「戦争とお墓」の諸相

何度か取り上げている真田山の旧陸軍墓地。今回は産経新聞がかなり突っ込んで取り上げています。

【大阪特派員】大阪の陸軍墓地を護る人々 近藤豊和
2013.11.26 11:15


劣化の進む真田山陸軍墓地。何者かに次々と墓石が倒される被害も出ている=平成23年11月、大阪市天王寺区

 大坂・冬の陣(1614年)で豊臣方の勇将、真田幸村が築いた真田丸があったことから、地名が今も残る真田山(大阪市天王寺区)に陸軍墓地がある。旧陸軍将兵らの墓碑約5300があり納骨堂には8200柱以上が眠る。

 台風27号の影響で雨が降りしきる10月25日に墓地を訪れると、地元自治会やボランティア、陸上自衛隊第36普通科連隊(兵庫県伊丹市)の隊員らが清掃を行っていた。翌26日の秋季慰霊祭に備えるためだった。

 「真田山陸軍墓地維持会」副理事長である花畑暢夫さんの案内で、墓地入り口にある平屋の建物内にある6畳間ほどの史料展示スペースを見せていただいた。

 「旧真田山陸軍墓地の墓石の保存−市民ボランティアによる施工方法の確立」という論文が壁にパネルで掲げられていた。京都造形芸術大学大学院生の永田綾奈さん(23)による研究だった。

 「和泉砂岩製の墓石は、経年劣化により、多くが剥離し、倒壊の危機にさらされている。総合的に保存活動ができるよう、施工方法の確立を目指す」。抜粋すると、その論文にはこのように書かれていた。慰霊祭を手伝っていた永田さんに出会った。「納骨堂の調査でこの陸軍墓地を知り、研究を始めました。戦争遺跡の実物資料として残していかなくては」。平成生まれの若き女性が憂えていた。

 大阪の陸軍墓地は明治4年に造られ、最大規模で今も残る。明治維新に近代軍創設の祖となった大村益次郎は、陸軍の拠点を東京ではなく、大阪にしようと考えていた。大村自身が「今後注意すべきは西である」との言葉を残しているように、西日本の反維新政府勢力への地政学的考慮だった。

 大村は「大阪開兵」に向けて、さまざまな着想を持ち、明治2年に暗殺された後も結実していった。大阪鎮台(後の第四師団)、東洋一の兵器工場となった砲兵工廠(こうしょう)のもととなる造兵廠、陸軍士官学校の前身といえる兵学寮がそれぞれ創設された。さらに、近代戦の多数の負傷将兵のための陸軍病院、そして、埋葬、慰霊のための陸軍墓地の建設となった。ここには西南戦争、日清、日露、先の大戦などの戦死者や、捕虜となったドイツや清国の兵士らも埋葬されている。

 史料室の壁に新聞記事が貼られていた。東京五輪開催前の昭和39年5月14日のサンケイ新聞(当時の題字はカタカナ)の記事だった。冒頭にこう記してある。「戦没者叙勲で戦争中、亡くなった人たちの霊がようやくなぐさめられようとしている折、納骨堂が倒れかかったり、無数の石碑がくずれたままという荒れ放題の旧陸軍墓地大阪市のド真ん中にある」

 敗戦で大蔵省管理となり、市に貸与されたものの、整備が行き届かなかった。「お役所仕事怒る遺族」との見出しからも分かる。

 昭和22年には民間によって、「大阪靖国霊場維持会」(後の真田山陸軍墓地維持会)が設立された。「これで、他の各地の陸軍墓地に比べて荒廃の進行を止められた」(研究家、横山篤夫氏)という。それでも整備が行き届かない時期が続いた。全国に80カ所以上造られた大阪以外の陸軍墓地には現在も荒れ放題が少なくない。

 29年に維持会理事長となった吉川秀信氏が私財を投じて集会所などを建設。理事長職は長男の秀一氏、孫の秀隆氏の3代が継承している。吉川家はタカラベルモント社経営一族で、維持会事務所は同社内にあり民間企業として整備に大きく尽力している。

