「KANO」をめぐる毎日新聞の記事とNHK「ニュース9」の特集
「KANO」の公開前後には各メディアの記事をちゃんとチェックしてなかったこともあって見落としていましたけど、毎日新聞もけっこうしっかりした記事を書いていますね。
シネマの週末・トピックス:KANO〜1931 海の向こうの甲子園〜
毎日新聞 2015年01月23日 東京夕刊昭和4(1929)年、日本統治時代の台湾が舞台。松山商業出身の近藤兵太郎(永瀬正敏)が知人に誘われて台湾へ渡り、嘉義農林学校の弱小野球部の監督を任された。憧れの甲子園出場を目指して、厳しい練習が始まる。その2年後、当時の全国中等学校優勝野球大会に出場、準優勝を果たした台湾代表の嘉農野球部の実話を描いた台湾映画である。
民族の違う混成チームとして、共に戦った球児を演じるのは、野球経験を重視して選ばれた。それだけに、たっぷりと時間をとって描かれる野球シーンの臨場感と緊迫感は、この映画を支える大きな魅力になっている。
台湾では大ヒットを記録し、礼儀を重んじる厳しさの中に優しさをにじませる近藤監督を演じた永瀬は、台湾のアカデミー賞といわれる金馬奨で、日本人初の主演男優賞候補に。歴史的に知られる水利技術者八田與一を、大沢たかおが演じる。監督は新鋭、馬志翔。3時間5分。新宿バルト9ほか。(細)
◇もう一言
涙と汗の大盤振る舞い、よくも悪くもメリハリの利いたスポ根感動もの。日本の植民地支配が否定的に描かれていないのが、かえって意外。(勝)
http://mainichi.jp/shimen/news/20150123dde012070046000c.html
映画:KANO上陸 台湾の弱小校、甲子園準V 猛練習耐え、つかんだ栄光(その1)
毎日新聞 2015年01月24日 東京朝刊
1931年夏の甲子園で準優勝し、嘉義農林に凱旋した野球部のメンバーら=蔡武璋さん提供◇84年前の旋風再現 きょうから全国公開
84年前の1931年、日本統治時代の台湾から「夏の甲子園」に初出場し、準優勝に輝いた学校があった。嘉義(かぎ)農林学校(現・嘉義大学)。弱小チームを厳しい指導で鍛え直した監督と猛練習に耐えた選手たちが勝ち取った栄冠だ。大舞台で旋風を巻き起こした彼らの実話を基にした台湾映画「KANO(カノ)〜1931海の向こうの甲子園〜」(馬志翔監督)が24日、日本でも全国公開される。映画の内容と背景、併せて撮影地となった台湾南部の大都市・高雄の注目スポットなどを紹介する。【佐藤浩】
3月21日に開幕する第87回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)の出場校が1月23日に決定し、甲子園に注目が集まる。戦前の甲子園は、春、夏とも台湾からの出場校があった。
四国の名門・松山商業を率いて甲子園出場の経験がある近藤兵太郎(ひょうたろう)(1888〜1966年)が台湾南部の嘉義にある嘉義農林の監督に就任し、1931年夏の大会(全国中等学校優勝野球大会)で初出場の切符をつかんだ。台湾南部から初の甲子園行きだった。
船で台湾を出発した選手たちは海を越え、甲子園でも台湾全島大会のような快進撃で決勝に進出。決勝では強豪・中京商業に0−4で敗れた。敗れはしたものの、全力でひたむきにプレーした選手たちを観客は「天下の嘉農」とたたえた。嘉義に帰った近藤と選手たちが熱烈歓迎されたのは言うまでもない。
弱かった嘉義農林が甲子園で準優勝できるまでになったのは、鬼監督・近藤のスパルタ式練習に加え、日本人、台湾人(中国大陸から移住した漢族)、台湾先住民を一緒のチームにしたことが大きい。
日本人選手が中心だったという当時の台湾野球。近藤は嘉義農林の選手たちを「先住民は足が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備にたけている。こんな理想的なチームはない」と評価して育てた。準優勝の後も、嘉義農林は春に1回、夏に3回の甲子園出場を果たした。
◇台湾で大ヒット
「KANO」(ショウゲート配給)は、選手の熱い友情や淡い恋などを織り交ぜて嘉義農林を描いた大作で、上映時間は3時間5分。せりふのほとんどは日本語だ。
キャストは、近藤を永瀬正敏さんが熱演。坂井真紀さんが近藤の妻を演じて脇を固めている。台湾側の選手役は全員、5年以上の野球経験がある素人を選び出した。
主将で4番打者のエース、呉明捷(通称・アキラ)は、輔仁大学で現役外野手の曹佑寧さんを起用。決勝で大きな試練に直面するアキラを好演した曹さんは台北の映画祭で助演男優賞を受賞した。
身長180センチで男前の曹さんは人気が急上昇。出場する大学野球の試合はファンが球場に詰めかけて応援し、試合終了までテレビ中継されるようになった。
日本での公開を前に来日した曹さんは「『熱血と感動』の作品です。台湾の野球チームが当時、どのように戦っていったか、その点をご覧いただきたい」と語った。
