どちらの公園も何度も訪れている場所です。
白凡記念館や安重根記念館、さらには復元城郭といった2000年代の新しい施設も登場してはいます。が、よくよく目を凝らしてみれば、これらの公園は1960年代後半から1970年代あたり、早い話が朴正煕政権の時代の痕跡をあちこちに残しています。
ちなみに、これも孝昌公園(内にある運動場)での出来事でした。
朝鮮半島における「南北問題」は依然として解決してはいませんが、「反共」という言葉が持っていた切迫感を当時と同じように感じることが難しくなって、ずいぶん経ったような気がします。
以上は孝昌公園ですが、いっぽうの南山公園で行なわれていた発掘調査はいちおう終わったようです。安重根の銅像や記念館に近いこの場所を今後どうするつもりなのか、しばらく様子見です。
都城城郭と朝鮮神宮と李承晩の銅像がすべて再現されて安重根と並び立つようになれば、歴史的にシュール極まりない図となりそうですが、まあそんなことにはならないでしょう。
そんな南山公園の来し方行く末について尋ねるとしたら、1968年からここにおられる白凡金九先生が最適任でしょうね。
ここに先生が立つようになってからでももう50年近いわけですから、今は昔という話がいろいろあると思います。