佐賀と戦争:長崎原爆殉難者慰霊と「戦争と有田」展
長崎と佐賀は隣同士で、佐賀の学生が学徒動員で長崎に行って原爆の犠牲になるということは当然あったはずなのですが、そのことを改めて意識することはこれまでになかったような気がします。
そこで今年、この記事が目に留まったので、ここにクリップしておくことにします。
「長崎原爆の日」伊万里商、佐賀商で慰霊祭 学徒動員犠牲者悼む [佐賀県]
2015年08月10日 00時27分
伊万里商の慰霊祭で、長崎原爆殉難者之碑に菊の花を手向ける遺族や同級生たち
佐賀商の慰霊碑に祈りをささげる原爆犠牲者の同級生や在校生たち長崎原爆の日の9日、伊万里市の伊万里商高と佐賀市の佐賀商高で、それぞれ長崎市への学徒動員で原爆の犠牲になった旧制校時代の生徒たちを悼む慰霊祭が営まれ、同級生や遺族らが冥福を祈り平和を願った。
伊万里商の長崎原爆殉難者之碑前では原爆投下時刻の午前11時2分に黙とうし、参列者約50人が献花。同級生代表の中野隆三さん(85)=伊万里市=は追悼の言葉で「戦争の苦しみ、悲しみを知らない国会議員が、集団的自衛権(の行使容認を柱とする安全保障関連法案)を(衆院で)可決した。外国に行って戦争するのは反対だ」と批判。生徒会長の飛松桃花さん(17)は「命の尊さ、平和について考え直すきっかけにしたい」と述べた。
同校では当時、三菱重工長崎兵器製作所などで生徒約80人が働き、このうち13人が原爆で亡くなった。同級生は年々減り、この日の出席者は中野さんと池田和友さん(85)=同市、原一さん(85)=有田町、副島亮さん(85)=福岡市=の4人のみ。池田さんは全身に残る当時の傷痕を見せながら「とにかく戦争をせんことだ」と話した。
佐賀商では同製作所などに動員された5人が亡くなった。同級生が1976年8月9日に校庭に建立した慰霊碑前で約40人が焼香し、長崎市の方向に祈りをささげた。
参列した同級生6人を代表して斎藤実さん(86)=佐賀市=は安全保障関連法案に触れ「戦争のきな臭いにおいがしてならない」と危機感をあらわにし「後輩には慰霊碑を通じて、戦争、原爆の恐ろしさを知ってもらいたい」と話した。生徒会長の近藤穂菜美さん(17)は「悲惨な戦争を忘れてはならないとの思いが強まった」と語った。
=2015/08/10付 西日本新聞朝刊=
こちらの話も何となく聞いたことがあったような気がするのですが、ちゃんと調べてみることのなかった話です。
有田焼にも戦争の波 町歴史民俗資料館でテーマ展 陶貨や手榴弾など50点 [佐賀県]
2015年08月09日 00時07分
陶磁器製の手榴弾有田町歴史民俗資料館で太平洋戦争中のゆかりの品々を集めたテーマ展「戦争と有田」が開かれている。同町で当時作られた陶磁器製の貨幣「陶貨」や手榴弾、武運長久を祈って寄せ書きされた日章旗など、同館所蔵の31点と戦時中の写真約20点を展示している。
戦後70年の節目に、平和産業だった有田焼も戦争に加担せざるを得なかった時代があったことを知ってもらおうと企画した。
尾崎葉子館長によると、1銭陶貨は1円玉ほどの大きさ。供出したアルミ製1銭硬貨の代替品として有田などの全国の陶磁器産地で1944年後半から製造された。翌年に完成したが、終戦を迎えて流通することはなかったという。
有田町では44年に「日本兵器窯業株式会社」が設立され、陶磁器製の手榴弾や地雷などの兵器も造られた。尾崎館長は「戦争を知る人が減っていく中、特に若い世代に見てほしい」と話す。
31日まで。入館料は大人100円、高校・大学生50円、小・中学生30円。有田町歴史民俗資料館。
=2015/08/09付 西日本新聞朝刊=
国策映す「戦争と有田」展 町歴史民俗資料館
2015年08月05日 11時44分■陶磁器製兵器など50点
兵器として作られた陶磁器製品や、戦時中の有田の暮らしを物語る資料を集めた「戦争と有田」展が、有田町泉山の町歴史民俗資料館で開かれている。陶磁器製の手りゅう弾や郵便ポストなど31件と写真18点が並ぶ。31日まで。
手りゅう弾は1944年に同町の「日本兵器窯業会社」が容器を製造。埼玉県で火薬などを詰めていたとされる。郵便ポストは、供出された金属製の代用品として作られた。このほか、空襲で1人死亡したことを記す有田村役場の日誌(1945年7月31日付)や、陶製の貨幣なども展示している。
同館の尾崎葉子館長は「有田焼業界が国策によって焼き物で兵器を作ったり、住民もさまざまな形で戦争に加担するしかなかった時代があったことを、多くの人に知ってもらいたい」と話す。
入館料は大人100円(20人以上の団体60円)、大高生50円(同30円)、小中生30円(同20円)。期間中無休。