センバツ期間中ということもあってでしょう、甲子園を訪れる台湾からの観光客が激増していることを、朝日新聞と毎日新聞が相次いで記事にしています。いや実際、甲子園のスタンドにも、台湾から来たと思しき方々はけっこういましたよ。
映画をきっかけにして、甲子園球場が関西を観光するときの定番スポットになれば、面白いですね。
甲子園歴史館、台湾人の心にヒット 「KANO」効果
阿久沢悦子 2015年3月29日02時23分
歴代出場校の校名入りの白球群から「嘉義農林」を見つけて、写真を撮る台湾人観光客ら=26日、兵庫県西宮市の甲子園歴史館熱戦が続く選抜高校野球大会。阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)の外野席下にある甲子園歴史館に、台湾からの観光客が急増し、年1万人を突破した。昨年、台湾で大ヒットし、日本でも公開された映画「KANO〜1931海の向こうの甲子園〜」がきっかけだ。
KANOは、1931年の夏の甲子園が舞台。日本統治下にあった台湾から嘉義(かぎ)農林学校が、全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)に挑み、初出場で準優勝した実話を元にしている。
26日、歴史館を訪れた台湾からのツアー客24人が、高校野球の「深紅の優勝旗」に見入っていた。「もし嘉農(かのう)が決勝戦で勝っていたら、この旗が台湾に来ていたのです」。ガイドの蔣蓓蒞さん(38)が説明すると、一行は写真を撮りまくった。
徐明芳さん(54)は学生時代に野球をしていた。歴史館見学の後、外野席で試合を観戦し、「死ぬまでに一度、高校野球を生で見たかった。KANOブームで夢がかなった」。携帯で応援団の動画を撮っていた呉萱萱さん(28)は「甲子園が『聖地』と呼ばれる理由がわかった。プレーもチアもきびきびとし、そろっていて、感心しました」と話した。
歴史館には、2回戦の神奈川商工戦で実際に使われた試合球のほか、校名の入ったボール、映画の撮影に使われたユニホームやバットなどが並ぶ。日本での映画公開にあわせ、3月末まで特別展示コーナーを設けている。決勝で指のけがから血染めのボールを投げ続けた呉明捷投手の銅像「翼伸びの鷹(たか)」も人気だ。昨年6月、台湾の嘉義市長が来館して寄贈したものだ。
歴史館も、近くのホテルに宿泊する客を対象に午前8時半からの早朝ツアーを受け入れたり、一部の展示に台湾で使われる繁体字の説明を添えたり、と対応にも余念がない。
副球場長の浅沼亮さん(31)は「一昨年までは阪神電鉄グループで台湾へ観光客誘致の営業に行っても見向きもされなかった」と振り返る。ところが、昨年2月、映画が現地で封切られると、歴史館単独で3回説明会を開くほどの人気スポットに。4泊5日の関西ツアーでは、奈良やユニバーサル・スタジオ・ジャパンとともにコースに組み込まれるようになった。
歴史館の入場者は13年度に約8万5千人だったのが、今年度は11万人に達する見通し。数字を押し上げたのが、約1万人(団体3千人、個人7千人)を占める台湾からの観光客だ。
浅沼さんは「円安の追い風も受けて、ヒットをホームランにしたい」と話す。(阿久沢悦子)
甲子園:台湾でも人気 「KANO」ヒット、訪問客急増
毎日新聞 2015年03月30日 13時09分(最終更新 03月30日 14時08分)
映画「KANO〜1931海の向こうの甲子園〜」で使用されたユニフォームなどの展示品を見る来館者たち=兵庫県西宮市の甲子園歴史館で2015年3月30日午前10時29分、宮武祐希撮影第87回センバツが開催中の阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)にある甲子園歴史館で、台湾人観光客の数が急増している。これまで年200人程度だったが、2014年度は既に1万人を突破した。戦前の夏の甲子園に台湾から出場して準優勝したチームを描いた映画がきっかけで、甲子園は台湾からの関西旅行に必須のスポットになりつつある。