一方、「KANO」には、台湾南部の農業発展に大きく寄与した水利技術者の八田(はった)與一(よいち)(1886〜1942年)も登場する。主演したテレビドラマ「JIN−仁−」が台湾でも人気を得た大沢たかおさんが八田を演じた。
台湾では2014年2月に公開され、3カ月のロングラン上映となり、興行収入が3億台湾ドル(約11億円)を超す大ヒットとなった。台湾のアカデミー賞と位置づけられる「金馬奨」では、ノミネートされた6部門での受賞はならなかったものの、観客賞などに輝いた。
◇八田與一、農業発展に寄与
「KANO」に登場する八田與一は金沢市出身で、台湾総督府の技師。1930年に完成した烏山頭ダム(台南市)を含む水利施設「嘉南大セン(たいしゅう)」の建設を指揮した。完成は、嘉義農林が夏の甲子園で準優勝した前年だが、「KANO」では同じ年に設定している。
干ばつに悩まされ、不毛の地とされていた台湾南部の嘉南平野は、当時アジア最大級の同ダムによって穀倉地帯に生まれ変わった。日本と台湾の労働者と分け隔てなく接した八田は台湾の人々に敬われた。
八田は太平洋戦争中の42年、フィリピンへ向かう途中で、乗っていた船が米軍に撃沈されて死亡した。戦後も多くの台湾の人々に慕われ、その功績も大きく評価された。
日台の懸け橋となった八田。ダムを望む丘には八田夫妻の墓や八田の像=写真・鈴木玲子撮影=があり、ダムのふもとには八田の記念公園が2011年に完成した。八田の功績は日本でアニメ映画化され、台湾でも上映されている。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150124ddm010200073000c.html
ただ、惜しむらくは、いくら甲子園球場のセットを作ったロケ地だからといって、ここでなぜ高雄観光案内なのかがよくわからないんですよねえ。そこしか行ってなかったからかもしれませんけど、高雄から嘉義なんてすぐでしょう。八田與一の写真が流用でなければ、烏山頭ダムのほうにも行ってるみたいなのに…。
映画:KANO上陸 台湾の弱小校、甲子園準V 猛練習耐え、つかんだ栄光(その2止)
毎日新聞 2015年01月24日 東京朝刊◇歴史ある港町、高雄 豊富な観光資源PR
「KANO」の撮影が行われた高雄市は人口約278万人。日本統治以前から港町としてにぎわった。高雄の発音は「カオシュン」だが、昔の地名は「打狗(ターカウ)」で、日本統治を経て「高雄」の字になった。高雄空港へは成田からの直行便で4時間半、台北からは台湾高鉄(台湾新幹線)で左営(高雄市の駅)に1時間半余りで着く。
■光のドーム
まずは市中心部で人気の観光スポットを訪れた。地下鉄(KMRT=「高雄捷運」)の2路線が交差する美麗島駅。地下構内に色鮮やかなステンドグラスの大型パブリックアートがある。「光之穹頂」(光のドーム)といい、イタリアの作家による作品だ。
■仏光大仏
中心部北東の仏光山仏陀紀念館にも足を延ばした。名刹(めいさつ)、仏光山の近くに2011年開館、入場無料で、収蔵品や仏像などを鑑賞でき、精進料理のレストランや土産物店もある。塔なども美しいが、目にとまるのは正面奥の仏光大仏。台座を含む高さは108メートルある。日本語が堪能な尼僧の鄭慧美さん(50)は「日本人の参観はまだ少ないですが、皆さん『日本の寺とは雰囲気は違うが、心が落ち着く』と言います」。
■高台から港一望
「打狗」時代からの名所も訪ねた。フェリーで約10分、高雄港を渡って対岸の島、旗津区に着く。下船して目指すのは丘の上の旗後砲台と旗後灯塔(灯台)。路地を抜けると勾配がある道になり、やや健脚向きだ。砲台は清朝時代に港を守るため大砲などが設置された要塞(ようさい)跡で、赤レンガなどでできた古びた建造物を散策できる。港を望み、心地よい開放感に浸れた。十数分歩いて灯塔へ。1883年に建設され、日本統治時代に現在の規模になったという。ここからも港を一望できる。
■六合観光夜市
台湾の夜といえば夜市。高雄では六合観光夜市が有名だ。美麗島駅近くの道路が夕方〜未明に歩行者天国となって露店が並ぶ。店は飲食物、衣料品、雑貨など多種多様だ。
市内を流れる愛河では夕方〜夜(土、日曜は終日)にクルーズ船「愛之船」が運航される。ライトアップされた橋などがロマンチックな夜のひとときを演出する。
他に、多くの観光客が訪れる蓮池〓の湖畔に、口を開けた竜と虎が並ぶ龍虎塔がある。竜の口から入って虎の口から出る習わしだ。
◇訪台の日本人、昨年は164万人
台湾観光局によると、昨年、訪台した日本人は約164万人だった。高雄市政府観光局の許伝盛局長は「簡単に言いますと、訪台日本人5人のうち、高雄を訪れるのは1人だけです。台北だけでなく高雄にもたくさんの観光資源があります。平均気温は24度なので、冬でも暖かく身軽に来ていただきたい」とアピールしている。
◇「たかお」さんにラウンジ開放
