裏付けのない自信を持てる人、が理解できない人

たまたま見かけて興味を惹いた記事。うん、いかにもありそうな話ですね。

ただ、いかにもありそうな話だという感想を持つのと、その話を理解できるというのは違うわけで、ここにあるような筋道をたどって自信満々になれる人、というのが私にはまったく理解できないんです。何をどうやって自己暗示をかけたらそんな風になれるのやら、どうしても想像がつきません。

なぜ“エース社長”は期待外れに終わったのか
ねつ造された「社史」を信じた会社の悲劇
秋山進 [プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役]
【第6回】 2014年10月28日

“エース”の看板に偽りあり!
結果を出せないエース新社長

 業績が停滞していたある企業に、新社長が就任した。新社長は、過去に会社の主力事業を立ち上げて成功させた若きエース。当然、社の内外を問わず、誰もが彼に期待した。彼ならきっと、会社の方向性を正しく定め、成長に導いてくれるだろう。メディアからも注目されるなど、事前の期待は非常に高かった。

 新社長は就任早々動いた。商品ラインナップを見直し、広告宣伝活動を変え、大々的な組織変更をし、若い優秀な人材の登用……など、しかし企業の業績は一向に上がらない。顧客からの評判も良くない。早々に社内外から「期待外れだ」「この就任は失敗だった」という声が上がったのは期待が高かったことの裏返しだろう。新社長の評価は瞬く間に下がっていった。やり手のエースのはずの人物が、なぜ結果を出せなかったのだろうか。

「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川」

 この手の話を聞くとき、私はいつも江戸時代のこの狂歌を思い出す。実際に大きな成果が生み出されるまでには必ず先人の苦労があり、最終的にその成果を獲得するのは大抵別の人物なのだ。エース新社長の場合もまったく同じ。彼は信長でも秀吉でもなく、家康だったのである。

 エース新社長の功績として語られてきた主力事業には、奇しくも他に2人の人物が関係している。最初に、その事業の基本モデルをつくったのは地方拠点のA氏である。試行錯誤の上にひとつの成功パターンを見出し、その地方では小さな成功をおさめた。ただし、彼はすでに出世コースから外れた人物だったため、大きく注目されることはなかった。

 A氏の成功モデルに目をつけ、それを全国的に水平展開させたのが本社のB氏である。彼は、事業モデルを標準化し、わかりやすい指標を作り、リーダーを育成した。そのことによって、地方支社でしか通用しないと思われていたビジネスが、全国規模に広がり始めた。

 ここでやっと、件のエースの登場である。彼は、B氏の施策の成果が見えそうなタイミングでこの事業部へやってきた。「私にやらせてほしい」と手を挙げたのである。エースは、成功に対して目鼻も利くし、商売のセンスもあるのだ。そして、A氏とB氏が作り上げた事業に対し、大規模かつ大量の経営資源の投入を行い、CMを使った派手なプロモーションで盛り上げた。結果的に、事業は大成功。エースは「時の人」となった。これが、社内外でよく知られるエースの功績の真実である。

真実はどこへ……
社内では偽りのサクセスストーリーが作られる

 この真実が知られていないのには、理由がある。それはエース自身が、A氏とB氏の存在を巧みに消したからである。A氏とB氏を含む事業の初期段階から携わってきたメンバーに、一人また一人と冷や飯を食わせて退職に追い込み、ときには別事業に異動させ、ときには独立を促す。そして、エースが担当する以前のこの事業は、失敗だらけで酷いものであったかのように、注意深く少しずつストーリーを変えて、社内外で喧伝したのである。

 年月を経た後、その事業の成功はエースの“超人的なリーダーシップ”と“独創的なアイデア”によって成し遂げられたことになってしまった。意図的な歴史の改ざんである。A氏もB氏も登場しないサクセスストーリーは、社内の公式な文書にまでなってしまったため、造られたストーリーが真実として語り継がれることになってしまった。

 驚かれるかもしれないが、このくらいのことはどこの会社にもある。各種メディアで「事業の成功の立役者」として取りざたされる人物のなかには、かなりの確率でエースのような人物が紛れている。また、本人にその気がなくても、社内的な事情から「この人物の功績にしたほうがイメージ的に良い」などと判断され、成功の立役者にされてしまう場合もある。

「社史」のような文書には、エースのような人物が「自分の功績だ!」としたねつ造や改ざんが満載なのだ。そのため、記述を鵜呑みにして凄い人とあがめるのは危険である。多かれ少なかれ歴史は、過去の人ではなく、その時の中心人物にとって都合のいいものになっているからだ。

 今回のケースでもっとも問題だったのは、歴史を改ざんしたエース自身も、いつのまにか自分は凄い人だと誤解してしまったことだろう。

 エースが得意なのは、独創的なアイデア事業を創造することでもなければ、広く通用するモデルを構築することでもない。ましてや窮地の状況を変革することでもない。成功パターンを拡大再生産することであったのだ。自分の基本的な特質をきちんと認識していれば、社長になった際に、自分に足りないA氏やB氏のような人、または別の能力を持つ人物を積極的にブレーンに登用したはずだ。

 しかし、よくあることだが、エースのようなタイプの人は、偽のストーリーを語っている間に、自分自身の力で本当に実現させた!と思いこむほどの強い自己暗示力を持っている。だから、聞いたほうも真実だと思ってしまう。

 やはりトップは、時間をかけて、多方面から複数の候補者を評価し厳しく選んでいく必要があるだろう。そのプロセスの中で、その人が本当に優れているものは何かをシビアに検証しなくてはならない。さらに、評価の場には、力のある他社の経営者に加わってもらうことも重要だ。長年の経験と勘から、社内の評判に惑わされずに、目の前の人物が本物か偽物かを直感的に見抜く力がある。

 さて、あなたの会社のエースは、果たして本物だろうか。

(構成/大高志帆)

※なお、本記事は守秘義務の観点から事案の内容や設定の一部を改変させていただいているところがあります。

http://diamond.jp/articles/-/61186

ところで、この記事のストーリーと分析診断は面白かったのですが、最後の処方箋にはいまいちピンときませんでした。

私だったらまず、司馬遷史記の話をできる人を呼んで、話を聞きたくなるところです。

史記〈1〉本紀 (ちくま学芸文庫)

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史記を語る (岩波文庫)

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