悪の不逞鮮人(不穏な朝鮮人)」と呼ばれた独立運動家、朴烈(パク・ヨル)=1902−74=の生誕110周年に当たり、故郷の慶尚北道聞慶市に記念館が建設され、9日にオープンした。

 聞慶市はこの日、社団法人「朴烈義士記念事業会」(理事長:朴仁遠〈パク・インウォン〉元同市長)と共同で、同市麻城面梧泉里に建設した「朴烈義士記念館」の開館記念式典を行った。式典には在日本大韓民国民団(民団)に所属する在日韓国人や「金子文子研究会」の会員、各団体の代表者や地元住民など約900人が出席した。

 記念館は、朴烈と妻・金子文子の精神をたたえるため、朴烈の生家周辺の1万4421平方メートルの土地に建てられた。地上2階建てで、延べ面積は1600平方メートルだ。

 聞慶で生まれた朴烈は、17歳だった1919年に日本に渡り、早稲田大学明治大学に通いながら、社会主義・労働運動に基づく朝鮮独立を目指す運動を繰り広げた。だが、23年に発生した関東大震災のさなかに逮捕され、さらに天皇の暗殺を図ったとして死刑判決を受けたが、その後無期懲役に減刑され、22年3カ月にわたって服役した。朴烈が逮捕されたとき、妻の金子文子も同時に逮捕されたが、日本の捜査機関による懐柔工作に抵抗し、妊娠した状態で自殺した。

 日本の植民地支配からの解放後、朴烈は民団の団長を務め、49年に帰国して、新朝鮮建設同盟の委員長を務めるなど、活発な活動を繰り広げていたが、6・25戦争(朝鮮戦争)下で北朝鮮に拉致された。

大邱= 朴円秀(パク・ウォンス)記者

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/10/10/2012101001365.html

場所的には聞慶の市街地からは少し離れていますが、頑張って行けないこともないところですね。もっとも、徒歩でのアクセスはやめたほうがよさそうです。