 靖国神社の英霊へ尊崇の念を払おうとすると、中国や韓国の顔色をうかがう状況がいまだに続く。

 冒頭に紹介した平成生まれの永田さんは来春同社に入社し、陸軍墓地を護り続けていくという。

(こんどう とよかず)


真田山にある「真田山陸軍墓地」で咲き誇る英霊の桜=大阪市天王寺区(川村寧撮影)


旧真田山陸軍墓地の配置図。豊臣秀吉大阪城を築いた際、最初に城下町として整備した城南地域(上町台地)に位置している=大阪市西区の市立中央図書


日清戦争で捕虜になった清国兵や、第一次大戦のドイツ兵も眠る真田山陸軍墓地。墓碑銘もわずか見える程度の墓石もあるなど戦後、荒れ果てたが、父と二代で尽力する吉岡武さんをはじめ、地元住民の功績は大きい=大阪市天王寺区

http://sankei.jp.msn.com/life/news/131126/trd13112611160005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131126/trd13112611160005-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131126/trd13112611160005-n3.htm

いい記事なんですけど、こんな風に靖国問題と結びつけて終わり、というのは、締め方としていささか雑ですね。今どきの戦争関連の墓地と靖国神社との関係は、そんなにパラレルなものではありません。

朝鮮人追悼碑、除幕式が中止に 北海道・猿払村に設置申請なく(11/23 09:58)

 【猿払】宗谷管内猿払村は22日、戦時中に日本へ労働力として動員され、犠牲になった朝鮮半島出身者の追悼碑除幕式を中止するよう主催者の実行委に伝えた。建立地が村有地であるにもかかわらず必要な許可申請が出ていなかったためで、今後、碑の設置場所や碑文の内容など善後策を実行委と協議する。

 除幕式は26日に予定されていた。市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」や地元住民でつくる実行委は、1942〜44年(昭和17〜同19年)に同村と同管内浜頓別町にまたがる旧陸軍浅茅野(あさぢの)飛行場の建設工事に動員され、犠牲になった朝鮮半島出身者の発掘調査を2010年まで行い、計39体分の遺骨を発見。韓国政府機関と実行委が共同墓地(村有地)に追悼碑を建立することを決めた。

 韓国側では、政府機関が20日、追悼碑建設事業費約180万円について「韓国政府予算と猿払村からの支援金が使われた」と発表。韓国メディアが同日、同様の表現で報道したところ、インターネットニュースを見た日本の市民団体などから事実関係をただす電話やメールなど約100件の抗議が猿払村に相次いだ。

 村によると、村が費用を支出したという事実はないが、村が経緯を調べるうち、村有地使用手続きの不備などが判明し、実行委に除幕式の中止を要請した。

 実行委の水口孝一共同代表(78)=猿払村=は「村側に設置の許可を取らないなど、実行委側にも落ち度があった。関係者にご迷惑をかけ申し訳ない。韓国側にも説明した上で、今後、いい方向に進められればと思う」と話している。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/505928.html

米太平洋艦隊司令官が佐世保訪問、海軍墓地で献花も


慰霊碑に敬礼するハリス太平洋艦隊司令

 米海軍太平洋艦隊司令官のハリー・ハリス大将が20日、10月の就任後初めて佐世保市を訪れ、米海軍佐世保基地の視察や市役所への表敬訪問を行った。

 同艦隊は、太平洋、インド洋を担当する。ハリス大将は母親が日本人。横須賀市で生まれ、幼少期に佐世保市で暮らしたこともある。

 末竹健志副市長との懇談では、「佐世保は非常に重要。フィリピンの台風災害の救援にも2隻がこちらから出ている」などと述べた。

 その後、同市東山町の東山海軍墓地を訪れ、献花した。太平洋戦争のフィリピン・レイテ沖海戦で沈んだ船の碑なども見学し、「日本と米国はかつては敵同士だったが、今こうして仲良くさせてもらっていることは非常にありがたい」と話した。

(2013年11月21日 読売新聞)

http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/nagasaki/20131121-OYS1T00298.htm