チャイナエアラインは、成田−高雄便(CI103便)エコノミークラスを利用する「たかお」さん本人と同行者が、成田空港搭乗前に同社ラウンジを利用できるキャンペーンを実施している。3月31日まで。
名字や名前、漢字、かなを問わず、パスポートの表記が「TAKAO」の人が対象。航空券を購入し、出発3営業日前の午後3時までに同社日本地区サイトで申し込む。同行者は2人まで。
◇ランタンフェス、台中で来月開幕
台湾を代表する国際的イベントの一つ、台湾ランタンフェスティバル。今年は2月27日〜3月15日、台中市で開催される。色とりどりのランタンがたくさん飾られ、華やかな雰囲気を醸し出す。
同フェスティバルは旧暦1月15日(今年は3月5日)の元宵節シーズンに開催され、開催地は毎回変わる。今年のメイン会場は3月5〜15日、台湾高鉄の台中駅周辺に特設される。サテライト会場は2月27日〜3月15日の開催で、台中公園、豊原廟東商店街。
http://koshien.mainichi.jp/news/20150124ddm010200083000c.html
映画:KANO上陸 「故人の体温」感じ演技 鬼監督役・永瀬正敏さん
毎日新聞 2015年01月24日 東京朝刊−−いよいよ日本公開です。日本の映画ファン、野球ファンへのメッセージを。
◆もちろんこれは野球の映画ですが、野球をご存じでない方、スポーツに興味がない方でも楽しんでいただける映画です。「やっと日本の方々に見ていただける」と、何よりうれしいです。性別も年齢も関係なく見ていただける作品です。
−−出演の依頼があった時は、どんなことを感じましたか。
◆台本を読む前は、ちょうど撮影期間中が役者になって30年を迎える年で、いろいろ他のスケジュールが決まっていましたから、無理をしてもらわないといけないので、ご迷惑をかけるかな、(依頼を)どうしようかと思いました。
台本を読んで、戦前に台湾代表が甲子園に出ていたこと、嘉義農林の近藤兵太郎監督が、民族を分け隔てなくチームづくりをして(甲子園準優勝の)結果を出されたこと、すばらしい先輩方がいらっしゃったことを知り、ぜひ出演させていただきたいな、と。
−−撮影での苦労、逆に楽しかったことはありましたか。
◆嘉義農林野球部の練習場のシーンが、天候の問題でなかなか撮れなくて。ものすごく暑かったり、あっという間に寒波が訪れたりして、天気がつながらず、大変でした。
最初に台本をもらった時は漠然と、甲子園球場で(甲子園のシーンの)撮影をすると思っていたんです。考えてみれば1930年代の甲子園球場と今の球場の形は違うし、どうするのかと思っていたら、甲子園球場(のセット)はできるし、嘉義市街のセットも造ってしまった。こういう背景も重要な「共演者」なので、完璧に造られているのはありがたかったし、芝居をするのは楽しかったですね。甲子園球場のセットは高雄市で、高雄の皆さんにはお世話になりました。多くのエキストラに来ていただき、協力的でした。
−−近藤監督を演じて心がけたことは?
◆実在された方を演じる時には気を使います。亡くなっていても、残された人たちの中には(故人の)“体温”があるんです。そこを裏切らないようにと毎回気をつけています。今回も、近藤監督の教え子、娘さんもお孫さんもたくさんいらっしゃいます。極力、監督の人となりや練習方法などをお聞きし、自分の中で消化してからやりました。
確かに鬼監督なんですよ。練習にはものすごく厳しかったんです。でも(教え子の)皆さんは「近藤先生のためなら」と、何時間でも話してくださった。そこに愛情があるんですね。何十年もたってるのに。根性論だけの鬼監督だったら決して生徒はついていかないし、「先生のためなら」とはならないと思います。一人一人に愛情を持った接し方、厳しさをどう出すか、馬志翔監督と話しながら、やりました。
−−嘉義をはじめ台湾全島で、この映画の人気、人々の熱い思いがあったようですね。
◆とにかくうれしかったです。台湾の皆さんに受け入れていただいた。特に嘉義市で、映画公開前に「全島大会の優勝パレードを再現する」と聞かされて行ったら、数をカウントできた人が6万、できなかった人までを含めると10万人も集まっていただいた。皆さんと一緒に野球場で試写を見て、感動的でした。
映画を通じて国際交流が盛んになることはとても良いことで、そのきっかけに「KANO」がなればいいと思います。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150124ddm010200087000c.html
他方、NHKニュース9で「KANO」を取り上げていたことは聞いていたのですが、観ることができませんでした。改めて観てみると、メインキャスターの大越さん自身が台湾に飛んで、インタビューをし、現地を訪れていたようです。
霧社事件を描いた「セデック・バレ」なども取り上げながら、作品の背景や監督の映画製作の意図にも触れている、丁寧に作られたよい特集だと思います。