【北京の風景】老北京の胡同の飛び猫

いつかここでネタにしようと思っていた北京のにゃんこのことを思い出させてくれる記事を見かけたので、これを機会に書いておきましょう。

おじさんが見上げた塀の上にいた、冬毛の抜け替わり真っただ中のこのにゃんこが、今回の主人公です。


私がこの豊富胡同を訪れた時の導きは岩波現代文庫の上の本でしたが、下記の記事ではまた別の本が取り上げられています。そちらもまた読むことにしましょう。

老北京の胡同から考える:歴史と文化を無視した開発は、破壊でしかない - 日経ビジネスオンライン

老北京の胡同: 開発と喪失、ささやかな抵抗の記録

老北京の胡同: 開発と喪失、ささやかな抵抗の記録

 700年前の元王朝の時代から北京の中心部に網の目のように広がり発達していった胡同は文化大革命の10年に貴重な歴史的文物、遺跡、建物が破壊され、文革後の改革開放には再開発の名の下に消滅していった。それでも1980年代初めはまだ北京市街地の3分の1の面積が胡同で市人口の半分がそこで生活していたという。

 胡同が急激に縮小していったのは90年代からだろう。多田さんによれば、この20年に再開発や環境整備の名目で消えた胡同はざっと計算しただけでも9.3平方キロメートルに及ぶそうだ。そして彼女自身、何度も胡同取り壊しによって引っ越しを余儀なくされてきた。そこに住んでいた人たちは、わずかな保障金を与えられて強制立ち退きさせられたり、あるいは郊外の新しく建てられたアパートに強制移住させられたりする。失われるのは家だけでなく、昔ながらの近所づきあい、地域で共有されてきた暮らしの記憶だという。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20150414/279907/?P=1

実際に少し歩けばわかりますが、「老北京の胡同」は、北京の中心部、もっと言えば首都の心臓部に広がっていますから、「再開発」の波をかぶること自体は、避けがたい面もあります。

でもやはり、「こんなんでええのか」と思うところも、多々あります。

 開発と言う名の下に歴史的町並みと、そこに暮らす人々の記憶が消滅してしまう悲哀はどこの国でも共通して起きてきたことだ。都心の一等地を低所得層の税金も納めないような庶民の住宅にしておくのは、経済効率が悪すぎる無駄なことだという意見は当然あるし、トイレ、下水の整備されていない胡同を放置しておくことは都市の衛生問題にかかわるという意見ももっともなことである。ただ、改めて思うのは、胡同を含む中国の再開発は、あまりにアンフェアで一方的で暴力的に急進的ではなかったか、ということだ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20150414/279907/?P=2

いやもうホント、まったく仰る通りです。このくだりの後に取り上げられている南鑼鼓巷や前門にも行きましたけど、そちらはまたいつかネタにすることがあるかもしれません。

 胡同については、中国政府も北京市政府も消滅させる意志は毛頭なく、文化遺産として保護しようと言う姿勢をずいぶん前から打ち出している。胡同が北京庶民文化の揺籃であり、その景観が観光資源であるという指摘は2000年初めから盛り上がっており、実際に「胡同游」と呼ばれる人力三輪車で胡同を散策する観光が1994年ごろから始まり、外国人にも人気である。また昨年から中国の愛国教育強化の一環で、小中学校では各都市、各省の地域の伝統文化、民俗、歴史についての授業が「国学」の一環として導入されているが、北京市の教科書では胡同文化が組み込まれている。

 だが、多田さんの本を読んでもらえればわかるように、その胡同保護・四合院開発というのは、あまりにも表面的で結局、環境保護名目で整備された新しい胡同は、テーマパークのような作り物めいた空間であったり、商業主義、拝金主義が全面に押し出されたりして、観光客であっても辟易とさせられるような代物である。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20150414/279907/?P=3

結局のところ、事態の核心は、これなんでしょうねえ。

 胡同景観保護の問題に限ったことではないが、中国の残念なところは、文化保護、景観保護、歴史遺産保護といった掛け声を政治スローガンとしてあげていながら、結局、関係者たちがビジネスと利権にしか興味がないという点だ。直接開発・保護に関わるデベロッパーや認可・承認を行う当局官僚たちは金儲けに走り、政府としては、中華文化を政府の求心力や国威発揚、愛国心高揚の教育材料ぐらいにしか考えていない

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20150414/279907/?P=4

 市民の中には、本気で文化保護活動をしている人や、独自で多田さん夫妻のように胡同を歩きまわり、歴史や文物を記録したりする人たちも大勢いるのだが、少なくともこれまでは、そういう歴史に興味のある専門家や市民が景観保護に関わってこれなかった。なぜなら、中国政府は市民運動、市民活動というものを極度に恐れ嫌がっているからだ。市民の意見、世論というのは政府が誘導するものであり、自発的に意見をあげて当局側に要求するような市民運動は、一党独裁体制の根幹を揺るがしかねないので、中国では許されてこなかった。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20150414/279907/?P=5

 そこに暮らす人々の歴史と文化と暮らしに配慮しない開発など、破壊でしかない。

さて、先ほどのにゃんこの話に戻ります。このにゃんこがいたのは、豊富胡同。王府井大街と故宮との間に位置する胡同の一つです。


ここが有名なのは、灯市口西街に接した角地に老舎紀念館があるからです。ここは老舎の故居でもあります。残念ながら時間が遅くて中に入ることはできませんでしたが、四合院形式の平屋建物が整備され、公開されているとのことです。

豊富胡同のこの狭い路地をもう少し奥に行ったところで出会ったのが、かのにゃんこでした。おじさんと一緒に見上げていたところ、コンクリートの上に柵のある塀の上をモソモソ移動したと思うと。


ひょいっ

てな感じで鮮やかに飛んだにゃんこを、どうにか写真に収めることができました。もう少し空が青かったらなあー、と思いますが、ここは3月の北京ですからね。

で、それはそれでよかったのですが、そのことはさておき、このにゃんこがいたのは豊富胡同。老舎故居の並びから向かい側に飛び移ったわけです。

ではその向かい側には何があるか、と言えば、これがあります。


豊富胡同を歩いていた加藤千洋さんが、塀の上から見下ろす兵士と遭遇したというその現場は、たぶんここでしょう。

塀に囲まれたこのお屋敷、正門がお隣の富強胡同側にあるこのお家のかつての主は誰だったのかは、前掲の『胡同の記憶』の32頁以下をご覧ください。「富強胡同」でぐぐればすぐにわかると思いますけど。

この写真、32頁の写真とほぼ同じ位置から撮ってみました。

つまりはあのにゃんこ、文化大革命で命を落とした作家と、天安門事件で失脚した元総書記という、激動の中国現代史を生きた重要人物の生活空間の狭間を、飛んでいたわけです。


まあ要するに、このオチが言いたかっただけのことなんです。すみません。

このあたりの胡同、こうした人たちに縁があるということは、北京のど真ん中の超一等地にあるものの、そう簡単には再開発名目でクリーンアップされることはなかろう、ということでもあるかと思います。それ自体は悪いことではないかもしれませんが、考えれみればそれもまた、他の胡同との比較において「アンフェアで一方的で暴力的に急進的」な中国の再開発の一側面であるとも言えそうです。

ただ、個人的には、そうした北京の再開発を知るために注目すべきは、胡同だけではないと思っています。その件についてはまたいずれ。