映画「KANO〜1931海の向こうの甲子園〜」は、1931年の第17回夏の甲子園に、日本統治時代の台湾代表として嘉義(かぎ)農林学校(嘉農<かのう>、現嘉義大学)が出場した実話に基づく。俳優の永瀬正敏さん演じる日本人監督が、台湾の漢族や先住民族、日本人からなるチームをまとめ、躍進する姿が描かれている。14年2月に台湾で公開されると、現地で大ヒットした。今年1月には日本でも公開され、反響を呼んだ。
すると、映画の舞台を一目見ようと球場を訪ねる台湾人が増え、歴史館の来館者も増え始めた。歴史館によると、14年4月以降に台湾の旅行団体を介したツアーだけで、150団体約4500人に上る。同6月には、台湾の嘉義市から贈られた当時の嘉義農林のエースの銅像の展示が始まり、17回大会で使われた硬式球や映画撮影で使われたユニホームなども現在は並んでいる。
台湾政府の出先機関「台北駐大阪経済文化弁事処」(大阪市西区)の交流担当、黄冠超さん(51)は「台湾は元々野球が盛ん。映画の影響で、若者から年配の方まで甲子園への興味が広がり、今や台湾から関西を訪れる観光客にとって欠かせないスポットになっている」と語る。
甲子園歴史館の宮脇明さん(31)は「野球を通じた日台の交流の歴史を知るとともに、高校生が白球を追いかける日本の野球文化も楽しんでほしい」と話している。【畠山哲郎】
http://mainichi.jp/select/news/20150330k0000e040198000c.html
「甲子園と台湾」と言えば、昨年にもこういう話がありました。
2014年08月20日 10:42
甲子園/台灣小將蔡鉦宇應援 光星粉碎星稜逆轉神話
記者楊舒帆/綜合報導曾在石川縣地區預賽9局下灌進9分,最終以9比8逆轉勝的星稜高校,全國賽第3輪未能再上演「如漫畫般的戲碼」,反倒遭到八戶學院光星高校延長賽逆襲,淚灑甲子園。
▲蔡鉦宇場邊擔任輔助員,為光星隊友們應援(圖/截自デーリー東北新聞社)20日夏季甲子園,台灣小將蔡鉦宇所屬光星高校,出戰「酷斯拉」松井秀喜母校星稜,原以1分落後的光星,由4番深江大晟8局上敲出追平陽春砲,將戰線拉至延長賽。
10局上2出局滿壘,星稜投手一記暴投開啟光星得分之門,3支安打帶動下攻下4分,10局下,再靠著穩健的內野守備保住戰果,終場以5比1粉碎星稜的逆轉神話。
光星由中川優完投10局,用球數127球,被擊出7支安打,奪8次三振有效壓制,僅失1分。星稜投手岩下大輝也完投10局,共送出9次保送(1觸身),用球數達160球,全場被擊出6支安打,但10局下3支安打及3次四壞球保送種下敗因。
▲八戶學院光星高校,全國賽第3輪在延長賽逆轉勝星稜。(圖/擷自朝日新聞)蔡鉦宇雖然因超齡不能與隊友們一起在球場上拚戰,但仍以輔助員身分在甲子園球場內,享受與隊友一起比賽的時刻。根據大會規定,在比賽期間內蔡鉦宇不得與隊友們交談,但他仍專心地觀察著比賽,默默為隊友祈禱,甚至會看著敵隊投手,想像若是自己站在打擊區上,會如何攻擊。
八戸学院光星・蔡、拓大進学 4年後プロへ「成長したい」
2014年12月11日6時0分 スポーツ報知春夏連続で甲子園に出場した八戸学院光星(青森)の台湾人留学生、蔡鉦宇(さい・せいう、3年)が、来年進学する東都・拓大での活躍を誓った。当初は高卒でのプロ入りを目指したが、力及ばず断念。「もっと体を強くして成長したい」(蔡)と4年間鍛え続け、夢であるプロ入りを狙う。
台湾の高校に一度入学したため、規定により最初で最後の甲子園となった今春のセンバツは、2試合で計8打数3安打1打点。現在はトス打撃などを中心に、10日も青森・八戸市内の同校グラウンドで練習した。蔡の後を追って光星に来春、台湾から留学生が入学する予定だという。これも蔡の頑張りが生んだ結果だ。
「最初は台湾に帰りたいと思ったときもあったけど、3年間は早かった」と話す蔡。拓大でも持ち味の積極的な打撃でアピールする。
◆蔡 鉦宇(さい・せいう)1996年2月20日、台湾生まれ。18歳。小2で野球を始め、重慶中では台湾代表として世界大会で優勝。八戸学院光星では1年秋から一塁手のレギュラー。173センチ、72キロ。右投左打。血液型AB。家族は両親と兄、妹。